抗争していた「一和会」のヒットマンに射殺された竹中正久・山口組四代目組長

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 39年前「山一抗争」と呼ばれた、血で血を洗うヤクザの抗争事件が起きた。きっかけとなったのが1985年に発生した竹中正久・山口組四代目組長射殺事件である。その事件の主犯格で唯一逃亡を続けていた男が長崎県で生存していたことがわかった。「伝説の逃亡犯」はいったいどのようにして生き延びてきたのか――。「初期の逃亡生活を知っている」と語る元ヤクザに話を聞いた。(前後編の前編)

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【写真12枚】事件を伝える当時の「週刊新潮」と「FOCUS」の誌面。レトロな字体で「情報・備考・待ち伏せ・射殺 山口組ドンパチ劇の顛末」と伝えている

時効成立後も逃亡を続けた「伝説のヤクザ」

「まさかあの後も生き延びていたなんて思いも寄りませんでした。殺されたか、のたれ死んだかのいずれかだと」

抗争していた「一和会」のヒットマンに射殺された竹中正久・山口組四代目組長

 こう語るのは人気アウトロー系YouTuberの懲役太郎氏(58)である。懲役氏は18歳でヤクザ稼業に入り、それから約20年間、3度の懲役生活を経ながら組織を転々とした過去を持つ。その駆け出しの頃、いま極道界を騒がせている「伝説の逃亡犯」に「幾度も会ったことがある」と言うのである。

 男の名は後藤栄治(75)。1984年に山口組が四代目継承問題で分裂した時、分派したグループが立ち上げた「一和会」の2次団体「山広組」の若頭を務めていた男だ。

 85年、後藤は四代目山口組を襲名したばかりの竹中正久組長ほか2名を射殺する事件を起こした。後藤はミッション達成のために結成された19人の「行動隊」を指揮するリーダーだった。

 実行犯3人と現場にいたもう一人の指示役は逮捕され、全員が無期懲役となり現在も服役中である。だが、後藤だけは指名手配された後も逃げ続けた。

 その後時効が成立。極道界ですっかり存在が忘れられていた男の消息が39年の時を経て伝えられたのは9月3日のことだった。

組長が会っていた“不思議な客人”

 新聞・テレビが「山口組の竹中正久・四代目組長ら3人の射殺事件に関わったとして過去に指名手配されていた男が逮捕された」と一斉に報じたのである。

 後藤にかけられた容疑は、今年2月下旬、知人男性を中傷する虚偽の内容が書かれた文書を長崎県松浦市の飲食店の客に配らせて、男性の名誉を傷つけたというもの。

 被害男性(当時30)はすでに亡くなっており、関係者が被害届を出したという。長崎県警がこのような事案を事件化したのには「別に狙いがあるのではないか」との憶測が飛び交っているが、極道界は何よりも「死んでいる」と思われていた後藤が生存していたことに衝撃を受けた。

 日本の極道史上で山口組のトップを殺害しながら、殺されず塀の中にも落ちず、生き延びられた男は彼一人なのである。

 懲役氏が後藤に会っていたと語る時期は、後藤が事件を起こしてから3年ほど経過した頃のことだ。その頃、懲役氏は愛知県にあった山口組とは別組織の3次団体で組長の運転手をしていた。

「当時、私は十数人いる組員の中でも一番下っぱのいわゆる“三下”でした。まだヤクザになって3年くらいで年齢は21歳くらい。その頃、組長が客人として接していた40歳くらいの不思議な男がいました」(以下、「」内は懲役氏の語り)

 男は組事務所には一切出入りせず、決まって組長が出かける先の飲食店やスナックに現れたという。

「組長は月に1、2回の頻度でその男と会っていました。見たくれはヤクザ者。けれど、組長は彼がカタギであるかのように気を遣って接していたのです」

組内では「太郎のオジキ」と呼ばれていた

 懲役氏によれば当時のヤクザは、どこか出かけるにしても“ヤクザがやってきました”と周囲にわかるように振る舞っていたという。組長が店に入れば数人の組員が並んで店の前に立ち、店の前に停車している一般車はすべて移動させる。

 だが、組長はその男にだけは一般客に紛れて目立たないように会うのが常だったという。

「誰であるかは我々に一切明かしませんでした。名前すら言わないのです。一般社会で上司がそんな行動をしていたら、『あの人何者なんですか』と聞くでしょう。けど、我々の世界ではそういうことはしない。組長が何も言わずに怪しい行動を堂々と続けているのだからワケがあるはず。それを察しなければならないのです」

 懲役氏は組長が出かける先にその男がいても、何も考えまいと努めたと言う。そして2人が食事したり酒を酌み交わす姿を見守り続けた。

 やがて、その男は組内で「太郎のオジキ」と呼ばれるようになったという。

「名無しという意味での太郎です。オヤジがそう呼ぶようにと言った記憶があるのですが古い話なので自信がありません。カシラが言い出して定着したのかもしれない。いずれにしろ、組長が兄弟分として扱っている人に、下っ端の人間が気安く呼びかける機会なんてありませんので、名前を知らずとも問題はありませんでした」

刑務所に行っている間に姿を消した

 そうこうしているうちに、懲役氏は務めを果たしに2年間刑務所に行くことになった。刑期を終えて戻ってくると、まだ組長はその男と会っていたという。だがしばらくしてまた事件を起こし、戻ってきた時には姿が見えなくなっていたという。

「2度目の懲役は4年間でしたが、私が出所する1週間前に組長は射殺されて亡くなった。同時に男との接点も消滅しました」

 懲役氏は男が何者かを知るまで、さらに数年の時を待たなければならなかった。

 後編では懲役氏が「謎の客人」の素性を知ることになった経緯と、たった一度きりだが男と会話する機会を持った「2人きりの一泊2日旅行」について取り上げる。(文中、呼称略)

デイリー新潮編集部