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 ◇ワールドシリーズ第1戦 ドジャース6×ー3ヤンキース(2024年10月25日 ロサンゼルス)

 ドジャースのフレディ・フリーマン内野手(35)が25日(日本時間26日)、本拠で始まった第120回ワールドシリーズ(WS、7回戦制)の第1戦に「3番・一塁」で先発出場。延長10回に劇的なサヨナラ満塁本塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。

 初回2死から左翼線へ鋭い打球を放つと、左翼手・バードゥーゴがクッションボールの処理に手こずっている間に負傷中の右足の痛みをこらえ、全力疾走。三塁打でチームを鼓舞した。

 2打席目以降は凡退が続いたが、2−3の延長10回2死満塁の第5打席でサヨナラ本塁打。前の打者、ベッツが申告敬遠で勝負を避けられすべての塁が埋まった状態で打席に入ると、相手6番手左腕・コルテスの初球、内角92・5マイル(約148・9キロ)の直球をフルスイング。打った瞬間、確信した特大の本塁打がドジャースファンの待つ右翼席に飛び込み、ガッツポーズをしながらダイヤモンドを一周。最後は本塁で待ち受けていたナインからもみくちゃにされながら生還し、延長戦に入った激闘を一振りで締めた。

 ワールドシリーズでのサヨナラ満塁本塁打は史上初、ポストシーズン全体では2011年ア・リーグ優勝決定シリーズ第2戦のネルソン・クルーズ(レンジャーズ)以来、史上2人目となった。

 

 試合後、フリーマンは「素晴らしかったよ」と劇的な勝利に満足顔。「過去、数カ月はいろいろなことがあり、粘り抜いて来た。このゲームを長い間プレーしてきたが、歴史の一部になれるのは素晴らしい」と自画自賛した。

 目の前でベッツが歩かされ「今季を通じてみてきたこと。翔平を歩かせてムーキーと勝負し、ムーキーを歩かせて私と勝負してきた。それが私たちの打線の素晴らしさだ。打線の中のどこでも、左対左でも(投手には)厳しいマッチアップ。二、三塁になったとき、自分と勝負してくると思った。シンプルにボールを見て、打とうと思った。幸運にもそれができた」とシーズンを通してそういった状況があったことから覚悟していたとし、満塁本塁打という最高の結果に胸を張った。

 そして「ファンのエナジーは凄かった。今週はみんながこの(ワールドシリーズの)話をしていた。こんなふうに初戦を取れたのはいいことだ」とファンと一緒に勝利を喜べたとうなずいた。

 さらに「(WSでの逆転サヨナラ満塁弾は)5歳の頃、2人の兄と庭でウィッフルボール(野球原案のスポーツ)をプレーしている時に夢見るような種類のシナリオだ」と子供の頃に遊びで思い描いていたことが現実で起きたと白い歯を見せた。

 ワールドシリーズでのサヨナラ満塁本塁打は史上初と聞かされると「本当か?それはとてもクールだ。すごいことだ」と驚きを隠せない様子で「このリーグに15年いて、35歳になってもこういった瞬間の一部になることを夢見続けてきた」と目尻を下げた。

 この日は父もスタンドで観戦。「最前列に座っていた。物心ついたときから私の打撃投手を務めてくれた。私の今のスイング、アプローチがあるのは父のおかげだ。今の私があるのは父のおかげだ」と感謝を忘れず、だからこそ、サヨナラ満塁本塁打に「父が多くの人たちとハグしているのが見えた。多くの打撃練習をこなし、フィールドで長い時間を一緒に過ごしてきた。今でもオフには一緒に練習し、打撃投手を務めてくれる」と自分のことのように喜んでくれたと笑った。

 そして「(打席時には)父がナーバスになっているのはわかっていた。父と少し時間を過ごしたかった。父と一緒の時間が欲しかった。父が打撃投手をしてくれなかったら、彼がベースボールを愛してくれていなかったら、私はここにはいなかった。フレッド・フリーマン(父)のための瞬間だった」と胸を張った。

 

 今季は7月末に三男・マキシマム君がギラン・バレー症候群」を発症。フリーマン自身も約10日間、チームを離脱。8月中旬には右手中指を骨折。シーズン最終盤の9月末には右足首を捻挫。今も足に痛みは残る。

 度重なるアクシデントもありながら、チームの勝利のために身を粉にプレーに徹した。世界一まであと3勝。このまま突っ走る覚悟だ。