“パラカヌー”とは、2016年のリオ大会からパラリンピックの正式種目に採用された、おもに下肢に障がいのある人が対象になる競技です。

 

“水上のバリアフリー”と形容され、年々競技人口が増えているというパラカヌーで活躍するアスリートたち。またその周囲には、活動をサポートするさまざまな人々が存在します。彼らはどのような思いで、競技、そしてパラリンピックの大舞台を見据えているのでしょうか?

 

脊髄損傷による両下肢麻痺という重い障がいを負いながら、パラカヌー選手として大活躍している日本代表・瀬立(せりゅう)モニカ選手と、サポートを務める日本障害者カヌー協会・上岡央子(うえおかひさこ)さんに、パラカヌーとその魅力について伺いました。

 

水上スポーツが盛んな
江東区生まれのカヌー選手

きたる2024年はオリンピック・パラリンピックイヤー。とくに回を重ねるごとに注目を集めているのが、近年面白い競技が増え続けているパラリンピックでしょう。今回紹介するパラカヌーは、そのなかでも2016年リオ五輪で正式採用されたばかりの比較的新しい競技。

 

一方で、カヌーはオリンピックでは古くから正式種目として採用されてきたスポーツです。とくに2016年のリオ大会で“カヌー・スラローム”の羽根田卓也選手が日本人初のメダルを獲得したこともあり、競技として知った人も多いでしょう。

 

まずは上岡さんに、パラカヌーの競技としての特徴を教えていただきました。

 

「オリンピックのカヌー競技には『スプリント』と『スラローム』の異なる2種類の競技があり、パラカヌーと同じ『スプリント』では、シングル(1人乗り)、ペア(2人乗り)、フォア(4人乗り)とありますが、障がい者が参加するパラカヌーは、『スプリント』競技だけです。『カヤック』と『ヴァー』の2種目でシングル(1人乗り)だけで、両者は艇の形と漕ぎ方が違うのですが、いずれも流れのない200mの直線コースで着順を競います。さらに、障がいの程度によって3つのクラスに分かれています」(上岡央子さん)

 

パラカヌーの種目

・カヤック……長さ5m×幅が艇底から10cmのところが50cm以上という規定がある1人乗りの競技艇に乗り、両端にブレードがついたパドルで漕いで進むスタイル。2016年のリオパラリンピックから正式種目となった。

 

・ヴァー……長さ7m30cm以内の競技艇の片側に浮力体がついており、片方だけにブレードがついたパドルで漕ぐスタイル。2021年に開催された東京パラリンピックから取り入れられた。

 

パラカヌーのクラス分類

・L1……胴体をまったく動かせず、肩と腕の力だけで漕ぐクラス。
・L2……胴体と腕の力だけで漕ぐクラス。
・L3……腰と胴体・腕の力だけで漕ぐクラス。

 

そのうち瀬立選手は、カヤック・L1クラスの日本代表として活躍しています。日本人で唯一、リオ・東京大会ともに出場を果たしたパラカヌー日本代表選手なのです。

 

東京・江東区生まれの瀬立選手は、実は怪我を負う以前の中学2年のときにカヌーを始めました。東京湾に面し、河川が発達している江東区は、まさに東京五輪の会場となった海の森水上競技場を有する街。五輪に向けて水路を使ったスポーツの振興と選手育成に力を入れてきた歴史があります。

 

「カヌーってそもそも道具を用意したり、カヌーを保管したり乗り降りできる場所を管理したり、始めるハードルが高いスポーツです。でも私が育った江東区は、区内の中学生なら誰でもカヌーを始められる環境を区が提供してくれていました。私もスポーツは小さい頃から得意でしたし、水泳もやっていたので、体育の先生から誘われていたんです。ただ、当時はカヌーに特別惹かれていたわけではなかったかもしれません。というのも、ちょうど中学のときは学校のバスケ部に入っていて、その練習に集中していたので」(瀬立モニカさん)

 

瀬立モニカ選手。

 

始めてみれば、持ち前の運動神経の良さからすぐに国体を目指せるほどの実力をつけた瀬立選手。しかし高校に入って間もなく、両下肢麻痺という重い障がいを負ってしまいます。

 

「競技としてのカヌーがどれだけ難しいかをよく知っていたからこそ、怪我をした直後は、もう一生カヌーに乗ることはないだろうと思っていました。なぜなら腹筋と背筋が使えず、自分の力で座っていることすらできなくなったからです」(瀬立さん)

 

諦めかけた心に火をつけた
水上のバリアフリー

 

ともすれば諦めてしまいそうな状況に打ち勝ち、再び水の上へ挑んだのはなぜなのでしょうか? ここからはお二人の対談によって、パラカヌーにかける思いや、競技環境などの実情を明らかにしていきます。

 

上岡央子さん(以下、上岡):カヌーの競技艇って、レクリエーションで使うカヌーとは違って水の抵抗を小さくするために細く作られています。健常者のアスリートがただ乗って浮くだけでも、実はかなりの練習が必要ですよね。

 

瀬立モニカさん(以下、瀬立):そうですね。誰でも最初は、何回も沈(チン=転覆)しながら5m進むのがやっと。普通の人が安定して水の上で乗っていられる状態になるまでには、3ヶ月くらいかかるかもしれません。

 

上岡:瀬立選手の場合は、胸から下を自分の力で動かすことができません。つまり、障がいの状態がもっとも重いL1クラスでパラリンピック出場を果たしているんですよ。しかも、2014年にパラカヌーを始めて2016年のリオ大会に出場していますから、練習期間としてはたったの2年間! これは並大抵のことではなかったでしょう?

 

瀬立:始めたのは、怪我をして1年くらい経ったころでした。お世話になったカヌー関係者から根気よく勧めていただいたことが最初のきっかけです。でも断るつもりで乗るだけ乗ってみたら、考えがガラリと変わりました。

 

その時に感じたことが、パラカヌーの魅力であるの“水上のバリアフリー”ということ。車椅子で生活していると、段差があるたびに先へ進めなくなったり、友達と移動していても私だけ別のルートになったりすることがたくさんあります。でも、水上に出てしまえば私もみんなと同じように前へ進めました。それに、水の上には速度制限もなければ一時停止もない。障がいを負った私でも自由に動き回れるということに大きな感動を覚えたんです。

 

上岡:カヌーって一度乗ってみるとわかるんですが、今までとまったく違う世界が見えるスポーツなんですよね。なかでもパラカヌーに親しむ方がよくおっしゃるのは、自分が車椅子に乗っていることを忘れてしまうって。実際私たちって、車椅子の方と接する時はどうしても目線の高さが違うので、コミュニケーションにある種のぎこちなさが出てしまうことってあると思うんです。でも一緒にカヌーに乗って水の上へ出てしまえば、健常者も障がい者も目線は同じ。何だかお互いの心までバリアフリーになって、コミュニケーションがスムーズになったりもするんです。

 

上岡央子さん。

 

瀬立:みなさんプールで泳いだり陸を走ったり、水中や陸上の感覚を知っている人は多いですが、水上の感覚を知っている人は案外少ない。水上ってそれだけ特殊な環境です。それに私が競技を始めた2014年当時、L1クラスでリオ出場を目指す女性選手は日本にほとんどいませんでした。だからやると決めれば、すぐ日本代表になれるような環境は整っていたんです。ただ、当時の監督から言われて今でも覚えているのは、「周りにいわれて始めるパターンだと絶対にうまくいかない。やるなら覚悟を持ってから取り組みなさい」という言葉でした。

 

上岡:たしか、当時はパラカヌー用の競技艇すらまだ日本になかったですよね?

 

瀬立:そうでしたね。

 

上岡:パラカヌーは、まず競技艇に乗れるようになるまでにも時間がかかりますし、乗れるようになったとしても、継続するにはサポートするスタッフや環境、そしてお金が必ず必要になってくるスポーツです。

 

瀬立:はい。ひとりではけっしてできないからこそ、覚悟を決めなければ絶対に続けられなくなると思っていました。結果的に私の場合は江東区生まれということで、区が選手の育成に力を入れてくれて。とても恵まれた環境ではあったと思います。

 

上岡:国内でライバルがずっといないというのも、世界を目指すアスリートとしては厳しい環境じゃないですか?

 

瀬立:常に自分との戦いでしかないですからね。国内で同じクラスのライバルって未だにいないんですよね(笑)。

 

上岡:そう! 瀬立選手の活躍もあってパラカヌーの認知度は少しずつ上がっているはずなのですが、女性の競技者がなかなか増えないんです。なぜだろうって私なりに考えてきたんですけど、やっぱり女性の場合はとくに着替える場所が必要だったり、沈して濡れたらシャワーも浴びたいじゃないですか。でもそういった設備が整っている練習場や競技場がほとんどないのが現状で。そういうものは「ない」と割り切れる人でないと、続けていけないのかなって。

 

瀬立:はい。私もトイレで着替えるのが日常です(笑)。それでも、日本のトイレはまだ綺麗だから使いやすいんですけれど。

 

瀬立選手と競技艇。背景は東京湾。

 

パラリンピックを見るなら、
“メカニック”にも注目を!

選手の海外遠征や合宿のサポートをするほか、パラカヌー競技者が競技に集中できる環境を整えることも仕事のうちだという上岡さん。カヌー競技の本場であるヨーロッパに比べると、日本の練習環境はまだまだ乏しい部分も多いようです。

 

上岡:江東区のようにカヌーやボートを気軽に練習できる環境が整っている地域というのは、まだ日本国内にはほとんどありません。ヨーロッパの場合、カヌーを日常的な移動手段として使っているという環境があるところも多いので、おそらくそれもあってあちらの選手は強いんです。ただ、河川が発達しているという意味では、日本も自然環境的には負けてはいないんですよね。

 

一方で、近年は日本でも子どもたちを対象にした自然教育がすごく注目されていると思うんですが、水辺の遊びに対しては“危険なもの”というイメージがつきすぎているところもあるような気がしていて。私たち日本障害者カヌー協会の第一の活動目的は障がい者を対象としたパラカヌーの普及なのですが、パラに限らず、カヌーというスポーツ自体の普及が、これからの未来を左右するカギになると思っています。

 

日本障害者カヌー協会では、オンシーズンを中心に、頻繁に体験会を開催している。写真は江東区の新左近川親水公園カヌー場で行われた「ユニバーサルカヌー体験会」の様子。

 

体験会は競技と異なり、視覚障がいや発達障がいなど、すべての障がいを対象としている。

 

瀬立:日本の選手も遅れをとっているばかりではありませんよ。パラカヌーの選手は自分の障がいに合わせた特殊なシートに座って競技をするので、シートのフィット感もタイムに大きく影響します。そこで私はリオ大会を目指していたときから、『川村義肢』というメーカーに特注したシートを使っていました。たとえば車椅子バスケットボール用の競技用車椅子や陸上競技用の義足など、パラ選手が用いるさまざまな用具を作る人たちのことを『メカニック』と呼ぶのですが、日本のメカニックの職人技は本当にレベルが高いんです。これは世界で一番なんじゃないかな。

 

上岡:瀬立さんのシートはカーボン製。ヨーロッパなど他国の選手のシートは意外とツギハギだったり、発泡スチロールのようなものが使われていたりしますよね。

 

瀬立:そうなんです。2015年の世界選手権に出たとき、私のようなカーボンのシートで競技している選手はひとりもいなくて、みんなに「写真を撮らせてほしい」といわれました。そうしたら、翌年のリオ大会ではみんな私のものと同じようなシートに座っていて(笑)。

 

上岡:パラカヌーの場合、厳密なルールとして決まっているのは競技艇のサイズと重さだけなので、シートのカスタマイズは自由にできるんです。

 

瀬立:私のカーボン製のシートも、私の身体のサイズにぴったり合わせて作っているから、絶対に太れないんですよ(笑)。船は軽ければ軽いほど、細ければ細いほどスピードが出ますし、そういったメカニックの技術の差で0.1秒を争っているのもパラカヌーの面白さだったりします。サポートしてくださるみんなの努力を、私の体重ひとつで台無しにはできないというプレッシャーは常にあるんです。

 

2023年8月に開催された世界選手権で競技会場となった、ドイツ・デュースブルクにて。

 

障がいのあるすべての子どもたちに
「未来は明るい」と伝えたい

東京大会に引き続き、来年のパリパラリンピック出場も目指している瀬立選手。この冬も厳しいトレーニングに取り組む一方で、現在は学生などを対象とした講演活動にも力を入れているそう。

 

瀬立:実は、今日の取材前にも中学校で講演をしてきました。

 

上岡:学生さんたちからすれば興味しんしんですよね。いろいろな質問を受けるんじゃないですか?

 

瀬立:やっぱり中学生なので、「好きな人のことで頭がいっぱいです、どうしたらいいですか」なんて可愛い質問もあったりして(笑)。

 

上岡:それは面白いですね! どんな回答をしたんですか?

 

瀬立:隙間がないくらいに、いっぱい考えなさいと(笑)。

 

上岡:さすが、瀬立さんらしいアドバイスですね(笑)。

 

瀬立:一方でグサッときたのが、やはり身体に障がいを持っている生徒さんからの、「未来は明るいですか?」という質問でした。私たちのようにある日突然障がい者になってしまうと、今後社会生活を送るうえで車椅子生活がどれだけ大きなハンデになるのか、わからないことだらけでとても不安になるんです。たとえば私自身もスポーツが大好きでしたし、運動能力が人より秀でていたからこそ、怪我をした瞬間にそれが苦手なことになってしまったショックはとても大きいものでした。学校の体育の授業すら見学することしかできなくなって、自分の個性を発揮できる場所がどんどんなくなっていったんです。そのように、生きることに自信をなくしていく人も本当に多いのが現状で。

 

上岡:たしかに、私たち日本障害者カヌー協会としても、障がいのある方にいかにして新しいことにチャレンジしてもらうか、その最初のハードルを乗り越えていただくときのサポートの難しさは日々感じています。

 

瀬立:そのハードルの高さが、一種の社会問題でもあると思うんですね。でも障がいによって一度自信をなくしたとしても、パラカヌーのようなスポーツを通じてなら、再びセルフコンフィデンスを高めることができるんです。これは2023年の秋にアジア大会に出場したとき、同じ種目で優勝した中国の選手も言っていたこと。パラカヌー競技者としてこのメッセージを発信していくことが、私の使命だと思っています。

 

上岡:そうですね。私も協会に関わるまで障害福祉に関わる仕事してきましたが、水上のバリアフリーと呼ばれるパラカヌーには、障がいのある人、ない人がより良い形で共生できる社会を作るヒントがたくさんあるような気がしています。

 

瀬立:パラカヌーって、ひとりじゃ絶対にできない競技なんですよね。私も怪我をした当初は日常で誰かに助けてもらうたびに“申し訳ない”とか、“すみません”といった気持ちを抱いていたのですが、ある人に「その『すみません』を『ありがとう』にかえてごらん」と言われてから、自分の障がいとの向き合い方が変わりました。助けてもらって幸せをもらえたその気持ちを、“ありがとうございます”って笑顔で伝えられると、相手も幸せになって、それがまた自分に返ってくる。サポートしてもらうことを引け目のように感じなくていいと気づけた瞬間があったんです。

 

瀬立選手が感じるように、家族や友人をはじめさまざまな人・団体が競技者をサポートしている。パラスポーツを起点に誰もが活躍できる共生社会の実現を目指す日本障害者カヌー協会の指針に、大和ハウスグループで賃貸住宅「D-ROOM」を管理・運営する大和リビングも共感、2023年より協賛している。

 

上岡:それで、「未来は明るいですか?」という質問には、どう答えたのですか?

 

瀬立:もちろん、「未来は明るいから大丈夫だよ」と答えました。私たちのメカニックさんがそうであるように、車椅子ひとつでも立ったまま移動できる車椅子ができたりとか、障がい者を取り巻く技術ってどんどん発展してきているんです。

 

上岡:たしかに、技術の発展とともにパラリンピックもどんどん面白くなっていますしね。

 

瀬立:はい。パラ選手の活躍をきっかけに、障がいを負っても、自分に自信を取り戻していける人たちが増えていったらうれしい。そのために私もまだまだ挑戦を続けます。

 

 

Profile

パラカヌー日本代表 / 瀬立モニカ(せりゅうもにか)

中学1年でカヌーを始め、高校1年のときに脊髄損傷の障がいを負う。リハビリを経て高校2年でパラカヌー選手としてパラリンピックを目指すことを決意。リオ2016パラリンピック競技大会では8位入賞、’19年の世界選手権で5位入賞と驚異的な成績を納め、念願叶って2021年東京パラリンピック出場を果たした。
オフィシャルサイト
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一般社団法人 日本障害者カヌー協会 / 上岡央子(うえおかひさこ)

介護福祉士、福祉住環境コーディネーター、ユニバーサルコーディネーター。幼少時から障害を持つ方々と日常的なかかわりを持つ経験から30年以上にわたり障害福祉分野に携わってきた。2017年の発足時より日本障害者カヌー協会に所属。強化選手のサポートや、より良い競技環境の整備、カヌーの普及活動やサポート講習活動などを幅広く担っている。
日本障害者カヌー協会