カラフルなパーツ、それを組み合わせることで自分オリジナルを作り上げる高揚感。カシオ計算機がインターネット上で提供するG-SHOCKの新たな価値「MY G-SHOCK」は、自らパーツをカスタマイズし、自分だけのG-SHOCKを手にできるものだった。同社のデジタルイノベーション本部 マーケテクノロジー統轄部 UXマネジメント部 国内UXグループ グループマネジャーを務める阿部亙氏は、その「MY G-SHOCK」サービスをこう語る。「ユーザーの一人ひとりと向き合うという点で、カシオの象徴的なサービスとなる」。企業の成長につながった施策や事業を切り口に、そこに秘めたマーケターの想いや思考を追っていくDIGIDAY[日本版]のインタビューシリーズ「look inside!―マーケターの思考をのぞく―」。今回はカシオ計算機の阿部氏に、「MY G-SHOCK」サービス誕生の背景やその影響力について聞いた。

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ユーザーの一人ひとりと向き合うために

DIGIDAY編集部(以下、DD):オリジナルのG-SHOCKを作れる「MY G-SHOCK」、そのカスタマイズ性やエンタメ性にローンチから大きな反響があったかと思います。施策の背景やきっかけについて教えてください。阿部亙(以下、阿部):「ユーザーのひとり一人と向き合うために、ユーザー個別にカスタマイズできるものを作ろう」という想いから、「MY G-SHOCK」プロジェクトは始まりました。もちろん、「MY G-SHOCK」スタート以前からビックデータをもとにお客様ひとり一人のニーズを汲み取ろうとする試みはおこなっていましたが、コロナ禍でお客様とのリアルでの接点が持ちづらくなったことも大きなきっかけだったと思います。また、メーカーとしては市場を理解して効率的に大量生産を行う必要がありますが、ユーザーからの要望を製品へ還元するのには、どうしても時間がかかっていたという課題もありました。

阿部 亙 / カシオ計算機株式会社 デジタルイノベーション本部 マーケティングテクノロジー統轄部 UXマネジメント部 国内UXグループ グループマネジャー。新卒でCASIOに入社し、教育機器のソフトウェア開発からスタート。2017年から同分野の商品企画を担当したのち、2021年3月にDX領域の部署に異動。「MY G-SHOCK」立ち上げプロジェクトではフロントエンドのPMを担当した。2024年からはDX領域から国内D2C事業を推進する役割。趣味はコンシューマーゲームで遊ぶこと。某イカ系シューティングゲームのプレイ時間は1000時間を超えており、2人の息子たちからは若干冷ややかな目で見られている。

DD:顧客一人ひとりと向き合うための施策だったのですね。立ち上げからローンチまでの流れに紆余曲折はあったのでしょうか?阿部:「MY G-SHOCK」のサービス自体は2021年の初めごろまで議論を進めていて、春頃から一気に半年でローンチまで進みました。ただし、「MY G-SHOCK」のようなカスタマイズ商品を提供するには、注文後に個別配送を行う新しいアプローチが求められます。つまり、製造フローや注文管理などの見直しが必要だったわけです。DD:「MY G-SHOCK」は既製の商品とはユーザーに届くまでのフローが違うのですね。阿部:はい。ユーザーがパーツをカスタマイズしたG-SHOCKの情報が、当社のマザー工場である山形工場に届いて個別に発送する仕組みになっています。カスタマイズ用のパーツは工場にたくさんありますが、在庫状況をほぼリアルタイムで見ています。お客様がカスタマイズをして、いざ注文をしようとしたときに「在庫がなくて注文できません」となってしまうことは顧客体験として避けたいので、サイト上の表記と在庫管理システム、山形工場のシステムなどはすべて連携しました。

新たな層のリーチを獲得

DD:伝統的なシリーズや商品があるなかで、「MY G-SHOCK」は社内でどのようなポジションになるのでしょうか?阿部:プロモーションの方法やリーチするお客様の層など、本流のG-SHOCKでは進めづらい部分をカバーしていくようなポジションと言えます。「MY G-SHOCK」での反応を本流のG-SHOCKに生かしていくという役割もありますね。DD:マーケティング視点では、どのような効果を得ましたか?阿部:G-SHOCKというブランドが新しい層にリーチできたこと、これに尽きます。たとえば、カシオのECサイトでの主な購入者やサイトの訪問者は40代男性がメインですが、「MY G-SHOCK」は20代、30代のユーザーが多い傾向にあります。G-SHOCKの場合、高額ラインからユースモデルまでの全体で見ると20代、30代のユーザーは全体の3割程度ですが、「MY G-SHOCK」は全体の5割程度に達しています。加えて、「MY G-SHOCK」は女性の購入者が多いことも特徴です。G-SHOCKの場合、ユニセックスな商品ではあるものの女性の購入者は全体の2割程度ですが、MY G-SHOCKは4割程度と、約2倍の差があります。

生み出したのは「推しを身近に感じていられる」という情緒的な価値

DD:もともとターゲットとして女性や若年層を意識していたのでしょうか?阿部:いえ、開発時に想定はしていませんでした。というのも、G-SHOCKのコアなファンは中年層が中心と想定していますから。そのため、「MY G-SHOCK」も立ち上げ当初はG-SHOCKを主語にして売り出したことで、30〜40代の男性の利用が多かったと思います。しかしながら、女優の橋本愛さんと「MY G-SHOCK」がコラボしたとき、彼女が作ったものに共感してくれる人がそのまま同じカスタマイズのものを買ってくれたり、一方で自分の推し(アイドルやキャラクターなど)のイメージにあわせたものを作ってSNS上で発信してくれたりしたユーザーが現れたことから、利用者層に変化が出てきました。このときに、「カスタマイズできることで想いを込められる『MY G-SHOCK』は、年齢層が若くブランド関与も低いターゲットにも届けられる」と確信しました。そこから、プロモーションの方向性を転換することにしたんです。DD:方向性を変えてからは、どのような施策を試みたのでしょうか?阿部:ひとつの切り口として、2022年にVTuberグループ「にじさんじ」に所属する葛葉(くずは)さんと叶(かなえ)さんというVTuberとコラボをしました。お二人が「MY G-SHOCK」を使ってカスタマイズするという配信を行い、その直後から作ったものを購入できるようにしたんです。自分なりの想いを込めたG-SHOCKを作れること、推しとお揃いのG-SHOCKを身につけられることを押し出した結果、大きな手応えを感じることができました。DD:これまで想定していたファン層とは別の層からも反響があったということですよね。阿部:はい。とくに20代後半の女性からの反響が大きく、カシオ会員の登録率も伸びました。普段時計をしない人でも時計を買う新しい理由が生まれた。つまり、モノの提供価値ではなく、推しを身近に感じていられるという情緒的な価値を提供できたんです。

ブランドの根底を守りつつ臨機応変に進める

DD:当初の想定とは違ったものの、ユーザーがどういったところに価値を感じているのか、いち早く検知して施策を練る。事業に歴史や伝統を持つ企業だからこそ、本来は難しいと感じます。阿部:既存の事業は効率化のために、営業・開発などが分かれています。これは、利益を生む組織としてはあるべき姿ではありますが、そうすると変化への適応が難しい側面もあるんですよね。その点、「MY G-SHOCK」が臨機応変にプロモーションを変えられたのは、お客様の楽しみ方が顕在化してきたからこそだと思います。また、サービスの仕組みや取り巻く環境にも恵まれていました。プロジェクトの立ち上げ当初から全社一丸となって進めてきたため、ステークホルダーとコミュニケーションを取るスピードが早くできているんです。DD:VTuberとコラボしたときも、社内の合意はスムーズに得られましたか?阿部:正直、役員にVTuberや推し活について説明するときは緊張しました。ただ、「MY G-SHOCK」の役割を果たすためには、どうしたらいいかということを常に考えていましたし、社内の風通しのよさもあり、アイデアに蓋をすることなく企画を進められました。「妄想コラボ(理想のキャラクターや有名人とコラボを想定したデザインシリーズ)」という施策では、各企業様とのコラボについて私たちのグループから社内の各方面に大真面目に誠意を持って伝えていったので、非常にユニークなデザインでも、問題なく合意を得られましたね。そうした施策も、G-SHOCKのブランド毀損にならないよう、「根底にあるかっこよさ」「挑戦する姿勢」「力強さ」などを崩さずに進められたことがポイントだったと思います。DD:ブランド価値を守りつつも、新たな価値を生み出していると感じます。阿部:前提としては、G-SHOCKをカスタマイズできること自体に確固たる価値があると思っています。サービスを正式展開するにあたって、商品企画の担当者と実際にパーツを組み立てていたときのことは今でも覚えていますね。カスタマイズ自体が予想以上に楽しかったんです。「MY G-SHOCK」の価値は、「カスタマイズが楽しい」「G-SHOCKはやっぱりカッコイイ」という前提があってこそ、価値を提供できるはずです。

誰に、何を、どう伝えるか

DD:阿部さんは開発や商品企画に携わったのち、「MY G-SHOCK」プロジェクト立ち上げと同時に自ら異動を志願し、同チームに入ったと伺っています。部署移動に挑戦した経緯はどのようなものだったのでしょうか?阿部:10年以上開発・商品企画を経験してきましたが、そこに居続けることに迷いがあったんです。B2C企業と言えど開発や商品企画はお客様との距離が遠い。一方で、デジタルマーケティングの領域は、お客様の動向やインサイトから実際に手を動かしてアクションを起こすことができ、魅力を感じていました。もともと「MY G-SHOCK」の存在を聞いていたわけではないのですが、新たな挑戦をしたいと思ったタイミングで、社内でDX化を推進する組織ができたことも異動の理由のひとつです。当時、社内ではECサイト上にCMSが入ったことで仕組み化が進み、分析の環境や精度も高度になってきました。MAの環境も整い、デジタルマーケティングのソリューションが揃いつつある時期だったので、これはやるしかないと思い、異動を志願したんです。DD:開発や商品企画からデジタルマーケティング領域に移り、新たな視点や考えも開発されたのではないでしょうか? いま、ご自身がマーケティングをするうえで重要だと思う点を教えてください。阿部:「誰に、何を、どう伝えるか」。これがマーケティングにおいて根源的なところではないでしょうか。「誰に」を考えるときは、N1分析やマスマーケティングなど多角的な視点で分析することが重要です。「何を」は、提供価値をどう捉えるかということ。物質的な魅力なのか、別の価値がないのか、ということを考えています。そして「どう伝えるか」は、施策の結果をデータとして捉えて次に生かせることを、伝える手段を選び取る際に大切にしていますね。文/藏西隆介、企画・インタビュー/島田涼平(DIGIDAY JAPAN)撮影/三浦晃一