「10」の夢を実現するには「10」の苦労を背負う。「2」の夢なら「2」の苦労。「ゼロ」の夢なら「ゼロ」の苦労。それが苦と楽の対称性である。苦と楽の差は体験の厚みであり、人間の厚みをつくっていく。

 強烈な個性を発し続けるミュージシャン、矢沢永吉さんが糸井重里さんとの対談で次のように語っていた。


  矢沢:いいことも、わるいことも、あるよ。昔、僕が言ったこと、覚えてる? 「プラスの2を狙ったら、マイナスの2が背中合わせについてくる。プラスの5を狙ったら、マイナスの5がついてくる。プラスを狙わないなら、マイナスもこない。ゼロだ」って。で、どうしますか?って、神様が言うんだよ。俺は、若さがあったから言えたんだよ。「えい。くそ、一度の人生、オレは10狙ってやる!」ってね。そしたら、間違いなかったね、10の敵が来たよ。

  糸井:表裏がセットなんだね。

  矢沢:セットなんだから、いろんなことが足引っ張るんだよ。めんどくせーわけよ! 10の夢を見たら、案の定、10の面倒くさいことがきたよ。だけどさ、面倒くさいからとか、いやだとかで一歩も動きません、ゼロでいいです、というのは悲しい話でね。(中略)じーっとしとけば、叩かれることもなかったんだよ。ところが、じーっとできないじゃん。
             ───『新装版ほぼ日の就職論「はたらきたい」』より


 夢と面倒くさいことはセットである。夢の大きさに比例して面倒くさいことが付いてくる。あの矢沢節でこのことを言われたなら、強力な説得力をもって腹にズドンとくるでしょう。





 生きるうえで、働くうえで、いつでも、喜びは苦労と対になっている。だから、ほんとうの苦労を経なければ、ほんとうの喜びを味わうことはできない。そこそこの苦労から得られるものは、そこそこの喜びでしかない。その点を、フランスの哲学者アランは次のように言い表します。

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