なつかしオモチャとカフェが合体した“空想カフェ”
『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画があるが、あれを観て懐かしい気持ちになるのは何故だろう。だってよく考えたら、自分が生まれる以前を舞台にした作品。私は体験していない世界観が押し出された物語のはずだ。メンコや蓄音機を見て「うわ、懐かしい〜!」と言ってる自分と、遡る距離の寸法が合ってない。
……とは言いつつも、このセピア色の感覚が止まらない。やはり、グッと来る。懐かしオモチャでほっこりしてる若者を目撃しても、野暮な事は言わないであげてください。
そこで発見したのは、このお店。東京・浅草にて昨年の7月にオープンしたのは、なつかしオモチャとカフェの合体したショップ。その名も「空想カフェ」である。
同カフェの店主は、おもちゃに関する著書を発表しつつ、“メンコマスター”としてテレビ番組でメンコの指導もしていた神谷僚一さん。
「元々は、オモチャ等を扱う『空想雑貨』という店舗を営んでいたんです」(神谷さん)
「空想雑貨」を開店したのは、1988年。当時は代官山などで雑貨店が多く出現した時代だったが、「そういうお店より、もっとファンタジックなものをやろう!」という意気込みで、店舗名に「空想」という言葉をチョイス。
では、なぜカフェ形態にシフトチェンジしていったのか?
「世間でオモチャのバブルが起きましたよね。そうしたコレクター熱を横目で見つつ、『そうじゃないよな……』と思っていたんです」(神谷さん)
ハッキリとした契機は、神谷さんがゲストとして呼ばれたメンコ大会で。このイベントに参加するお年寄りや子供たちの目の輝きを見て「集めるだけじゃなく、遊ばなきゃダメだよな!」と再認識。オモチャを買い集める人が集まる店舗ではなく、来て楽しめる空間にしたかった。同カフェでは、コーヒーが出て来るまでに店内のオモチャを見ていたり、可能な物なら手に取って遊んでても良い。
そして目に付くのは、その独特の店構えである。内装から外装から、極めてポップ!
「店内のデザインは、もうメチャクチャ考えました」(神谷さん)
まず、カフェスペースに設置されているイス。これは、通称“うんこビル”でお馴染み「アサヒビールスーパードライホール」の設計をしたフィリップ・スタルクがデザインしている。浅草にゆかりがあるデザイナーだ。他にも、60年代に世界で初めてプラスチックの一体成形に成功したイスがカウンターに。そのカウンターも曲線が多用されているし……。イチイチ、どこも独創的なのだ。
テーマは、“トラディショナル&モダン”。店内には1960〜70年代のオモチャが揃えられているが、この時代に対して抱かれがちなイメージに対するアンチテーゼの表明でもあった。
「あの時代にだってトンがった部分はいっぱいあるのに、レトロはくすんだものだと決めてかかられる事が多いですよね。でも、もっとファンキーなんだって知ってもらいたいんです」(神谷さん)
そのファンキーっぷりは、おもちゃ部屋に行くとよくわかる。このスペース、当時の街の小さなオモチャ屋を完全再現しており、その独特の雰囲気が魅力ありまくり! 灯りは当時の明るさにしたし、売っている商品も当時の物ばかり。棚だって、当時の木のケースを取り寄せている。
「写真で見ることはあっても、手で触れた経験の無い方が多いと思います。しっとり感がありますし、石油製品特有の匂いもありますよね」(神谷さん)
そして、肝心のオモチャたち。これが、ムチャな代物ばかりで。パッと目に付いたのは、だるまの貯金箱。「へぇ〜」と手に取ってみたら、いきなり目玉がドバっと飛び出て来て……。あれ、だるまって目が飛び出るんでしたっけ?
「出ませんよ(笑)」(神谷さん)
他にも、無闇に原色を駆使したデザインだとか、どう考えても余計な手間としか思えない仕掛けが施されたオモチャばかりだ。しかし、何でこんな不効率なことを……。
「昔は、他人と同じでは職人になれなかったんです。それじゃ、銭は取れなかったわけです」(神谷さん)
既にある物を仕上げて見せても、それは跳ねつけられる。それが、当時のオモチャ業界であった。だからこそ、当時のオモチャはアナーキーな物ばかりなのだ。
そして、興味深い事実が。1960年代、オモチャ製造に関して“浅草”が世界ナンバー1の地だったという。
「雑貨屋をスタートした当時、全国に飛び込みでオモチャを買い付けに行きました。急に訪れた私に怪訝な顔をする方も多かったのですが、『浅草から来たんです』と話すとそれだけで向こうの態度が柔らかくなるんですよね(笑)」(神谷さん)
その理由は、どれも元は“メイド・イン・アサクサ”の製品だったから。「俺が浅草で買った物が、浅草に帰っていくんだな」と、何とも言えない感慨がよぎったのだろう。結果、図らずも店内のオモチャは“メイド・イン・アサクサ”でほぼ占められているという。
そうか。当時のオモチャのヤンチャさは、浅草人のヤンチャな気性の表れでもある。
「浅草の人には、もっと元気になってもらいたいですね」(神谷さん)
面白いことが好きな人は、浅草へ。雷門とスカイツリーだけではない現実があった。
(寺西ジャジューカ)
……とは言いつつも、このセピア色の感覚が止まらない。やはり、グッと来る。懐かしオモチャでほっこりしてる若者を目撃しても、野暮な事は言わないであげてください。
同カフェの店主は、おもちゃに関する著書を発表しつつ、“メンコマスター”としてテレビ番組でメンコの指導もしていた神谷僚一さん。
「元々は、オモチャ等を扱う『空想雑貨』という店舗を営んでいたんです」(神谷さん)
「空想雑貨」を開店したのは、1988年。当時は代官山などで雑貨店が多く出現した時代だったが、「そういうお店より、もっとファンタジックなものをやろう!」という意気込みで、店舗名に「空想」という言葉をチョイス。
では、なぜカフェ形態にシフトチェンジしていったのか?
「世間でオモチャのバブルが起きましたよね。そうしたコレクター熱を横目で見つつ、『そうじゃないよな……』と思っていたんです」(神谷さん)
ハッキリとした契機は、神谷さんがゲストとして呼ばれたメンコ大会で。このイベントに参加するお年寄りや子供たちの目の輝きを見て「集めるだけじゃなく、遊ばなきゃダメだよな!」と再認識。オモチャを買い集める人が集まる店舗ではなく、来て楽しめる空間にしたかった。同カフェでは、コーヒーが出て来るまでに店内のオモチャを見ていたり、可能な物なら手に取って遊んでても良い。
そして目に付くのは、その独特の店構えである。内装から外装から、極めてポップ!
「店内のデザインは、もうメチャクチャ考えました」(神谷さん)
まず、カフェスペースに設置されているイス。これは、通称“うんこビル”でお馴染み「アサヒビールスーパードライホール」の設計をしたフィリップ・スタルクがデザインしている。浅草にゆかりがあるデザイナーだ。他にも、60年代に世界で初めてプラスチックの一体成形に成功したイスがカウンターに。そのカウンターも曲線が多用されているし……。イチイチ、どこも独創的なのだ。
テーマは、“トラディショナル&モダン”。店内には1960〜70年代のオモチャが揃えられているが、この時代に対して抱かれがちなイメージに対するアンチテーゼの表明でもあった。
「あの時代にだってトンがった部分はいっぱいあるのに、レトロはくすんだものだと決めてかかられる事が多いですよね。でも、もっとファンキーなんだって知ってもらいたいんです」(神谷さん)
そのファンキーっぷりは、おもちゃ部屋に行くとよくわかる。このスペース、当時の街の小さなオモチャ屋を完全再現しており、その独特の雰囲気が魅力ありまくり! 灯りは当時の明るさにしたし、売っている商品も当時の物ばかり。棚だって、当時の木のケースを取り寄せている。
「写真で見ることはあっても、手で触れた経験の無い方が多いと思います。しっとり感がありますし、石油製品特有の匂いもありますよね」(神谷さん)
そして、肝心のオモチャたち。これが、ムチャな代物ばかりで。パッと目に付いたのは、だるまの貯金箱。「へぇ〜」と手に取ってみたら、いきなり目玉がドバっと飛び出て来て……。あれ、だるまって目が飛び出るんでしたっけ?
「出ませんよ(笑)」(神谷さん)
他にも、無闇に原色を駆使したデザインだとか、どう考えても余計な手間としか思えない仕掛けが施されたオモチャばかりだ。しかし、何でこんな不効率なことを……。
「昔は、他人と同じでは職人になれなかったんです。それじゃ、銭は取れなかったわけです」(神谷さん)
既にある物を仕上げて見せても、それは跳ねつけられる。それが、当時のオモチャ業界であった。だからこそ、当時のオモチャはアナーキーな物ばかりなのだ。
そして、興味深い事実が。1960年代、オモチャ製造に関して“浅草”が世界ナンバー1の地だったという。
「雑貨屋をスタートした当時、全国に飛び込みでオモチャを買い付けに行きました。急に訪れた私に怪訝な顔をする方も多かったのですが、『浅草から来たんです』と話すとそれだけで向こうの態度が柔らかくなるんですよね(笑)」(神谷さん)
その理由は、どれも元は“メイド・イン・アサクサ”の製品だったから。「俺が浅草で買った物が、浅草に帰っていくんだな」と、何とも言えない感慨がよぎったのだろう。結果、図らずも店内のオモチャは“メイド・イン・アサクサ”でほぼ占められているという。
そうか。当時のオモチャのヤンチャさは、浅草人のヤンチャな気性の表れでもある。
「浅草の人には、もっと元気になってもらいたいですね」(神谷さん)
面白いことが好きな人は、浅草へ。雷門とスカイツリーだけではない現実があった。
(寺西ジャジューカ)