なぜ私たちは「素人の大食い」にひきつけられるのか…ギャル曽根が「テレビスター」になった本当の理由
■衝撃的だった「ギャル曽根」の登場シーン
さかなクンを生んだ番組として知られるテレビ東京「TVチャンピオン」。一方で、この番組の目玉企画を聞かれ、大食いをあげるひとも多いだろう。
今回は、「TVチャンピオン」から「元祖!大食い王決定戦」に至る歴史のなかで誕生した大食いスターたちを名勝負とともに振り返る。そして私たちがこうも大食いに惹きつけられる理由を探ってみたい。
大食い番組出演をきっかけに芸能人に転身したと言えば、いうまでもなくギャル曽根である。
大食い番組初登場は、2005年11月6日放送の「元祖!大食い王決定戦〜信州・上越編」。この番組は、「TVチャンピオン」の一企画だった大食いが独立して番組になったもの。その2回目に登場したのが彼女だった。
このときはまだ素人で、本名の曽根菜津子。当時19歳。「ギャル曽根」と名づけたのは、「さかなクン」のときと同じく番組MCの中村有志(現・中村ゆうじ)である。むろん由来は、大食い番組に似つかわしくないギャルメイクとギャルファッションだった。
■なぜか蕎麦ではなく天ぷらを食べる
信州ということで、大食い自慢6人での蕎麦の大食い対決。対戦相手の5人が驚異的な速さで食べ続けるなか、ギャル曽根もまったく負けていない。嫌いだと話していた蕎麦だったが、「美味しい」と言って次々と平らげ2番手につける。
しかし、残り20分で異変が。蕎麦嫌いということもあってか、ややペースが鈍る。それでも食べ続けるギャル曽根。だが徐々に順位は下がっていく。残り5分。ギャル曽根は5位とわずかの差ながら最下位に。ここでの脱落者は1人のみである。
「どうするギャル曽根!」となったそのとき、脇に積んであった天ぷらをおもむろに食べ始めた。ただし天ぷらはいくら食べてもカウントされない。「これは味変のため?」と思われたが、そばを食べずにずっと天ぷらだけ食べている。
「天ぷらばかり食べております!」と、戸惑いの入り交じった驚きの声をあげる中村有志。それでもギャル曽根はニコニコしながら天ぷらを食べ続ける。
そして天ぷらを完食したところでタイムオーバー。ギャル曽根は最下位のままここで脱落となった。だがよほど美味しかったのか、終わっても隣の対戦相手の天ぷらに箸を伸ばしている。「あなたはいったい何者だぁ?」とあきれたようにツッコむ中村有志だった。
■「勝つ」よりも「美味しく食べる」
この初登場の場面に、ギャル曽根の魅力が詰まっている。大食いは競技であり、真剣勝負である。だから参加者は「フード・ファイター」と呼ばれる。圧倒的な食欲を見せる姿に私たちは感嘆の念を抱く。
だがギャル曽根は、「勝つ」ことよりも「美味しく食べる」ことを優先した。食べることは楽しくなければいけない。いかにもギャルらしいマインドである。
従来の大食いにはいなかったタイプで、その姿は輝いていた。しかもギャル曽根は、それからおよそ半年後の「元祖!大食い王決定戦 新爆食女王誕生戦〜沖縄編」で見事優勝を果たす。競技としての大食いにおいても存在感を示したのである。まさに、新たなスターの誕生だった。
もちろん、ギャル曽根の登場以前から大食い番組には長い歴史がある。そしてそこにも、個性派ぞろいの歴戦の猛者たちがいた。
■この人を置いて「大食い」は語れない
まず、テレビ東京の「日曜ビッグスペシャル」の枠での「全国大食い選手権」があった。そして1992年に「TVチャンピオン」がスタート。「全国大食い選手権」を継承したかたちで、1992年4月16日に「TVチャンピオン」で第1回の大食い企画が放送された。
その第4回で優勝したのが、「女王」こと赤阪尊子である。このときすでに30代後半で、生命保険会社の営業職が本業だった。女性フード・ファイターの草分けのひとりであると同時に、赤阪ほど名勝負の多かったひともまれだろう。“名勝負製造機”的存在だった。
たとえば、新井和響や中嶋広文と並ぶ初期のスターのひとり、「皇帝」こと岸義行と「TVチャンピオン『全国大食い選手権〜大食いオールスター大阪食い倒れ決戦』」(1999年10月14日放送)で繰り広げた大接戦のマッチレース。
種目はうどんの大食い。ともに相譲らず27杯目でタイムアップ。勝負は残り分の計量に持ち込まれた。その結果赤阪が240グラム、岸が235グラムで、終わった瞬間は「負けた」と思った岸の勝利。5グラムは、わずかうどん15センチ分の差だった。
■伝説の「細巻き対決」
いまも語り継がれるのが、「TVチャンピオン『男vs女 世紀の対決!どっちが大食い決定戦』」(1999年2月11日放送)での細巻き対決だ。
制限時間45分全長6メートルの細巻きの早食い対決で、対戦相手はその直前の大会で優勝していた「野獣」こと藤田操。ボウリング場のレーンを使っておこなわれた。
中盤で70センチの差をつけられた赤阪だったが、少しずつ差を詰め始める。だが残り15センチ差がどうしても縮まらない。これは藤田の勝利かと思われた瞬間、最後の最後にまだ20センチくらいはありそうな残りの細巻きを赤阪が一気に口の中に詰め込んだ。
その勢いのすさまじさに中村有志も思わず赤阪の手を挙げたが、「どっち、どっち?」と確信が持てない様子。結果はビデオ判定に持ち込まれた。すると両者36分4秒01という全くの同タイム。引き分けとなったのだった。
赤阪尊子の驚異的な粘りである。競技中、水に大量の砂糖を入れて飲むなどキャラも立っていたが、なによりもカメラ映りなど気にせず一心不乱に食べ続けるその姿は多くの視聴者を魅了した。テレビコラムニストのナンシー関やマツコ・デラックスも、熱烈な赤阪ファンだった。
■アスリート化したフード・ファイター
そんな赤阪が、次世代を担う存在として後を託したのが小林尊である。整った風貌から「プリンス」と呼ばれ人気だった小林は、アメリカで毎年開催される「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」で外国人相手に6連覇を達成して有名になった。
この小林の台頭を機に、フード・ファイターの世界も一気にアスリート化が進むことになった。トレーニングを積み、きっちり理論的に準備して数カ月前から大会に備える。そんなプロフェッショナルな姿勢で取り組むフード・ファイターたちが続々登場した。
「ジャイアント白田」こと白田信幸は、その代表格である。白田は「TVチャンピオン」での優勝もあるが、TBSで放送された「フードバトルクラブ」(2001年放送開始)の印象が強い。
2000年代、テレビ東京のみならず他局もその人気に目をつけ、大食い番組を制作するようになった。「フードバトルクラブ」は「最強のフード・ファイター」を決めるというコンセプト。優勝賞金も最大1000万円と破格だった。計4回開催されたが、3回目などは「The King of Masters」と銘打ち、年末と年始に前後編の特番として放送するほどの力の入り具合だった。
■テレ東の時代の幕開け
「The King of Masters」の決勝は、10キロのカレーを500グラムずつに分け、20皿を最も早く完食した者が優勝というルール。
小林尊、山本晃也と争った白田だが、他の2人のほうはまったく見ようともせず、ただひたすらカレーを食べ続ける。その様子も急ぐ感じはなく、まるで普通の食事のように黙々と食べているのだがとにかく早い。結局18分55秒で20皿を完食。悠々と優勝を飾ったのだった。
白田はその恵まれた体躯もあって、「最強」のイメージにふさわしかった。4回開催された「フードバトルクラブ」の内、3回の優勝。大食いの代名詞的存在になった。
こうして「大食い」は、テレビエンタメのひとつのジャンルになった。その盛り上がりのさなか、2002年に中学生が早食いをマネして亡くなるという不幸な事故があり一時下火になったが、安全性を見直すなどの措置を取ったうえで復活。大食いは、テレビの定番企画としていまも盛んだ。
大食いの「元祖」のテレビ東京としては専売特許ではなくなったわけで、そのあたりはもどかしさもあっただろう。ただ見方を変えれば、大食い企画の定番化は、「テレビ東京の時代」が始まったことを示す大きな出来事だった。
一般人が食べるところだけで番組を成立させるというのは、考えてみればずいぶん思い切った企画である。そこには、王道ではなくその隙間を狙うというテレビ東京開局以来の「ニッチ狙い」の伝統が息づいていた。
■なぜ私たちは惹きつけられるのか
大食い企画は、なぜこれほど私たちを惹きつけるのか? 思うにそれは、同じ素人のすごさのなかでも、より身近なすごさが感じられるからではないだろうか。
「TVチャンピオン」で言うなら、さかなクンのような専門知識や和菓子職人のような職人技ともまた違い、大食いは誰にとっても日常的に身近な食事の延長線上にある。だからよりわかりやすく、シンプルに「すごい」と思える。
実際、スターとなったフード・ファイターのほとんどは、一見どこにでもいそうな雰囲気の人ばかりだ。体形も力士やレスラーのようなひとはいない。ギャル曽根や赤阪尊子然り、小林尊然りである。そんな普通のひとが、小林尊のように巨漢ぞろいのアメリカ人たちを圧倒する姿は快感以外のなにものでもない。
また男女差がほとんどないのも面白い。先ほどふれた藤田と赤阪の細巻き対決がそうだったように、男女が対等に戦える。
むしろ「魔女菅原」こと菅原初代、「アンジェラ佐藤」こと佐藤綾里、「もえあず」こともえのあずきなど、歴代有名フード・ファイターを見ると女性のほうが目立つほどだ。
要するに、通念を覆すとともにボーダレスなバトルが展開されるのが大食いということになる。そしてそこには人間の極限の姿がもたらす思いもかけない驚きと感動がある。まさにテレビ向きの企画と言えるだろう。
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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)