Juju(野田樹潤)インタビュー前編

 史上最年少デビュー、そして日本人女性として初の快挙──。

 国内最高峰のフォーミュラカーレース「全日本スーパーフォーミュラ選手権」に今シーズンから参戦して大きな話題を集めているのが、18歳の「Juju」こと野田樹潤だ。

 元F1ドライバーの父(野田英樹氏)を持ち、小学生の頃からフォーミュラカーをドライブ。中学2年からは家族とともに渡欧し、海外のレースにも挑戦してきた。

 インタビュー前編では、彼女がレースを始めたきっかけやヨーロッパでの奮闘ぶり、スーパーフォーミュラ参戦への想いを聞いた。

◆Juju「18歳の素顔」プライベート姿をスタジオ撮り下ろし>>

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元F1ドライバーを父に持つ「Juju」こと野田樹潤 photo by TOBI

── Juju選手がモータースポーツに興味を持ったのはいつですか?

「もともと父がレースをしていたので、『モータースポーツ』というものがすごく身近にありました。よくサーキットにもレースを見に行っていましたし。

 そして3歳の誕生日の時、父に『カートに乗ってみる?』と聞かれたので乗ってみたのがきっかけです。すごく楽しかったっていう記憶は、今でも覚えています」

── そこからプロのレーシングドライバーになろうと思ったきっかけは?

「ちょうど私が5歳の時に父の引退レースを見に行って、サーキットで私が花束を渡しました。その時に『次は自分の番だから!』と言ったらしいです。記憶にはないんですけど(苦笑)。

 その頃から幼いながらに、自分がやっている競技のなかで『トップを目指したい』という気持ちはあったようです。でも、その気持ちは今もブレていません」

── お父さんの影響は大きいですね。

「父がいなかったら、レースは始めていなかったですね。やっぱりカッコいいなと思っています。今はクルマに乗ってコントロールしているのが、すごく楽しいです」

── Juju選手が初めてフォーミュラカーに乗ったのは、たしか小学生の時ですよね?

「はい。小学4年生の9歳の時に初めてフォーミュラカーに乗りました。カートに乗っていたところから『フォーミュラに乗ってみない?』という話を聞いた時は......正直、フォーミュラカーがどういうものかもわからない部分もありました。でも、速いクルマに乗りたいという気持ちが強かったので、『乗りたい!』って言いました。

 それでいざ乗ってみたら、クルマの形も音も速さも全然違う! 最初は少し戸惑いもあったんですけど、乗っているうちに『楽しい!』という気持ちが膨らんできて、フォーミュラカーに慣れるまでに時間はかからなかったですね」

【人種差別じゃないの?と思うようなことも...】

── 本格的にフォーミュラカーレースに参戦するため、中学生の頃からヨーロッパでレースを始めたJuju選手ですが、海外での苦労も多かったのではないですか?

「当時は英語がまったくしゃべれなかったので、たしかに『言葉の壁』はありました。また、文化も食べ物も日本と大きく違っていたので、もちろん戸惑った部分はありましたね。

 ただ、家族が一緒についてきてくれて、そばでサポートしてくれたので、不安を感じることはなかったです。おかげで、自分がやりたいことに集中できたかなと思います。

 ただ、ヨーロッパに行ってすぐ、コロナ禍でレースが中止になってしまって......。そういった想定外な部分での難しさはありました」

── ヨーロッパのレースは日本のそれと違うところが多かったですか?

「一番感じたのは、日本ではぶつからないような壁が、海外ではたくさん立ちはだかって......。なかには『これって人種差別じゃないの?』と思うようなこともありました。

 考え方の違いもあるんだと思いますけど、『そんなことしてまで勝って、恥ずかしくないのか?』と日本だと言われるようなことを、向こうではやってきます。ヨーロッパだと『負けることが恥ずかしい』という考えだから、どんな手を使ってでも勝つという考え方です。そういった違いもあって、すごく苦しい時期もありました」

── これまでも心が折れる経験をたくさん重ねてきたと思います。それでも、トップカテゴリーを目指すという想いが途絶えることはなかったですか?

「もちろん、壁にぶち当たった時は悔しかったですし、怒りもありました。『なんで、こんなことをされなきゃいけないんだ!』と思うことも......。でも、それって裏を返せば、自分が(相手から)脅威に思われているからこその行動なのかなと。だから逆に、それを自信にしようと思うようになりました。

 ヨーロッパに行ってから何回も悔しい経験をして、いくらがんばっても結果につながらないこと、意図的に活躍させてもらえなかったこともありました。でも、家族のみんな、スポンサーさん、ファンのみなさんが応援してくれて、私をサポートしてくれたのが一番大きかったです」

【今までやってきたことは無駄じゃなかった】

── ヨーロッパでは苦しい思いをしながらも、ユーロフォーミュラオープンで優勝を果たしたほか、ジノックスF2000でシリーズチャンピオンを獲得しました。その時の心境はいかがでしたか?

「まず、ユーロフォーミュラオープンで優勝できるとは、シーズンが始まる前はまったく想定していませんでした。『表彰台に立つことができたら大成功だよね』と家族みんなで話していたくらいだったので。

 ライバルは『モトパーク』という、このシリーズでは何年も経験がある巨大なチーム。それに対して自分たちは参戦1年目の新人チームで、5人だけの『ファミリーチーム』です。

 第1戦はもう、結果もボロボロ。『このまま戦っても勝負にならない』『やっている意味もないんじゃないか』というところから始まりました。ですが、チームも自分もできることを精一杯やって、いろんな人のサポートを受けながら戦いました。

 すると、第2戦は1戦目より少しよくなって希望が見えてきて、第3戦では表彰台に上がれて優勝争いもできた。参戦当初だったら考えられなかった結果が出るようになったんです」

── ものすごいスピードで進化・成長していったのですね。

「自分ひとりで成し遂げたことじゃないんですけど、すごく自信になりました。そして第4戦では、ついに優勝することもできたんです。ヨーロッパに行ってから苦しいことも多々ありましたけど、あきらめずにがんばってきたことが結果につながったと思います。『今までやってきたことは無駄じゃなかったんだ』って思えた1年でした。

 その後、ジノックスF2000では年間チャンピオンを獲ることもできました。チームみんなでがんばってきたことがやっと結果に結びついて、それが今季のスーパーフォーミュラ参戦にもつながったのだと思います」

── 世界中に数多くあるレースのなかで、スーパーフォーミュラの舞台を選んだ理由は?

「スーパーフォーミュラと言ったら、今まではF1と同じようにテレビ画面越しに見るカテゴリーのひとつでした。クルマもF1の次に速いと言われているレベルです。集まるドライバーも国内トップの方ばかりですし、海外からもF1を目指すドライバーが集まってきています。

 参戦の話を最初にいただいた時の心境は、『どうなるかは、やってみないとわからない。でも、乗れるんだったら乗りたい!』という想いでした。このようなレベルの高いカテゴリーに参戦できることは、自分にとってすごくいい経験になりますし、大きなチャレンジだと思っています」

【レースに出て走らないと経験の差は埋まらない】

── スーパーフォーミュラは常に結果を求められる厳しい世界ですが、その舞台で戦うことへのプレッシャーはありますか?

「日本人女性初・史上最年少──という肩書は、裏を返せば経験も浅いということ。日本で経験を積んでいるほかのドライバーは、ほぼすべてのサーキットで目をつぶっても走れるぐらい走り込んでいます。海外から来るドライバーも、それを補うだけの経験値を持っています。

 それに比べて私は、経験値でいうと圧倒的に低いところから始まっているので、最初から『勝ちに行きます!』というのは現実的な話ではない。それは自分も周りもわかっていることです。

 それでも、私をスーパーフォーミュラに乗せるためにサポートしてくれるチームがいるので、自分にできるベストを尽くして、いろんなことを学び、吸収していって、成長していく......。それが2年目、3年目、そしてこれから先につながっていくと思います。

 今年は『勝ちにいく』とか『結果を残しにいく』というよりも、まずはいろんなことを学んで、自分自身の成長を毎戦、毎戦で見せていけたらなという気持ちが一番大きいです」

── スーパーフォーミュラのデビュー戦(3月9日・10日/鈴鹿)は17位完走という結果でした。開幕戦で自信になった部分や、第2戦以降の課題と感じているものはありますか?

「開幕戦はとにかく、予選日の流れがすごく悪かったです。予選のままの流れで決勝も走っていたら、結果はボロボロになるなという感じがありました。

 クルマはすごくよかったんですけど、チームとのコミュニケーションに問題があったというか、私もまだ経験が浅いこともあって、噛み合わない部分があって......。予選までの流れはすごく悪かったです。

 ただ、決勝レースではスタートもうまく決まったし、レースペースも周りと比べて悪くなくて、しっかりと完走できました。すごくいい形で終えられたと思います。

 予選の悪かった状況を自分の力で立て直すことができたのは、すごく意味があることだと思っています。あの経験ができたことで、次に同じようなことが起こっても『あの時に立て直せたから、次も大丈夫』という自信につながりました。

 ただ、日本のサーキットの経験がまだほとんどないので、第2戦のオートポリス(5月18日・19日/大分)も大きなチャレンジであることに変わりはありません。レースに出て走らないと経験の差は埋まっていかないので、次戦もしっかりとベストを尽くして、いろんなことを学んでいきたい。もちろん、楽しんでレースをしていきたいとも思っています」

(後編につづく)

◆Juju・後編>>18歳の素顔「友だちをうらやましいと思ったことも...」

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【profile】
Juju 野田樹潤(のだ・じゅじゅ)
2006年2月2日生まれ、東京都出身・岡山県美作市育ち。元F1ドライバーの野田英樹の次女として生まれ、3歳からカートに乗る。9歳でフォーミュラカーを運転して非凡な才能を見せるも、国内の年齢制限によって上位カテゴリーへのステップアップが困難となり、2020年から家族とともにヨーロッパに渡ってレース経験を積む。2023年はF1の登竜門であるユーロフォーミュラオープンで女性初の優勝を飾り、ジノックスF2000では年間王者に輝く。2024年よりスーパーフォーミュラにTGM Grand Prixから参戦。身長170cm。