養女デイジーと連れ添って歩くメグ・ライアン(写真:Backgrid/アフロ)

『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』

1980年代末から90年代にかけて、メグ・ライアンは、ロマンチックコメディの女王として絶大な人気を集めた。親しみやすい笑顔はもちろん、レイヤーが入り、くしゃくしゃした感じの金髪も魅力的で、アメリカの女性たちはこぞって美容師に同じ髪型をリクエストしたものだ。日本では、「のほほん茶」のコマーシャルにも出ていた。

しかし、もう何年も、彼女の姿をほとんど見かけない。と思っていたら、つい最近、養女デイジーを連れてニューヨークの街を歩く様子がパパラッチされた。

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2000年頃からキャリアは下り坂に

デイジーはもう20歳で、大学に通っているとのこと。ライアンが2歳の女の子を中国から養女として引き取ったのは、デニス・クエイドと離婚した後。その女の子には別の名前がついていたのだが、引き取った後に「この娘にふさわしい名前はデイジーだと思った」と、新たな名前を与えた理由をメディアに語っていたのを覚えている。その頃にはもうヒット作に出なくなっていたので、ご無沙汰の期間はそれだけ長いということである。

「アメリカのスイートハート」と呼ばれ、ピーク時には映画1本につき1500万ドルのギャラを手にしていたライアン。キャリアに変化が起きたのは、2000年の『プルーフ・オブ・ライフ』あたりからだ。


「アメリカのスイートハート」と呼ばれたメグ・ライアン(1987年撮影:REX/アフロ)

その年の春に北米公開された『グラディエーター』で大注目されたばかりのラッセル・クロウとメグ・ライアンが組み、『愛と青春の旅だち』(1982)のテイラー・ハックフォードが監督するこの恋愛アクションスリラーは、当然のことながら期待が高かった。

ワーナー・ブラザースは、賞ねらい目的においても理想的な12月に公開日を据えた。だが、撮影中、ライアンとクロウのロマンスが発覚し、スキャンダルが世界を駆け巡ることになる。クロウはシングルだったが、ライアンは夫クエイドとの間に8歳の息子ジャックがいた。

この映画の取材では、映画に関する質問だけをするようにといつもより厳しいお達しがあったのを、筆者は覚えている。映画でライアンが演じる女性も既婚者で、誘拐された夫を助けようとしてくれる男性(クロウ)と心を惹かれ合うという話なので、なかなか気を遣ったものだ。


2000年にはスキャンダルが持ち上がり、出演映画の興収もふるわなくなってきた(2000年撮影:ロイター/アフロ)

離婚して不倫相手とも別れる

そんな中でも宣伝活動をしっかりこなしたふたりはプロらしかった。しかし、努力は実らず、6500万ドルの予算をかけたこの映画の世界興収は6200万ドルで、赤字の結果に。アメリカではよく「悪いパブリシティはない」と言われ、ネガティブな話題も宣伝材料になるとされるが、この場合は違った。批評家受けも悪く、Rottentomatoes.comによれば、好意的な批評はわずか39%にとどまった。

ライアンとクロウのロマンスは、それからまもなく終わりを告げた。クロウは母国オーストラリアに住み続けることを願うも、息子がいるライアンはアメリカを離れられず、妥協点が見つからなかったのだ。ライアンとクエイドは、『プルーフ・オブ・ライフ』の公開から数カ月後に離婚。ライアンは、クエイドも過去に不倫をしていたと明かしている。

翌年、ライアンは、ヒュー・ジャックマンと共演する『ニューヨークの恋人』(2001)で得意分野に復帰した。しかし、世界興収は7600万ドルにとどまり、2億ドル超えもあったライアンの過去のロマンチックコメディ映画の成績には遠かった。

ちょうど40歳を迎えたところでもあったライアンは、そこから大きな方向転換を試みる。尊敬される女流監督ジェーン・カンピオンの『イン・ザ・カット』(2003)では、大胆なセックスシーンにも挑戦。2004年の『ファイティングガール』ではボクシングのマネージャーを演じ、これまたイメージ脱却と演技力の証明に賭けた。

しかし、そのどちらもまるでぱっとせず。『イン・ザ・カット』はソニー傘下のスクリーン・ジェムズ、『ファイティングガール』はパラマウントが製作配給したが、以後、ライアンはメジャースタジオの映画に主演していない。

そんなライアンは、近年、監督業に力を入れている。最初の監督作は、2015年の『涙のメッセンジャー 14歳の約束』。2023年は『What Happens Later』が北米で限定公開された。これらの作品も、それ以外の出演作も日本で劇場公開されておらず、日本の映画ファンが最後にビッグスクリーンでライアンを見たのは『ファイティングガール』で、ぴったり20年前だ。

不倫はキャリアに影響しない

これからも監督の予定はあり、自分の監督作に出演もしてきているライアンには、まだまだ映画業界で働く意欲が見える。なのに、なぜ彼女のキャリアは下り坂になってしまったのか。

クロウとの不倫が理由とは思えない。日本の芸能人の場合、不倫をしたら世間から叩かれ、謝罪会見をして活動自粛、となり、キャリアが打撃を受けるのは当然の流れだろう。

しかし、ハリウッドでは、というか、アメリカでは、そんなことはない。近年は企業のコンプライアンスが厳しいため、社内での関係だったら職を失うこともあるかもしれないが、基本的に大人同士の話、よその家の話に、他人がとやかく言うことはないのだ。

たしかに、アメリカのスイートハートに不倫は似合わない。だが、同じくロマコメ女王であるジュリア・ロバーツが、主演作『ザ・メキシカン』(2001)の現場でカメラマンを務めていたダニー・モダーに既婚者と知っていながら迫り、略奪したのは有名な話だ。

モダーの家族はロバーツのことを今もよく思っていないらしいが、ロバーツのキャリアは順調なままである。また、ジェニファー・アニストンの2度目の夫ジャスティン・セローも、アニストンが共演で出会った時、長年の事実婚状態にあった。彼女のキャリアもまるで影響を受けていない。

年齢の壁に阻まれてしまった?

それよりも大きな要因は、その頃ライアンが40歳目前だったことではないかと思う。

ハリウッドでは、40歳を過ぎたら女優は終わりと、よく言われてきた(ずっと昔は30歳だった)。もちろん、今ではロバーツ、アニストン、サンドラ・ブロック、メリル・ストリープなど、50歳以上になっても変わらず活躍している女優はおり、絶対ではない。

しかし、ある年齢になってから、以前のようには姿を見なくなる女優はたしかにいる。たとえばレネー・ゼルウィガーもそう。40歳前後からぱっとしなくなった彼女は、50歳で主演した『ジュディ 虹の彼方に』(2019)で久々に注目され、キャリア2度目のオスカーも受賞した。しかしそれからの5年間、映画には1本も出ていない。

ただでさえ競争の激しいハリウッドで長年生き延びるのは、容易ではないのだ。とはいえ、ライアンに同情する必要はない。彼女は監督という形でクリエイティブなエネルギーを発散し、自己表現を続けているし、何より私生活が充実しているのだ。


女優としては表舞台から消えたが、私生活は充実している様子(2024年撮影:Nina Westervelt/The New York Times)

息子ジャックがAmazonプライム・ビデオで大ヒットしている『ザ・ボーイズ』やオスカー受賞作『オッペンハイマー』(2023)に出るなど俳優としてのキャリアを築いていることを、ライアンは誇らしく思っているようだし、デイジーとの関係もとても近い。昨年の「Glamour」とのインタビューで、ライアンは「子供たちはすばらしい。彼らと一緒にいるのは最高」と、わが子への愛を語っている。

2019年に破局するまでは、婚約者もいた。子供たちも巣立ったし、これからまた恋があり、それがインスピレーションになって優れた映画が生まれたりするのではないか。そう遠くない将来、彼女が再び大きな注目を浴びる日も、訪れるかもしれない。

(猿渡 由紀 : L.A.在住映画ジャーナリスト)