貨物船エルファロを沈没させた「古いやり方」とはどのようなものだったのでしょうか(写真はイメージ:shibugakky/PIXTA)

2015年にバハマ沖で沈没し、33人の全乗員が犠牲になった貨物船「エルファロ」。ベテランの乗員を揃え、近代的な装備を備えていたはずの彼らはなぜ命を落としたのか。

米海軍の原子力潜水艦「サンタフェ」の元艦長、マルケ氏は、その理由を、乗員チームが産業革命以来の古い仕事のやり方に従っていたからだ、と分析する。マルケ氏の近刊『最後は言い方』から、抜粋・編集してお届けしよう。

2015年9月29日火曜日の夜。貨物船エルファロはプエルトリコの首都サンフアンを目指し、フロリダのジャクソンビルを出発した。

どちらのルートを進むべきか

そのころ、船の通り道となるバハマ諸島付近の大西洋で、熱帯低気圧「ホアキン」が勢力を強めていた。


翌朝、「ホアキン」はカテゴリー1のハリケーンに成長したと発表され、バハマの主要地域にハリケーン警報が発令された。「ホアキン」はのちに、1866年以降にバハマを襲った最大のハリケーンとなる。

ここで、エルファロの船長と船員には、進むべき航路について、2つの選択肢があった。

ひとつめの選択肢は、ジャクソンビルからサンフアンまで、まっすぐに進むこと。もうひとつの選択肢は、ホアキンの直撃を避けるために、迂回路をとることだ。

ひとつめの直進ルートをとった場合、サンフアンにより早く到着できるが、嵐の直撃を受けるリスクがあった。もう一方の迂回路をとった場合、嵐の影響は弱まるが、8時間ほど余計に時間がかかる。

出港の翌朝の水曜日の朝。エルファロの船長は直進ルートをとると決断し、嵐が直撃する側の航路を進み始めた。

この決断はどのように下されたのか?

慎重に検討されたものでないことは確かだ。エルファロの船内で、船長と一等航海士の話し合いはあったものの、彼ら以外は話し合いに参加するどころか、話し合いがあることすら知らされていなかった。

方向を確認せずに「続行」する恐さ

おそらく船長と一等航海士には、決断と呼ぶほどのことをしたという認識がなかったのではないだろうか。港を離れる前から、船長はいつもの直進ルートを使うとある程度心に決めていたのだろう。

話し合いの最初のほうで、船長は一等航海士に「今回は耐えるしかないな」と告げた。

これで決断は下された。決まりだ。

この話し合いで決まったことは、「計画を続行する」ということだけだ。直進ルートを選ぶべきかどうかではなく、直進ルートをどのように進むかが議題だったというわけだ。

これはまさに、産業革命期に誕生したやり方のひとつである「続行」だ

「続行」することにとらわれてしまい、深く考えずに無駄な努力をし続ける人は多い。

のちに、その決断はよくなかったと判明すると、船長は「責任感の過熱」に陥った。つまり、一度決めたのだからという理由だけで、破滅を招く行動を最後までやり抜こうとしたのだ。

エルファロはなぜ、嵐にさらされる直進ルートを進み続けようとしたのか?

それが早く着くルートだったからだ。海上を進むだけではお金は稼げない。目的地に到着し、積荷を降ろして初めてお金を稼ぐことができる。

この理由から、商業船舶の船員は、誰もが「時計に従おう」とする

時計に従っていると、人は時間のプレッシャーを感じてしまい、「時間内にやり遂げる」ことが目的化してしまう

時計に従うことの最大のメリットは、集中力が生まれることだ。時間どおりに行動しなければという意識に駆られ、そのおかげでものごとをやり遂げられるようになる。

もちろん、それが本当にやり遂げる必要のあることなら、何の問題もない。だが、時間のプレッシャーはあらゆるストレスをもたらす。そのせいで自分の殻に閉じこもるようだと、視野も狭くなってしまう。

エルファロが直進ルートを進むなか、船長は複数の船員に向かって次のような言葉をかけている。

リーダーによる「強要」の言葉の力

「われわれは優秀だ」
「大丈夫なはずだ。いや、『はず』ではだめだ。大丈夫にするんだ」

さらには、新米の船員が「あらゆる天候の可能性」に言及しようとすると、からかうようにこう言った。

「おいおい。わかってないな。この船は方向転換しない。方向転換はありえない」

船長の言葉は、どんな犠牲を払ってでも「やり遂げる」と語っていた。この種の言葉は難攻不落で無敵だ。どんな懸念も表明できなくさせてしまう。そこには、こんなメッセージが込められている。

「この決断に疑問を差し挟むべきではない」
「われわれが進む道はもう決まっている」
「異議を唱えることも、もう一度説明を求めることも許さない」

船長がそうした言葉を使う動機は何だったのか? そもそも、リーダーの動機とは何か? まわりにいる人々に自信を持たせること? 彼らを作業に集中させること? 彼らを自分に従わせること?

ここでの船長のような発言は、読者の誰もが繰り返し聞いているだろう。それは産業革命期に誕生した「強要」だ。

この表現では露骨すぎるので、世間では「鼓舞」や「動機づけ」と呼ばれているが、この場面では、船長には、直進ルートをとるという決断にかかわっていない人々を決定に従わせる必要があったということが根底にある。

船長はなぜ破滅につながる行動をとり続けたのか? 船長を責めるのは簡単だが、彼が指揮を執っていた背景を詳しく見ていこう。

船長が所属する海運会社は、エルファロを含む複数の船舶を廃船にして、新たに2隻の貨物船を導入する計画を立てていた。

3隻の船が2隻に減るのだ。

そのうちの1隻の船長はすでに決まっているので、残る船長枠はひとつしかない。つまり、船長は実績をあげる必要性に迫られていた。

そして、彼らは昔ながらの「続行」と「服従」というやり方にとらわれた。要するに、計画に異を唱えず、従い続けたのだ。

時代遅れのやり方を上手に実践しても意味がない

エルファロは沈む少し前に警報を発した。その後、探索隊が見つけたのは、巨大な船の残骸だった。


嵐の凄まじさを考慮に入れても、あれほど大きく近代的な船体が沈むとはどうしても思えなかった。だがそれは現実に沈んでいる。現代のテクノロジーをもってしても、時代遅れの思考には歯が立たなかったのだ。

彼らがたどった運命を目の当たりにすると、胸が痛む。彼らは、船員として劣っていたわけでも、悪人だったわけでもない。彼らの命運が尽きたのは、誤ったやり方に従っていたせいなのだ。

そのパターンを私は何度も見てきた。優秀な人が正しいと思うことをやり、悲惨な結果に苦しむ。彼らが思う正しいこととは、時計に従い、服従を強要し、役割に同化し、行動することを優先し、パフォーマンスを第一に考えることだ。

だがそうすると、結果として粗悪な製品が生まれたり、売上の減少や時間の浪費を招いたりする。役に立つことをしているという実感が得られないこともある。身も蓋もない言い方をすれば、誤ったやり方に従っていたら、場合によっては人が死ぬ。

組織で働く場合、個々人にはその制度のなかで最善を尽くす責任がある。そして、個々人がそれぞれのやり方で最善を尽くせるような制度をつくるのは、リーダーの責任だ。

時代遅れのやり方をいくら上手に実践しても意味がない

私たちに必要なのは、新しいやり方なのだ。

(L デビッド マルケ : 米海軍攻撃型原子力潜水艦「サンタフェ」元艦長)