「鉄板会議2024」終了後、集合写真におさまる関係者ら(撮影・藤丸紘生)

写真拡大

 たこ焼き、焼そば、お好み焼き…日本を代表する食文化のひとつ「粉モン」。その歴史や全国各地の特色などについて有識者を交えて語り合い、文化を未来へ継承するためのイベント「食文化100年継承・鉄板会議2024」が4日、大阪・YES THEATERで開催された。同イベントは2022年から毎年開催され、「お好み焼き」(22年)、「焼そば」(23年)に続き、今年は「たこ焼き」がテーマ。日清製粉ウェルナの石井公貴氏が登壇し「たこ焼粉」の歴史と展望について語った。

【写真】だいぶイメージが違う!発売当時の「日清 たこ焼粉」パッケージ

 同社が「日清 たこ焼粉」を発売したのは1986年のこと。石井氏は「関西ではたこ焼きは食文化に根付いているものでしたが、関東では『おやつ』のひとつだった」と当時のたこ焼き事情を振り返った。

 食文化の普及・継承を目的に設立された「日本コナモン協会」の公式サイトによれば、1935年に大阪たこ焼きの元祖とされる「会津屋」初代の遠藤留吉さんが「ラヂオ焼き」の生地の中にタコを入れた「たこ焼」を開発。戦後、1948年に濃厚ソースが生まれ、「たこ焼にソース」という定番スタイルが関西では確立されていった。しかし、関東との温度差は色濃く存在していた。

 同社は1985年に「日清のお好み焼粉」を発売しており、その翌年に「日清 たこ焼粉」を発売することで、関西の粉モン文化を全国的に定着させる狙いがあったという。また、ホットプレートの家庭への普及率が90年代初頭で70%、中頃で80%まで広がり、全国的に関西の粉モンが広まる下地となった。

 さらに、ひとつの転換となったのは2010年。発売当初からチャックがない包装形態で販売していたが、ユーザーの要望に応えるかたちでチャック化した。石井氏によれば、2010年はたこ焼粉だけでなくさまざまな商品がチャック化し始めた頃で「当時、営業を担当しており、よく流通のバイヤーさんから『チャックをつけてほしい』という声をよくいただいた」と回想した。

 今後の「たこ焼粉」の展望については、関東エリアでの消費量などまだまだ市場としてポテンシャルが眠っていると指摘。手づくりのたこ焼きには「エンタメ性」「万人に愛される魅力」「具材の幅広さ」があるとし「外食としてのたこ焼きも盛り上がっている中ではございますが、弊社としては家庭用のたこ焼きも盛り上げていきたい」とまとめた。

(よろず~ニュース・藤丸 紘生)