インタビュー:平原綾香「きっと世界にも届く」
――海外に行く機会はありますか?
平原:昨年12月27日に、イム・ヒョンジュさんという韓国の歌手の方のコンサートにゲスト出演させて頂きました。――初の海外ですか?
平原:韓国はもう6回くらい行ってます。デビューアルバムが日韓同時発売されたこともあり、結構、韓国とは交流があって。イム・ヒョンジュさんが私の「明日」という曲をカバーして下さったのがきっかけでゲスト出演したんですけど、韓国語も段々分かる様になってきて。そういう嬉しさからも、自分から韓国の人に話し掛けたり、韓国語で挨拶したり歌ったり。言葉というのはその国の文化ですから、例え日本人で日本語の曲を輸出という形でリリースしたとしても、伝わる範囲は限られていると思うんです。ずっと「相手の文化を知ることで、もっと仲良くなるんじゃないかな」と考えていたので今は結構、韓国語を勉強していて。もっと中国語や台湾語とかにも手を伸ばしたいと思っているんですけれど。どこまで自分ができるか、決めつけなければ可能性はいくらでもあると思うので、語学にも力を入れたいなと思っています。――行ってみたい国はありますか?
平原:インドとか。――アジアに興味があるんですね。
平原:そうなんです。松任谷由実さんが主体となって行われた「Friends of Love The Earth」という名古屋の万博のイベントがあって。名古屋センチュリーホールが本番だったんですけれど、その前に三重の奥地でリハーサルをやったんです。チベット、ベトナム、中国、香港、シンガポール、韓国、日本…もうとにかく色んな人達が集まって、冷蔵庫も共同で使う。もう誰が何人(じん)か分からないんですね。何を話し掛けていいかも分からないし。でも朝・昼・晩、同じご飯を食べて、同じ音楽をやって、なんか分からないけど大笑いして。ただそれだけで仲良くなれたんですね。だから「音楽に国境はない」って言うけど、でもやっぱり言葉は大切なんだけど、まずは人間と人間が分かり合おうと思わないといけないんだなと、そういう結論に達したんです。「Friends of Love The Earth」を略して「Folte」となってるんですけど、「Folte」があってから、アジアを特に意識するようになって。「Folte」がなかったら、どういう道に進んでいたんだろう?と思うくらい、私には影響を与えたイベントだったんです。――ご自身で作曲もされますが、今作では3曲作詞をされていますね。
平原:時間がなくて自分の曲を入れることができなくて。ちょっとでも自分を表現したいと思って、一生懸命書きました。――普段から歌詞を書きとめられているのですか?
平原:歌詞はケータイとかパソコンで書き溜めてますね。何か少しでもエッセンスがあったら書く。ケータイで書いた歌詞をコンピューターに送って。――歌詞のインスピレーションを受けるのは、普段の生活の中からが多いですか?
平原:普段の生活の中からが多いかな?元々、歌詞を書くのがとても苦手だったんです。「曲を書く方が断然楽勝じゃん!」みたいに思ってたんですよ。それが一気に逆転したんですね。今まではもう歌詞を書くのが辛くて、生殺し状態だったんです。でも歌詞は自分で書きたい、想いがあるから。歌詞を作ったり曲を書くのも、デビューアルバムが初めてだったので仕方ない話かもしれないんですけど、どうしても書けなかったんです。けど、それは自分のことだから恥ずかしくて書けなかったんですね。オブラートに包んで書けばいいのに、オブラートにオブラートを包んで、またそのオブラートの上にオブラートを掛けたことで結局、何が言いたいのか分からない歌詞になってしまったり。そういうことがあって「才能が無いのかな?」と思ったこともあったんですけど、人間やれば出来るんですね。何か方法を変えてみたら出来ることもあって。まず一つは「自分ではないものを意識する」というで、「私」ではなく「僕」という言葉を使うことによって、小さい子供の気持ちが分かったり、男性というよりも男子かな?まだ心が揺らいでる時期や思春期に何か思うことを書き表すことが出来るんじゃないかと、そういう手段をとったりました。