入院中、苦しむ中でひ孫に渡した【最期のプレゼント】→ 祖母が震えた文字で書いた中身に「宝物だ」

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祖父母にとって孫の存在は目に入れても痛くないほど可愛いといいます。筆者の祖母もそんな一人でしたが、筆者に子どもが生まれると、祖母はひ孫である私の息子をとても可愛がってくれました。そんな祖母が亡くなる直前に渡してくれた最期のプレゼントとは? 筆者の体験談をご紹介します。

大好きな祖母

私の母方の祖母は、私が小さい頃から本当に私のことを可愛がってくれた人でした。
私の母の身体が弱かったこともあり「お母さんを丈夫に産んであげられなくてごめんね。」と私を気遣ってばかり。
私が結婚して子どもが生まれた時も、誰よりも喜んでくれて、遊びに行くとひ孫である私の息子にまでとても良くしてくれました。

私は息子が1歳になる前に離婚し、実家に戻ったのですが、母の体調が安定せず、育児と仕事に加えて、母の介護も担うことになりました。
祖母はその頃すでに90代でしたが、とても元気な人で、電車で1時間ほどかかる実家によく顔を出してくれました。食料の差し入れや私の息子へのプレゼントなど、経済的な支援を続けてくれていたのです。

入院

祖母が94歳になった頃、急に体調を崩して入院することに……。
精密検査の結果、膀胱がんであることがわかり、年齢的に外科的な治療が難しいと言われました。
祖母はとても気丈な人だったので、告知も自分で受け、叔母(母の妹)と一緒に病院にいながら終活も始めていたそうです。

祖母が入院して1ヶ月ほど経った頃、叔母から連絡があり「そろそろ危ないかもしれないから、みんなでおばあちゃんのお見舞いに来た方が良いよ。」と言われました。
私と母と息子の3人でお見舞いへ行くと、あんなに元気だった祖母が酷くやつれて、辛そうに呼吸をしていました。
それでも私たちが「おばあちゃん、来たよ。」と声を掛けると、祖母はしっかりと目を見開き「あぁ、来てくれたのね。ありがとう。」と嬉しそうに笑ったのです。

最期のプレゼント

祖母は叔母に向かって「あれ、渡してあげて。」と苦しそうに言いました。
叔母は祖母の大事にしていたカバンから小さな包みを取り出し、私の息子に「お誕生日おめでとう。これ、大きいおばあちゃんからのお祝いよ。」と言って渡してくれたのです。

その包みには震える文字で「Rくん(息子)おたんじょうびおめでとう! 大きいおばあちゃんより」と書かれていました。
確かにお見舞いに行った日の3日後は息子の誕生日だったのですが、こんな状態になってもひ孫の誕生日をお祝いしてくれようとするおばあちゃんに、私は感謝の気持ちでいっぱいになりました。

宝物

その後、祖母は他界。
まるで眠っているようなとてもきれいな顔をしていました。

保育園児だった息子は成人しましたが、祖母が最期にプレゼントしてくれたのは、半紙にくるまれた1万円だったそうです。
息子のお財布の中には、祖母から最期にもらったプレゼントが大切な宝物のように入っています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2024年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:RIE.K
国文学科を卒業し、教員免許を取得後はOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。介護士として働く。さらにシングルマザーとして子供を養うために、ファーストフード店・ショットバー・弁当屋・レストラン・塾講師・コールセンターなど、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。