/古い連中が基本と思うことは、古いパラダイムの中での話。新しいパラダイムにおいては、そんなものは根本から不要だったりする。しかし、下位互換性がないために、古い連中は、そのことを理解することさえできない。/

 学生たちからグチを聞くことが多い。映像関係で言えば、たとえばいまだに16ミリフィルムだの、6ミリテープだのの編集をやらせる。着ぐるみと火薬を使った特撮だの、ラテックスの特殊メイクだのを実習だと言う。できる学生ほど、いまだにこんなバカなことやっているんですよ、先生、と泣きついてくる。教えている連中からすれば、これこそ基本だ、と思っているらしい。だが、とっくの昔に世界の映像製作のパラダイムが変わってしまっているのだ。根本思想が異なるのだから、何が基本か、からして違っている。

 フィルムやテープは、コマが時間順序で並んでいる線形だ。しかし、現在、マルチチャンネルのレイヤーを使ったデジタルのノンリニア編集の方が主軸になっている。個々のカットやサウンドは、部品のサンプルにすぎない。これらが何層にも重なって、それぞれにフィルターやエフェクターが掛けられ、見えるもの、聞こえるものを形作っている。線形で、すぐ隣に繫ぐだけの編集ではなく、立体的に上に乗せて、短い繊維から大きな平面を織り出すような編集のイメージこそ、頭の中に図式的に構築しておく必要がある。

 特撮など、たかだか戦後の二十年間くらいはやっただけのもので、文化財として保護すべき歌舞伎や文楽のような伝統芸能でもあるまい。むしろ、CGの中に、サーボクレーンで撮ったグリーンスクリーン前の実写の演技を取り込むのが当たり前。まして特殊メイクなど、いまや夏のオバケ屋敷くらいのもの。たとえば、『パイレーツ・オブ・カリビアン』などでも、役者の演技は、体の位置決めだけ。その位置に従ってCGが動いている。

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