ヤマハが「楽器と無関係」のゴルフに参入した理由
今年のヤマハレディースオープン葛城、初日の様子(写真:筆者撮影)
毎年、桜が咲く季節に開催される女子ゴルフトーナメントの「ヤマハレディースオープン葛城」。今年は3月28日から4日間にわたって、熱い闘いが繰り広げられている(今年は悪天候のため3日間競技に短縮)。
2008年に始まったこのトーナメントは、今年で15回目を迎える。主催はヤマハ株式会社、ヤマハ発動機株式会社、協力は葛城ゴルフ倶楽部を運営する株式会社ヤマハリゾートと、総力あげてのゴルフ大会である。
ヤマハといえば、ピアノなどの楽器やバイクのイメージだが、なぜゴルフなのか。
グローバル楽器市場でシェア1位
ヤマハの社名は、創業者である山葉寅楠(やまは・とらくす)の姓に由来する。1887年に寅楠がリードオルガンの修理をきっかけとして、オルガン製作に成功。1897年に日本楽器製造株式会社を設立し、楽器メーカーとして成長した。
現在、グローバル楽器市場ではシェアが1位で、 楽器全体25%、ピアノ33%、デジタルピアノ47%を占めている(2023年3月期・金額ベース・ヤマハ調べ)。
ヤマハ株式会社の吉田信樹氏(ゴルフHS事業推進部主幹)によると、ヤマハがスポーツ事業に進出したのは、4代目社長・川上源一氏の時代だ。戦後間もない1953年に欧米を視察した際、欧米のレジャー産業の隆盛を感じ、「日本もいずれそのような産業が活発になっていくだろう」と、多角化に舵をきったという。
吉田信樹氏(写真:筆者撮影)
スポーツ事業で最初に手掛けたのは、アーチェリーだ。
フレーム作りに、木製のピアノ本体の加工技術を生かした。弓の部分はFRP(Fiber Reinforced plastics:繊維強化プラスチック)製だったことから、ヤマハもFRPの研究を開始。1959年にアーチェリーの生産を始める。
その後、FRPをスキー板にも応用。FRP製のスキー板は当時主流だった木製のものに比べて弾性にすぐれ、折れにくいことから、好評を博した。この技術を活用して、テニスラケットも販売を始める。
そのようななか、ゴルフへの参入も決めた。理由は「市場の大きさ」だった。吉田氏は「新規参入にあたり、ヤマハのFRP技術を生かし、世の中にないものを開発するとのミッションがあった」と話す。
それまでクラブヘッドは「木」だった
3年ほどかけてゴルフクラブの開発を始め、1982年に「世界で初めてカーボン グラファイトコンポジットを採用したゴルフクラブヘッドの開発に成功、商品化を決定」と発表した。複合材料でFRPより強度の高いカーボン繊維を使用したものがCFRP(Carbon FRP)である。
世界初のカーボンウッドC-300(写真:ヤマハ提供)
カーボン繊維は強度が高いが、折れやすく扱いが難しい。この材料を使って世界で初めてゴルフクラブヘッドの開発に成功したのだ。ゴルフ業界は、ヤマハがカーボン製のクラブヘッドを作ると明言したことに、衝撃が走った。
1980年代まで、クラブヘッドの素材としてはパーシモン(柿の木)製が主流だった。パーシモンは天然素材であるため、品質にばらつきがあるなどの問題点があった。また、素材が木であるため、設計自由度が少なく、新しい機能を入れることができなかった。
まさにこの時期は、世界各国のゴルフメーカーが次のクラブヘッドの素材を探索していた時代。
アメリカのテーラーメイド社がメタルでクラブヘッドを製作したこともあったが、当時の製造技術では性能面でパーシモン製を超えられなかった。そんななか、クラブヘッドの次の素材として注目されていたのが、カーボンだった。
まっすぐ飛び、飛距離も出る
高比強度(密度あたりの引っ張り強さを表した指標で、値が高いほど軽くて強度が高い材質になる)で、軽くて強いという特性を持つカーボン繊維に、別の素材を合成させたカーボンコンポジットを使用することで、軽くて強い素材の特性を生かしつつ、ヘッドを大きくすることが可能になった。
それにより、まずボールが飛ぶ方向の安定性が向上。パーシモンに比べて反発性も優れているので、飛距離アップも期待できた。また、ヘッド本体が軽くなったぶん、重さを金属などの重りで調整するなど設計自由度が高くなり、これも大きなメリットだった。
ヤマハの発表を受けて、他のゴルフメーカーもカーボンウッドを発売することを公表した。
例えば、ミズノはヤマハの発表の4カ月後、ダイワ精工は5カ月後にカーボン製のゴルフクラブの発売を発表した。当時のミズノのゴルフ事業部長は、「負けたらあかん! 発売はこちらが1番を取るんや!」と社員に檄を飛ばしたという。
ヤマハのゴルフクラブは11月に発売された。値段は10万円程度と高めだったが、ヒット商品となり、初年度は20億円以上を売り上げた。
クラブヘッドの素材は、やがてパーシモンが消え、メタル、カーボン、チタンと変わり、現在ではカーボン素材とチタンを組み合わせた複合素材のヘッドが主流となっている。
前出のテーラーメイド社は、カーボン素材をフェース(ボールが当たる面)に使用していることを売りにしたゴルフクラブを、アメリカ・キャロウェイ社は、ボディの全面にカーボン素材を使用しているゴルフクラブを、相次いで発表した。
現在のヤマハのクラブについて、ゴルフ業界のBtoBの月刊誌『GEW』を発行するゴルフ用品界社の浅水敦専務は、「テーラーメイド、キャロウェイなどの海外ブランドが強いなか、国内メーカーとして、数年前に開発センターを浜松に新規でオープンさせ、新しいコンセプトのアイアン、フェアウェイウッドなどをヒットさせている」と評価する。
『ゴルフ産業白書』を発行するなど、ゴルフ業界に精通する矢野経済研究所の三石茂樹フェローは、「ショップの評価として、良いものをじっくり販売している。国内メーカーとして、チャレンジングなモノづくりをしている」と言う。
吉田氏がヤマハに入社したのは1990年である。当時スポーツ事業は全体の売り上げの5%程度だったが、「入社した営業系の半分は、配属先としてスポーツ事業を希望した」とのことで、それだけスポーツ事業がヤマハの社員にとって魅力的なものだったことがわかる。
残念ながら、スポーツ事業は1997年にスキーとテニスラケット事業から撤退し、ゴルフだけが残ったが、吉田氏がゴルフ事業推進部長になった2016年に、事業目標として売り上げ100億円を掲げ、昨年達成したという。
ゴルフ事業の役割として、ブランドイメージの向上は大きなミッションとなっている。それを、的確に表しているのが冒頭で紹介した「ヤマハレディースオープン葛城」である。
トーナメントでの新たな挑戦
この大会が始まった経緯について、「ヤマハはゴルフクラブ、ヤマハ発動機はゴルフカートを生産しており、ヤマハリゾートはゴルフ場を経営している。当時の両社のトップがブランドをさらに高揚させることを目的に、女子トーナメントを実施することになった」(吉田氏)と言う。
トーナメント自体も、ヤマハらしい革新的な取り組みが行われている。
その1つがゴルフ中継だ。実は通常のゴルフ中継は録画放送が多いが、スポーツの醍醐味を伝えるため生放送にこだわり、2012年からBSで生放送を実施している。インターネット中継も2014年から始めた。
ほかにも、会場である葛城ゴルフ倶楽部のある静岡県袋井市などでの地域貢献、アマチュアにも門戸を広げた若手育成なども実施。ヤマハの契約プロは男子では藤田寛之、今平周吾、女子では有村智恵、永井花奈、神谷そら。彼ら・彼女らの活躍もヤマハブランドの構築に貢献している。
飛距離が武器の神谷そらプロ(写真:ヤマハ提供)
革新的な取り組みをするアイデンティティを持つヤマハのゴルフへの取り組みは、つねにゴルフ界に新しい風を吹き込んできた。
ゴルフメーカーが相互に刺激しあって、ゴルファーに新しい楽しみを提供し続けていくことが、ゴルフの価値向上、発展につながるのではないだろうか。
(嶋崎 平人 : ゴルフライター)