「山の神」柏原竜二を支えたデータに基づく指導 東洋大・酒井俊幸監督が個性を尊重する理由
東洋大学陸上競技部(長距離部門)酒井俊幸監督「コーチング哲学」後編
箱根駅伝の常連校で通算4回の優勝を誇る東洋大学陸上競技部は、「その1秒をけずりだせ」をスローガンに個々の才能を磨く指導で多くの日本を代表するランナーを生み出してきた。そんな名門の長距離部門を2009年から率いて以来、箱根駅伝で総合優勝3回、14年連続シード権獲得に導いているのが、就任15年目を迎えた酒井俊幸監督だ。47歳にして、すでに名将の風格を漂わせる指揮官のコーチング哲学に迫るインタビュー。日本を代表する多くの名ランナーを育てた酒井監督だが、特筆すべきは大学卒業後の成長度だ。その背景には1人ひとりの個性を尊重する、データに基づく合理性があった。(取材・文=牧野 豊)
◇ ◇ ◇
2009年に東洋大学の監督に就任して以降、酒井俊幸は学生界を代表するランナーを育成し続けている。
箱根駅伝の5区で4年連続区間賞(1位)、日本学生選手権(インカレ)1万メートルでも4年連続3位以内と平地でも強かった「山の神」柏原竜二(2012年卒)を皮切りに、卒業後も成長を続けたマラソン元日本記録保持者の設楽悠太(2014年卒/現・西鉄)、東京五輪マラソン代表の服部勇馬(2016年卒/現・トヨタ自動車)に同1万メートル代表の相澤晃(2020年卒/現・旭化成)らがその系譜を継いできた。
名前を挙げた選手の中で、高校時代から全国トップクラスと言えるのは服部のみ。それだけ酒井監督の指導が彼らの成長に少なからず影響を与えたと言えるが、指導の基盤に置いているのは「まずは個人個人をしっかり分析すること」と説明する。
「うちは定期的な採血、骨格・筋量の測定、性格など選手個々の特徴を把握し、その上でどのようなトレーニングを組み立てるのかを考えています。ポイント練習(レース本番に近いペースで行うタイム測定走。身体的な疲労が大きい)にしても、中1日でできるのか、2?3日空ける必要があるのかが見えてきますし、ジョグのペース、リカバリー(疲労回復も目的とした練習)の設定も分かってきます」
それは選手の「今」にとどまらず、卒業後の長期的な目標設定にも及んでいく。
「毎月データを取っていくと、選手の特性がはっきりしてくるので、『卒業後すぐにマラソンに挑戦できる』、『マラソンに挑戦するなら、現役時代の後半のほうがいい』という話もします」
選手にとってデータは「己を知る」機会になると同時に、今何をすべきか、卒業までに何をすべきかを考える機会になる。自分について考えることの習慣化は、自主性を養う相乗効果につながっていく。
教科書的な走り方でなくても…推進力に問題なければ細かく修正しない
酒井監督は「走りを見れば、(顔を見なくても)誰か分かる」と言い切る。それだけ選手を知り尽くしている証拠だが、選手の個性を最大限尊重する。例えば、フォームは見た目だけで良し悪しを判断しない。仮に手や足の動きがスムーズに連動する教科書的な走り方でなくても、体軸がブレずに推進力に問題なければ、細かく修正することはしない。
その典型例が柏原だった。腕を前後に大きく振り地面を踏みつけるような無骨なフォームだったが、その走りだからこそ、箱根駅伝史に残る活躍を見せた。また、「個性」の意味を広く捉えると、レースでの強烈な印象とは対照的に、柏原は貧血症状も含めて年間を通して高いレベルの走りを維持できるような体質ではなく、自分自身の考え方を他者に聞いてもらうことで気持ちを整えるタイプでもあった。そうした様々な要素を鑑みながら、「負けない柏原竜二をプロデュースしていた」と酒井監督は振り返る。
柏原の後に続いた選手たちも個性はそれぞれ異なった。「才能の塊」と酒井監督が称する設楽は、私生活ではマイペースを地で行くタイプだったが、レースでは圧倒的な強さを誇った。服部はエリートランナーとしての誇りを持って入学してきたが、才能あふれる設楽ら2学年上の選手たちに刺激を受け、奢ることなく精進し続けた。入学当初、自信を持ちきれていなかった相澤は、謙虚な姿勢と長い手足や胴周りが厚い身体的長所を生かし、徐々に力をつけていった。
「性格にしても走りの動きにしても個々に異なるので、その選手が最大限、力を発揮できるベストな状態を見極めることを心がけています」
今夏の世界選手権では西山和弥(2021年卒/現・トヨタ自動車)がマラソンで新たに日の丸を背負うOBとなった。今後、どのような「個性」が酒井監督の下から羽ばたいていくのか。
今季はここまで出雲駅伝で8位、全日本大学駅伝で14位。エースの松山和希ら4年生にとっては、節目の100回大会が自らの集大成の箱根駅伝にもなる。その走りに注目したい。(文中敬称略)
■酒井俊幸(さかい・としゆき)
1976年5月23日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)2年時に全国高校駅伝に出場。東洋大学時代は1年時から3年時まで箱根駅伝に出走し、2年時はシード権獲得に貢献。4年時は出走できなかったが、主将としてチームを引っ張った。卒業後はコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝では2001年からの3連覇の中心選手として活躍を見せた。現役を引退し、2005年4月から母校である学法石川高の教諭に。2009年4月から母校・東洋大学陸上競技部(長距離)の監督となり、以来、箱根駅伝では総合優勝3回を含む10年連続総合3位以内の成績を残したのをはじめ、次回大会まで監督就任以来15年連続出場を継続中。学生三大駅伝の出雲駅伝(2011年)、全日本大学駅伝(2015年)でも大学史上初の優勝を飾っている。2017年まで指導していた競歩選手、長距離の卒業生を含め、五輪や世界陸上の日本代表選手を輩出している。
(牧野 豊 / Yutaka Makino)
牧野 豊
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「NBA新世紀」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。