会社員なら知るべき「人数」が超重要な科学的根拠
部署の人数が多すぎて、信頼関係が築けなかったり、派閥ができたりすることはよくありますが、その背景には進化がもたらした人間の生得的な傾向があります(画像:takeuchi masato/PIXTA)
友だちの数、生産性の高いチームのメンバー数、縦割り化する会社の社員数……。これらの人数は、進化心理学者のロビン・ダンバーが発見した「ダンバー数」や「ダンバー・グラフ」に支配されている。古来より人類は、「家族」や「部族(トライブ)」を形作って暮らしてきたからだ。
メンバー同士が絆を深め、信頼し合い、帰属意識をもって協力し合う、創造的で生産性の高い組織を築くためには、このような人間の本能や行動様式にかんする科学的な知識が不可欠である。今回、『「組織と人数」の絶対法則』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
集団の規模の問題は無視されがち
チームやグループについて考えるとき、私たちは機能や責任に注目し、価値の創造や関係する人の能力に配慮する。だが規模について考えることはまずない。
順調に機能するには部署が大きすぎるということがあるだろうか。チームが与えられたタスクに向かないということがあるだろうか。
組織にときたま出現する有害な文化――「我ら」と「彼ら」の精神構造――は、組織内のグループの規模によって説明できるだろうか。会話が収拾つかなくなるのはどのような場合か。
数学者のブノワ・マンデルブロが雲を「重なり合う波」の微小な複合構造体と見なしたように、組織の中の小さなクラスターやごく小さなグループに焦点を合わせることに利点はあるだろうか。
組織は財務コストの測定は得意でも、失われた人的資本(巨大企業というタンカーから漏れ出たエネルギーや才能、忠誠心、自発的な努力)の無形コストの測定は得意ではない。
私たちは利益については知り尽くしているが、組織内の各人の信頼性や果敢さが正しく認識され、伸ばされ、結集されていたとしたら、どれほどの利益が得られたかについては知ろうとしない。
また、諸経費を計上する一方で、信頼性の低下によって生じる、余分な中間管理職層や過剰な規則による制限、本来は不要だったノルマにもとづく評価や職場支援、常習的欠勤や顧客離れ、無駄を見過ごす。
何より、次なる目標やアイデアを追うことに懸命なあまり、人間の本質や相互作用の不変性を見過ごしてしまう。
組織がうまく機能するかどうかは、集団の規模に大きく左右される。このことを理解するために欠かせないのが、ダンバー数として知られる数字である。
「ダンバー数」とは何か
ひとことで言えば、ダンバー数とは1人の人がある時点で人間らしい関係を維持できる人数の上限を意味する。
これを知るには、個々の人に自分が人間らしい関係にある親友や親族をリストアップしてもらう。あるいは、その人たちが電話、携帯メール、パソコンなどで連絡する相手をマッピングしてもらう。フェイスブックその他のソーシャルメディアで接触する友だちの数を調べてもいい。
まったく別の方法もある。狩猟採集社会から歴史的集落、教会の会衆などの大きさ、現代の科学協力ネットワークのように、過去や現代における自然集団の典型的な規模をチャートにする方法だ。
だが計算法をどう変えようと、答えはほぼ100人から200人の範囲内に収まる(図1参照)。30ほどのデータセットの平均は155人になる(図1参照)。
図1 ネットワークサイズ(友人と家族から成る私的ネットワークのサイズ)、携帯電話のデータセット内で1年間に電話をかけた相手の数、オンライン・ソーシャルメディア・プラットフォーム内のコミュニティサイズ、電子メールのアドレスリスト、アメリカの結婚式の招待客リスト、科学者のネットワーク(共著者ネットワークと下位の学問分野のサイズ)、狩猟採集民のコミュニティサイズ、11世紀から18世紀におけるヨーロッパの歴史的村落のサイズ、教会の会衆サイズから推定した自然コミュニティサイズの中間値(±1標準偏差値)。点線は150人の予測値近傍の信頼区間(すべての推定値の95%が減少すると予測される範囲)を示す。Dunbar, R. I. M., ‘Structure and function in human and primate social networks: implications for diffusion, network stability and health’, Proceedings of the Royal Society, London, 476A, 20200446, 2020.
この数値はたいてい便宜上150人に丸められる。これが現在知られるところのダンバー数である。
私的な社会的ネットワークにおいては、ダンバー数は人が相手に対して義務感を覚える最大の人数と定義される。
この人数は、ある程度規則正しい頻度で会う人(たとえば、少なくとも年に1回)で、知り合ってから長い人の数ということになる。もし助力を乞われたら、見返りがないとわかっていても願いを聞き入れる相手の数だ。
この150人より疎遠な関係の人に対しては、私たちは利他的行動を取るのにより慎重になる。遅かれ早かれ(できれば早めの)見返りを期待するようになる。
それは、はじめから決まっている約束事であることが多い。あとで金を払うか恩返しするのであれば、私もあなたを助けるということだ。150人の境界線の外では、相互関係は一種の取引のようになる。
150人の上限が重要であるのは、コミュニティの規模がこれを超えない限りにおいて、大多数の問題は民主的な直接交渉で簡単に解決できるからだ。だが、この上限を超えると「スケーラー・ストレス(Scalar Stresses)」が生じて、集団がどんどん不安定になる。
交渉が難しくなり、コミュニティ内の情報の流れが滞り、物事が思い通りに進まない。相互に連絡不可能なサイロ(派閥や縄張り意識)が生まれ、人々は疑心暗鬼になって相手を信用しなくなる。こうなると、何らかのより正式な管理システムによって社会関係と業務を管理するしかない。
コミュニティの人数の上限
スケーラー・ストレスを解消するには、もちろん集団や組織の人数が150人を超えないようにすればいい。この手法を取り入れているのがフッター派(東ヨーロッパからの移民)とアーミッシュ(スイスやフランスのアルザス地方からの移民)だ。
原理主義キリスト教派アナバプティストの流れを汲むこれらの人々は、前者がおもにノースダコタ州とサウスダコタ州、後者が主にペンシルベニア州でいずれも農業や酪農を営んで暮らす。
彼らの昔ながらの生活様式、19世紀さながらの衣服、古めかしい言葉づかい、近代テクノロジーの拒絶(アーミッシュは自動車に乗らないし、ラジオを聴くことすらない)は外部の人の微苦笑を誘う。
だが、彼らは規模にかかわる非常に今日的な教訓を提供してくれる。
民主的なコミュニティを150人に維持すれば、法律、規制、階層、警察などが不在でも、対面の対話によって商売上の取決めや社会問題に対処できると確信しているのだ。
誰もが全員を知っているので、みなコミュニティ全体に対する義務感を負っている。共同体であるという感覚を保つため、コミュニティが大きくなりそうなときは分割し、近くに新たな娘農場を設立する。
ここ100年で、フッター派コミュニティが分割されたときの規模は平均で167人だった。
分割時にこれほど上限を超えているのは、コミュニティの規模が150人を超えている期間があまり長くてはいけないという条件と、50人前後と150人前後に分割できるほどには大きいという条件とのあいだで折り合いをつけねばならないからだ。
なぜなら、50人前後や150人前後のコミュニティに比べて、100人前後のコミュニティは安定性が低く、すぐに分裂するからだ。
中間の人数では何かがうまくいかず、コミュニティ内の人間関係が不安定になり、早すぎる2度目の分割につながるようだ。
会衆が150人を超えた教会が抱える問題
伝統的なキリスト教派でも同様の傾向が報告されている。ここ20年にわたって行われた広範な研究によると、教会の会衆が150人の上限を超えると問題が起きるという。
信徒たちの信仰心が冷めて、1人当たりの献金額が減り、教会が自分たちのニーズに応えていないと感じはじめる。一方の牧師も会衆全員を知るのは難しいと感じ、個々の人の期待に応えられない。
これを解決するには、会衆を分割して別の場所に娘教会を設立するか、牧師の数を増やして会衆の小グループごとに専任牧師にするなどの方法がある。これで正式ではないにしても管理構造ができ上がる。
いずれにしても、1人の牧師や司祭が効果的に対処できるのは150人以下の会衆であり、この規模のコミュニティは大規模なコミュニティに比べて不安定な関係に悪影響を受けにくいという不文律があるようだ。
そうなる理由の1つは、物理学者のブルース・ウェストらが示したように、どうやら150人というコミュニティ規模が決定的な転換点らしいということにある。
ネットワークの規模がその数字に向かって増えるにつれて、システム全体の情報の流れが着実によくなる。
ところが、150人を超えると、情報の流れが驚くほど鈍る(図2参照)。コミュニティが150人を超えると何かが変わる。日常的に出会うことがもはやなくなるのだ。
こうなると、人々はサイロを形成してその中でのみ話すようになる。それまで見事に調和し組織化されていた人々が、一夜にしてライバル意識と非効率に支配される。
図2 異なるサイズの社会的ネットワーク内における情報の流れの効率。効率は0と1のあいだで変化する。0.5の値(水平な点線)はランダムな情報の流れを示す。0.5を超える値は効率の増加を、0.5未満の値は非効率の増加を示す。効率はグループサイズとともに着実に増加するが、サイズが150(縦の実線)を超えると急激な減少に転じる。West, B., Massari, G. F., Culbreth, G., Failla, R., Bologna, M., Dunbar, R. I. M. & Grigolini, P., ‘Relating size and functionality in human social networks through complexity’, Proceedings of the National Academy of Sciences, USA, 117, pp. 18355-18358, 2020.
言い換えれば、150人はコミュニティにとって最適な規模であるが、同時に成立させることが不可能な2つの機能間の妥協の産物なのだ。
つまり、150人は直接、間接を問わず相互作用できる人数の最大値である。そして、それを境に社会関係の効率または質が低下する人数でもあるのだ。
力学系の数学では、このような点は「アトラクター」と呼ばれる。それは何も力を加えなければ系が自然とそこに向かう点である。系がその点でもっとも安定するからだ。
組織を分割しながら成長させる方法
企業組織にかんする著書『想像力(Imaginization)』で、トロントにあるシューリック・スクール・オブ・ビジネスの名誉教授で組織論が専門のガレス・モーガンは、観葉植物として人気の高いオリヅルランの比喩を用いて、つながった構造を壊さずに分割すれば、健全な成長が可能になると述べている。
オリヅルランは子株が親株から分岐することで分散した親─子ユニットから成る構造をつくる。これが健全なヒト組織のモデルだというのである。オリヅルランの一体感は、親株と子株をつなぐランナー(匍匐[ほふく]茎)によってつくられる。
ヒトの組織では、一体感は一連の最小限度の仕様(いわゆるミン・スペック)または行動原則、あるいは組織全体を結びつける共有された目的によって得られる。
モーガンによれば、これが会社を「不都合な状況」を乗り越えて何度も成長させる構造であるという。
(翻訳:鍛原多惠子)
(トレイシー・カミレッリ : オックスフォード大学研究員)
(サマンサ・ロッキー : オックスフォード大学研究員)
(ロビン・ダンバー : オックスフォード大学名誉教授)