現在アシストは企業向けのビジネス用コンピュータ・ソフトウェアの販売/サポートに特化しているが、1980年代後半にはパソコンソフトも取り扱っていた。松尾浩がアシストに入社したのはちょうどその頃。9,700円のワープロソフトや表計算ソフトを販売する部署に配属された。

【「自分の目と耳で見極める」を大切にする営業マン】
株式会社アシスト 支社統括事業部西日本支社 松尾浩 (Hiroshi Matsuo)
― 1991年アシストに入社。当時アシストが扱っていたパソコン用ソフトウェアの販売部門、「UPプロジェクト(大阪)」に配属される。同年その部署が解散となり東京へ異動、フォーカス営業部に配属。97年に大阪へ戻り、その後様々な製品技術を担当後、99年から営業職となる。個性派の営業マン。

入社研修を終えて配属された松尾の仕事は、9,700円のソフトウェアをPCショップに売るための販促活動として家電量販店でのビラくばりや店頭応援だった。

「入社前に想像していた業務とはあまりに違っていたのでびっくりしました。ところがもっと驚いたのは、4ヶ月でその部署が解散になったことです」

当時、パソコンソフトの価格は高額だったが、アシストはそれを廉価で、しかもサポート付きで市場に提供するという戦略を打ち出した。ところがしばらくして、最初はその10倍以上もしていたパソコンソフトの価格が次々と値下げされてきたため、当時の社長ビル・トッテンは、これでパソコンソフト分野におけるアシストの役目、すなわち1人1台PCを所有できる環境を作るためにソフトの値段を引き下げるということ、は終わったとしてパソコンソフト事業から撤退を決めたのだった。


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