原千晶

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原千晶いじめ体験語る

 俳優でタレントの原千晶(50)は、高校1年生の時にいじめにあった。ある出来事をきっかけに、クラスの全員から無視されたのだ。自宅での引きこもり生活を経て、別の高校に再入学し友達を得て、楽しく過ごしたという。原を救った母親の言葉とは。(全6回の第5回)

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 高校時代は辛い経験がありました。最初に入った高校で、1年生の夏休みに友達とちょっとしたトラブルがあったんです。張り切って友達をいっぱい作ろうと思っていた矢先のことでした。

原千晶

 きっかけは、夏休み中に友達が私の家に泊まりにきたことです。帰り際に、その友達からは「泊まったことは誰にも言わないでね」と言われていました。ただ、ほかの友達と電話で話している時に、うっかり「○○ちゃんが泊まりに来たんだよね」って言ってしまったんです。

 それが、泊まりにきた友達の耳に入ってしまい、彼女が怒ってしまったんです。少しモヤモヤした気持ちがしながら、2学期に学校に行くと、クラスの誰も口をきいてくれませんでした。

「何かの間違いじゃないか」と思ったんですが、全員から無視されるようになっていました。1週間ぐらいは頑張って学校に通ったんですが、誰も話しかけてくれなかった。本当に辛かったですね。

 お弁当も1人でポツンと食べていました。何か嫌がらせを受けたわけではないんですが、誰も声をかけない、目もみない。クラス内には同調する雰囲気が流れていました。先生もその状況には気づいていましたが、何もできなかったんだろうなと思います。

 もう本当に地獄でしたね。

 母親には何でも話す方だったので、相談すると「泊まりにきた子と話してみたら」と言われて、電話してみたんです。でも、本人には取り次いでもらえませんでした。もうダメだと思って、学校には行かなくなりました。

 1、2カ月すると、周りの友達が根負けしたのか、ポツポツ電話をくれて、「学校においでよ」と言ってくれたんです。それで、ある時、何カ月ぶりかに思い切って学校に行ったんですが、やっぱり誰も声をかけてくれませんでした。

ポロポロと涙が

 しばらくすると、先生から連絡がきて「とにかく2学期はあと1日も休まないで来ないと留年だぞ」と言われていました。そのころ、ちょうど体育祭があって、行ってみたんです。そこでも誰も話してくれず、1人でお弁当を食べました。

 お弁当を開けたら、もうポロポロ、ポロポロと涙が止まらなくて……。たぶん、お母さんとしては、「よかった。やっと学校に行ってくれる」と思って、めっちゃ張り切ってお弁当を作ってくれたんですよね。中には、私の好きなものがたくさん入っていて、すっごい豪華だったのを覚えています。

 私、海苔の佃煮の「ごはんですよ!」が大好きなんですが、それがご飯の上にのっていて……。それを見て、下を向いて、ポタポタと泣いていました。「やっぱり、学校には行けないや」と思って。

 結局、2学期はほとんど学校に行けなくて、3学期は1日も行けなくて、留年が決定して、その学校をやめました。

 学校に行ってない間は、ほとんど自分の部屋に引きこもっていました。朝にまず弟が出ていき、お父さんが出て、パートをやっていたお母さんが出ていくんです。家に誰もいなくなってから、自分の部屋を出て、用意された朝ご飯を食べていました。

 それから、「笑っていいとも!」「ごきげんよう」を見て、昼ドラマを見て、ずっとテレビを見ていました。夕方になったら弟が帰ってくるので、また自分の部屋に戻って引きこもっていました。

 当時はインターネットもないので、部屋では本を読んだりしていました。本当に病んでいたので、言えないようなひどい行為をしたりして、親にばれてすごく怒られましたね。

 高校は別の学校を受けなおして、再入学しました。1つ年が上でダブって入っているので、それがバレたくないから、極力友達は作らないようにしていました。1年生の間は、なるべく誰とも口をきかずに、授業を受けて、帰るみたいな生活をしていました。

逃げて正解だった

 でも、私はこういう性格なんで、友達が欲しくてしょうがない。それで、2年になったら、たまたま声をかけてきた子と、急速に良くなりました。もうそこからは“コギャル”一直線で、やまんばみたいな格好をしていました。

 ルーズソックスをガンガン履いて、校則をバンバン破って……。親としては、「もう学校に行ってほしいけど、こうなってほしいとは思わなかった」と残念そうでした。ただ、母親は「友達と楽しそうだから、もうそれならいいや。人様に迷惑さえかけなければいい」と、かなり寛容に見てくれましたね。

 すごく楽しい高校生活を2年送って、そのまま、本当に“パリピ”な感じになっていきました。その後、ファッション雑誌などに出させてもらうようになったんです。

 振り返ると、あのまま最初の高校にいたら、本当にヤバかったです。狭い世界にいて、そこから逃げ出した形になりましたが、逃げて正解だったなと思います。母親からは「あなたは悪いことをしていない。自信をもっていきなさい」と言われて、その言葉は支えになりましたね。

 第6回は、クラリオンガールに選ばれ、芸能界入りした当時を振り返る。

原千晶
1974年、北海道生まれ。94年、「クラリオンガール」に選ばれ芸能界デビュー。2011年、「よつばの会」を設立。

デイリー新潮編集部