レアル・マドリードやレッドスター・ベオグラードなどを率いた名将、ミリャン・ミリャニッチ元ユーゴスラビア・サッカー連盟会長の葬儀が17日(火)午後、ベオグラード新墓地でしめやかにおこなわれ、オシムさんのほか、旧ユーゴスラビアの歴代のスター選手・監督たちが国境を越えて総集結しました。

ボスニアからはオシムさん、スーシッチ代表監督ら、クロアチアからはマルコビッチ連盟会長、ズボニミール・ボバン(現在イタリアでコメンテーター)、モンテネグロからデヤン・サビチェビッチ連盟会長、そしてセルビアからドラガン・ジャイッチ(元代表、元レッドスター会長)、ドラガン・ストイコビッチ“ピクシー”(名古屋監督)、シニシャ・ミハイロビッチ(前フィオレンティナ監督)、デヤン・スタンコビッチ(セルビア代表主将)など。レアル・マドリードからブットラゲーニョ、アマンシオ(ミリャニッチ氏の監督時代のレアル主将)など。(セルビアのタディッチ大統領も列席)

ボスニアの「ドネブニアワズ」紙が写真入りで報じています。
http://www.dnevniavaz.ba/sport/fudbal/75858-fudbalska-elita-na-sahrani-miljana-miljanica-pljeskali-mu-kao-treneru-reala-u-baskiji.html

(ベオグラード市議会の追悼式典で、オシムさんは最前列、ジャイッチ氏の隣。ほかにサビチェビッチ、ミハイロビッチらの顔も見えます)

ミリャニッチ監督のレッドスター、ユーゴ代表でゴールゲッターだったドラガン・ジャイッチ氏が弔辞。

「ミリャニッチは自分にとって、監督であり、先生だった。彼とともにサッカーを学んだが、それだけでなく、われわれにとって困難な時期に、彼はわれわれに人生を教えてくれた……」

オシムさんはマスコミ各社の求めに応じてコメント。(動画あり http://www.mondo.rs/motion/play.php?vid=8931)

「ミリャンのすばらしいところは、旧国家(ユーゴのこと)中からみんなが(彼の葬儀に)集まってきたことでも示されている。弔辞の中で、そのことに触れた方はいらっしゃらなかったが、わたしはミリャンの一番の特徴はそのことだと思う。みんなが、今日はここに来るべきだと思った、というそのこと自体が、彼の人柄をあらわしている。

招待状を出したり、腕をつかんで引っ張って連れてこなくとも、だれもが自分から葬儀に来ようと思うような人物。それがミリャンだ。そのことについて、一番うれしく思っているのは、おそらくミリャンの奥さんだろう。彼女は、夫のために、これまでの人生をサッカーに捧げてきた。自分の夫が、世界中からどのように評価されているのか、今日の葬儀が盛会だという事実で、よく分かったことだろうと思う。

こうした著名人の葬儀では、だれかが自分のために利用しようと画策することも、よくある話だが、そうした輩も今日はいない。これもミリャンの人徳。かれをすっきりと埋葬し、エレガントに見送ってやろうという、みんなの気持ちも伝わってくる。マスコミのみなさんにとっても貴重なことだろう。

サッカーについていえば、ミリャンの最大の功績は、サッカーを人びとを、つまりサッカーと社会とを近づけたことだ。それまでのサッカーといえば、ボールを蹴飛ばす、ついでに相手も蹴飛ばして当然というものだった。それを社会的なラインを引いた。

かれがしたことは、選手を人間として扱ったこと。選手だって、自分が大金を稼いでいたって、精神的には楽じゃない。思ったようなプレーができない場合、勝った場合、負けた場合、いずれにしても、生きていかねばならないのだからね。

そういう彼の仕事のスタイルが、(葬儀に)このように多くの人が集まるということに至ったのだ。まあ、監督として、このわたしのお手本だったというような話もしたいがやめておこう。わたしの場合は、市電と衝突したようなものだったからな(偶然の事故、まぐれで好成績をあげたので、ミリャニッチの指導を活かしたとかいうわけではないという照れ隠し、の意)」