250ccで4気筒DOHCは世界初だったスズキGS250FWの狙いが秀逸!【このバイクに注目】(このバイクに注目)
それでも届けたかった4気筒の贅沢な快適さ!
250ccで4気筒……1982年当時、それは国産ライバルメーカーが手をつけていないカテゴリーだった。
1976年にDOHC2気筒のGS400、DOHC4気筒GS750で4スト化に追随したスズキは、1980年にGSXシリーズの気筒あたり4バルブ化で先んじる攻勢に出て、GSX250E・GSX400Eのツイン、GSX750E・GSX1100Eの4気筒で瞬く間にラインナップを揃えてみせた。
そして1981年には400ccクラス初の4気筒16バルブ搭載のGSX400Fも投入。
そうなると当然250ccにも同様に4気筒モデルを考えるようになる。
実は以前、1977年にミラノショーでイタリアのベネリ(Benelli)が250ccの空冷SOHC4気筒をデビューさせていた。
ところが4気筒化のリーダーたるホンダは、CB750Fourの後にCB500Four、そしてCB350Fourまではラインナップしたものの、250ccでは沈黙を守っていたのだ。
理由は250ccまで小さくなると、レーシングマシンならともかく実用域では2気筒が優位とわかっていたからだ。
しかし追いつけ追い越せで攻勢をかけてきたスズキは、4気筒を水冷化していく開発に着手していて、4バルブのGSX400FWを1983年にデビューさせたのだが、同じく水冷化した250ccDOHC4気筒は2バルブ……車名もXがつかないGS250FWとなっていた。
量産車で世界初の250ccDOHC4気筒となったGS250FWには、敢えて2バルブでもユーザーへ届けたい思いがあったのだ。
4気筒を開発するようになったエンジニアには、そのツインとは全く異なる爽快なエンジン・フィーリング、スムーズな快適さは格別だった。
そこで絶対性能ではツインに届かずとも、この贅沢な感性を250ccユーザーにも味合わせたいとの思いが強くなり、低中速域を優先した2バルブでデビューさせたというわけだ。
2バレルのキャブレター採用が物語るコンセプト……そうしたエンジニアの思いをカタチにしていくプロセスで出てきた手法が2バレルキャブレター、つまりひとつのキャブレターにふたつの吸気路がある、4気筒を4キャブではなくふたつのキャブレター装着で開発する方法だった。
やみくもにスペックをセールスポイントにせず、実質的な2バルブと2バレルキャブレターとなったGS250FWは、試乗しても単なる高回転高出力を狙った4気筒でないのが明確に伝わってきた。
既に同年、スズキはRG250Γ(ガンマ)という、水冷2スト・アルミフレームという鮮烈なスポーツマシンを投入していたので、速さやコーナーを攻めたいライダーをターゲットにする必要はないと割り切れてもいたのだ。
そして実際、そのハンドリングも落ち着きのある安定性や安心感を優先した秀逸なレベル。
当時これほどオトナ向けを感じさせた250ccスポーツはないと感銘したほど、その完成度は高かった。
ところがそんなスズキ開発陣の思いは、まさにパワー競争に突入してしまった世間とは乖離したものとなってしまい、スペックで表記される36ps/11,000rpmは単にパワーのないマシンと捉えられてしまったのだ。
しかも初のDOHC4気筒を謳ったことで、刺激をうけたライバルのヤマハが1985年に水冷4気筒16バルブのFZ250FAZER、続いてホンダも1986年に同じく水冷4気筒16バルブのCBR250FOURと、超高回転化による45psがスタンダードな世界となってしまったのだ。
スズキは翌年GS250FWを1psパワーアップしたが、1985年にそのコンセプトをカウル装着したアッパーなイメージではなく、若い層にも受け容れやすいネイキッドとしたGF250へと製品化をスイッチ。
果たしてその乗りやすさ、しかもいちばん味わって欲しかった滑らかさと安定感が評判となり、女性ライダーにも好まれて一定のユーザーを獲得していた。
さらにパワー競争にも対応、同じ45ps/13,000rpmとしてライバル同様のハーフカウルを装着したGF250Sも1986年に投入。
2バレル2キャブの仕様は変更なく、中速域の強みは維持したはいたものの、割り切れていたコンセプトが崩れてしまった結果は残念なモノとならざるを得なかった。
そしてスズキも1987年には4バルブ化を示すGSXを冠した、GSX-R250をレプリカシリーズにラインナップしたのだった。
ただスズキには最新最先端で勝負をかけるいっぽうで、オトナ向けの実用域での楽しさや、スポーツバイクを愛でる感性を信じたデザイン・コンセプトを追求するマインドが存在していて、それは美しいネイキッドとして一世を風靡したBANDITシリーズとして1989年に開花している。
闘うスズキのイメージの傍らで、趣味性としてのスポーツバイクを大切にするこうした姿勢は、開発陣が自分ゴトとしてマインドに没入していた証しのようなもの。
発表会で実に嬉しそうに「愛」を語る姿にどれほど共感したか……伝説の名車とはならなかったこうしたバイクたちの秘めたるストーリーは忘れられない。