大山のぶ代さん(撮影・平井慎自)

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 アニメ「ドラえもん」の声優として知られた大山のぶ代さんが、9月29日に老衰のため亡くなったことがわかった。享年90。2017年に亡くなった夫の砂川啓介さんは、認知症を患った大山さんとの生活を、週刊新潮に次のように語っていた。

(2015年5月28日号掲載記事を元に再構成しています)

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【写真】大山のぶ代さんと砂川啓介さんのツーショット

「夜の11時頃、僕はいつも寝室で軽く一杯飲むんです。米焼酎『しろ』のロックがお気に入りなんだけど、そんなときにガチャと扉が開き、ペコが『おはようございます』と入ってくる。『夜だから、おやすみなさいでしょ』と、なだめながらベッドに戻すんですよ」(砂川氏)

 こんな風に、ペコこと妻・大山のぶ代さんの病状を語るのは、夫で俳優の砂川啓介さんである。東京・中目黒にある敷地35坪、3階建ての邸宅。彼女は3階の一室で、認知症とたたかっている。その逐一は後ほど記すとして、7年前に彼女を襲った脳梗塞のことから語ってもらおう。

大山のぶ代さん(撮影・平井慎自)

「彼女が脳梗塞に倒れたのは、2008年4月24日のこと。この日の朝、『声が出ないの』と言うのです。当時、学校長を務めていた専門学校へ何とか出かけて行きましたが、その後に本人から『今、慶応病院にいる』と電話。急いで向かうと、担当医から『今晩、血栓が飛ぶことは避けられない。長嶋茂雄監督のように、身体をうまく動かせなくなる可能性があります』と告げられた。案の定、血栓が飛んでしまいましてね。結果、前頭葉をやられたようで、身体ではなく記憶の方に障害が残ってしまった。

 緊急入院から1カ月、リハビリを始めました。知能回復のためのメニューをこなすわけですが、例えば1+1が答えられない。あるいは、アルファベットの書かれたカードを机の上に並べて『Aだけ集めなさい』と指示されても、それができない。彼女も自分自身にいら立ったんでしょう。『もう、なんでこんなことをしなければいけないの!』と、積極的にメニューをこなすことはなかったんです。本人が嫌がっていることもあって、僕もリハビリに付き添いませんでした。

 都合4カ月に及んだ入院生活を経て、戻ってきたペコを見たとき、改めて別人になったと実感しました。一番の驚きが煙草のこと。もともと彼女はヘビースモーカーだったんです。ラークの軽いやつを日に最低2箱は吸っていた。ところが、居間や寝室などあちこちに置いてある灰皿を不思議そうに眺めている。で、『これなあに?』と聞いてくる。つまり、煙草を吸っていたことを忘れてしまったんですね。

 料理についても同様です。ペコはレシピ本を何冊も出していて、友人にしょっちゅう手料理を振る舞っていた。退院してすぐに台所に立たせたところ、焦げ臭いにおいが……。鍋が空焚きになっていたんですが、本人は平然と野菜を切っている。鍋を火にかけたことなんて、頭からすっかり抜け落ちてしまっているのです。それ以外にも、電気をつけたらつけっ放し、冷蔵庫の扉も開けっ放し。Tシャツを裏返しに着ても気にしないといった具合でした。

 そうは言っても、認知症ではなく脳梗塞の後遺症だと僕は思っていた。月に一度、慶応病院に通っていましたが、先生の問診には『大丈夫です、元気いっぱいです』と、はきはき答える。今となっては、女優としての本能がそうさせたのかという気がしますが、当時は全く見抜けなかった。

 月日が経って2年前のことです。医師の勧めもあって、脳の精密検査を受けたところ、アルツハイマー型の認知症と診断されました。先ほど触れたように、記憶障害は脳梗塞の後遺症だから治るものだと考えていたので、愕然としましたね。彼女が認知症だという現実を受け入れられなかったし、そのことは公表しないでおこうと決めました。だって、みんながペコに抱いている、あの元気で明るいイメージを崩したくなかったものですから」(砂川氏)

 筑波大の朝田隆・名誉教授によると、

「脳梗塞が、大山さんの罹っているアルツハイマー型認知症に関係している可能性は十分にある。血栓ができたり血の巡りが悪くなると、『アミロイドβ』と呼ばれるタンパク質が脳内で蓄積されやすく、認知症リスクが高まると言われています。加えて彼女は糖尿病も患っていますね。その場合、アルツハイマー型認知症になる確率が2倍に膨らむという統計があるのです」

「2、3人いるわ」

「もっとも、病名が認知症だとはっきりしただけで、生活そのものは、それ以前と以後で変わったわけではありません。ペコは正午ごろに起き、僕が作った朝食と昼食を兼ねたブランチを摂ります。『ご飯だよ』と声を掛けると、『はーい』と返事をして3階の自室からリビングのある下の階に降りてくる。だいたい和食が多く、服用薬との兼ね合いで、ホウレンソウやブロッコリー、納豆以外の食材を使って調理しています。食事が終われば部屋に戻って横になる。そして午後6時ごろからは夕飯で、それを済ませると再び自室へ。食べて寝る、それが基本的なスタイルです。

 ここからは、具体的な症状についてお話ししましょう。まず味覚については、かなり鈍ってきていると見ています。というのも、前の日に『美味しい』と完食したものを、明くる日には『まずい』と言って残すことがお決まりのパターンですから。あるいは食事後、漬物が入ったタッパーに食べ残した肉を重ねて蓋をし、冷蔵庫に戻したこともありました。正常な味覚の持ち主なら、そんなことはしないはずです。

 次に、『衛生面での無頓着さ』についてです。これは認知症の典型的な症例のひとつで、とにかくお風呂を嫌がる。それでも週に2度、女性のマネージャーに入ってもらっています。トイレもしかりで、独りで用を足すことはできるのですが、流さずに出てくることがしばしば。また、お尻などをきれいにしないまま、下着をはいてしまうことも時折あります。

 実はかれこれ40年、僕らは寝室が別なんです。彼女が死産を経験して、いわゆる妊娠恐怖症になり、お互いの身体に触れることがなくなった。僕が30代のころの話で、結果として、色んな女性と関係を持つことになりました。芸能人にダンサー、そして一般の方もいて、まあ、それもペコは黙認していたんですよ。でも今や、そんなこともすっかり忘れて、僕がベッドまで連れ添うと、両手を広げてハグを求めてくるんです。当初は、接し方が難しくてかなり戸惑いました。

 差し当たって、彼女の寝室のドアは開けたままにしています。そうすることで、何か異変があってもすぐにわかりますから。一例を挙げると、ボソボソ変な声が聞こえてきたことがありましてね。ペコによると、話し相手は彼女が16歳のときに亡くなった母親で、『“気をつけなさい”と言われた』と。要するに幻覚症状が出ているんです。居間にいるときも『あそこに2、3人いるわ』とこぼすことがありますよ。

 続いてテレビにまつわるエピソードです。もちろん『ドラえもん』も含めてあれこれと見ていますが、内容を理解しているわけではないでしょう。それどころか、テレビに対して、要領を得ない言葉を投げかけたりするのも日常茶飯事。あるときには『チャンネルが替わらない!』と怒っていたことがありました。何のことはない、エアコンのリモコンをテレビに向けて、一生懸命ボタンを押していたんです。

 運動に関して言うと、本人はあまり外に出たがらない。無理にやらせるのも酷なので、外出は月に一度、通院するときだけです。ペコはたいていの場合、叫んだり暴れたりしないし、徘徊することもありません。とはいえ彼女と1日ずっと過ごし、介護のことばかり考えると、どうしても気持ちが塞ぐ。ですので、家政婦やマネージャーに彼女を任せ、知人と夕食を食べに出るなど、適度に息抜きをするように心がけています。

遺言状も作成

 看病生活で何が一番つらかったか? う一ん、『僕の言った通りに、どうしてできないのか』と怒鳴ってしまったことです。病気が治ると信じていたころは、特にそういうのが多かった。これに対してペコは、反論もしないでしゅんとなってしまう。やっぱり可哀そうでね、とにかく自己嫌悪の毎日でした。

 今回お話ししたきっかけは、つい先日、友人の毒蝮三太夫に『妻の病状で嘘をついて、周囲に迷惑をかけているのが耐えられなくなった』と相談したことです。これに対して彼は『絶対に表に出した方がいい。先にお前が逝ったらどうするんだよ』と言ってくれた。それで踏ん切りがついたんです。僕に万一のことがあったときに備えて、遺言状も作成しました。

 今はホッとしているし、むしろもっと早く明らかにすればよかったとも思う。もしあなたの家族の誰かが認知症なら、それを周囲に隠すより打ち明けた方がいい。それだけで少し心が軽くなりますから。

 最後に仕事についてですが、『台本を持つと打って変わってしっかりする』とマネージャーは言います。仮名はもちろん、簡単な漢字も読めるみたいだし。でも、映像を見てそれに声を当てるというのは、もう無理なんじゃないかな。

 その一方で先月、感心したことがありました。僕の新しいCDを録音するにあたって、ペコの声も入れようということになったんですよ。自宅1階のカラオケルームで彼女にメモを渡すと、それをドラえもんの声で読み上げた。声の出し方だけは、しっかりと頭に刻まれているんでしょう」(砂川氏)

 前出・朝田教授による総括。「今回の公表で、芸能人だからと言って外出を遠慮し続ける必要もなくなったことでしょう。認知症患者は、記憶障害のほかに、“まあいいや。もうやめておこう”など、うつ病に似た状態に陥るケースがままあります。そういった喪失感を取り払うには、楽しむことが大事。外部とのふれあいが少し増えるだけでも、病状改善につながることがあるのです」

デイリー新潮編集部