イギリスからきたアリスとカレン、ヨーロッパ大好きな忍のカルチャーギャップが楽しい『きんいろモザイク』。その真価は極度に洗練された超癒し空間と、抜け出したくなくなるようなドラッグ的中毒性。

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見るドラッグ。
それが『きんいろモザイク』です。
と言っても、サイケ系の内容ではないです。
どういうことかというと、見ていると何もかもどうでもよくなる、という意味です。

超海外かぶれの、こけしみたいな日本少女・忍。超日本かぶれの、金髪人形みたいなイギリス少女・アリス。
この二人が、友達と日本での学校生活を送る作品です。
何にも、起こりません。

面白いのか、と言われると、「ゲラゲラ」ではないです。「ウフフ」です。
特別なオチはなし。ストーリー……「人間関係の構築」「異文化交流」がテーマだと思います。
でも、そんなのどうでもよくなっちゃうんだな。おんなじ回を何度も何度も何度も何度も見てしまう。
もう中毒的ですよ。何がそんなに中毒性高いのか。

まず、出てくるキャラ全員が幸せです。
え? 「きらら」作品だったらそれはよくあることじゃないかって?
そうなんです。みんながウフフって日常を過ごして。絶妙な距離感の人間関係を保って。
むしろ、「苦悩」とか「哀しみ」が絶対に入らない、超無菌状態。
それを維持しているって、ある意味すごくないですか。

学校生活送っていても、特別な悩みや葛藤は少なく、幸せにしか向かない。
卒業や別れの香りがない。淡々と「いつもどおり」が続く。
ツッコミキャラもいるけど、忍とアリスは両方ボケなので基本投げっぱなし。あるのは「かわいいキャラ」の紡ぐ幸せな瞬間のみ。
もうね、「何かが起きる」って思う余地すらない。

実は「何も起きない」を描くためにはいくつかのポイントが必要になります。
・アニメのクオリティを、絶対的に維持し続けること。
・空気感を何よりも大事にすること。
・適度なスパイスを入れること。
手抜きだから何も起きないんじゃない。何も起きない幸せを描く努力が、そこかしこにされています。

第一話で、忍がアリスのいるイギリスにホームステイするシーンがあります。それだけのためにイギリスロケしています。そもそも原作ではほとんどないシーンなのに。
イギリスでのシーンは細部まで再現されています。電車でイギリスの放棄された土地を走るシーンがありますが、これはイギリスの地理事情を知らないと描けない。工業地域を迂回するからです。
モデルになっている「フォス・ファーム・ハウス」の再現度も、まさに「異国」を表現した美しさ。これが海外のアニメファンにどえらく高い評価を得ました。

イギリスのシーンは1話だけ。
2話以降さすがにそこまでの凝った描写はない(というか必要ない)のですが、「アリスがかわいい」という表現は徹底。
1話でクオリティ保証をし、その後ベースを安定させる。アニメを安心して見る上で、これは大事なことです。
上品度が上がっているのは、作り手のこだわりの部分。

空気感については、ほんと「きらら」系コミックのアニメ化って難しいのです。「なんとなく」作ったものはすぐファンに見破られます。
『ひだまりスケッチ』や『けいおん!』などのように大成功している作品もありますが、これらには原作・アニメともに大きなストーリーが存在します。
成長、という物語。回を重ねるごとに、卒業してそれぞれの道を歩む、幸せな学生時代は今しかない、という儚さがある。

『きんいろモザイク』は、それすら感じないくらいです。
あるのかもしれないけど見ていて忘れてしまう。
別れが仮にあっても、そもそもアリスが、日本の学校に忍に会いたくてやってきちゃうくらいですよ。
なにそれ! どう成長したってみんなこのまま一緒にいられるんじゃないの?地球レベルで。

究極の安堵感を得るために作られた作品で、とことんまで安心できるように作られた作品なんです。
そのため「ただひたすらにかわいい子達が幸せに過ごす空間を見ていたいよ」という人にはドラッグです。
30分の放送が終るのが辛くなるくらい。最高の現実逃避ドラッグなんです。
よって、この世界に「ぼく」の入る余地はないです。もうぼんやり見てられれば幸せ。

無論「本当になにもない」わけではありません。
スパイスになるのが、金髪少女がいる空間の幸せ感。
これによってビジュアル的にも、パーフェクトワールドになります。
カルチャーギャップを楽しむアニメ、という読み込み方もちゃんとできます。
特にアリスとカレンが日本の文化に触れて、ぎこちなくしている仕草が面白い、というアニメでもあります。

でも、おおまかな設定だけ知っていれば、何も考えなくても、30分だけは幸福になれる。
ぼくはただ、頬杖をつきながらぼーっと30分、このドラッグを吸い続けたいのです。

(たまごまご)