14年の現役生活に幕 ヤクルト荒木貴裕が最高のユーティリティーになれた理由
9月26日、ヤクルト二軍の戸田球場。荒木貴裕がネクストで代打の準備を始めると、バックネット裏のスタンド席に座る多くの観客が、目の前の試合を忘れてカメラやスマートフォンのレンズを向けた。今季限りでの引退を発表したベテラン・ユーティリティープレーヤーの最後の勇姿を残すためだった。
今シーズン限りでの引退を発表したヤクルト・荒木貴裕
荒木は2009年ドラフトでヤクルト3位指名を受け、近畿大から入団。ルーキーイヤーの開幕戦で「7番・ショート」で先発するも、その後は二軍生活が続き伸び悩んだ。そのなかで活路を見出したのが、ユーティリティーとしての道だった。
きっかけは、真中満二軍監督(当時)から「外野もやって、幅を広げてみよう」と勧められたことだった。
「ふつうに考えたら、ひとつのポジションを守っている選手より、2倍、3倍の練習量が必要だと思い、やりました。外野守備はそれこそ初めてでしたし......」
練習に練習を重ね、経験を積むことで、やがてチームにとって欠かせない存在となっていった。内外野を守れ、代打、代走、守備固め......もちろんスタメンを任せることもできる。なによりベンチの作戦を理解する選手として、歴代首脳陣からの信頼は厚かった。
「今の野球は9人ではできないと思っていますし、選手交代せずに終わる試合はありません。ピッチャーは分業制になり、投手に打席が回ってくれば代打が出ることもある。そのなかで、いつでも自分の役割を果たしたいと思ってやっていました」
そう語る荒木に、ユーティリティーの心得を聞いた。
◎代打の心得
「大事なのは相手ピッチャーの情報をしっかり頭に入れて、積極的にいくことです。代打では、その場面で一番やってはいけないことを考えて打席に入りました。それができれば、手を出してはいけない球種や狙い球も絞れてきます。結果、最低限の仕事につながり、ヒットやホームランになることもありますので」
◎代走の心得
「一番大事なのは点差と守備位置です。ここは無理する場面じゃないとか。そのなかで、たとえばキャッチャーなら、ワンバウンドの時にブロッキングするのか、それともミットで捕りにいくタイプなのか。それによってスタートが変わったりします。あとは相手の守備位置とか、外野手の肩の強さ、ピッチャーの特徴、味方打者の打球方向の特徴とかを頭に入れて、代走の準備をしていました。盗塁はもっとしたかったのですが、なかなか難しかったので、ベースランニングを大事にしていました」
◎犠打の心得
「僕もバントは苦手でした。当たり前にできると思われているからこそ難しい。こういう形なら、こう転がるとか......成功する形を見つけることですね。そのためには練習して、しっかり自分の形を作るしかない。あとは相手の守備力じゃないですけど、フィールディングがそこまで得意じゃない投手だったら、多少強く転がってもいいわけですし。そういった状況判断も大事だと思います」
◎守備固めの心得
「送りバントと一緒で、できて当たり前と思われているからこそ難しいです。極端な考えですが、レギュラーであれば取り返せるチャンスはいくらでもありますが、守備固めや代打でのバントの場合は一回ミスをしてしまうと取り返せる場面がないというか......。その悪い場面の印象だけが、自分のチームや相手チームに残ってしまうんです。そうならないようにするためには練習するしかない。それでも人間がやることなのでミスは起きてしまう。そうなったらより練習する。それしかないと思います」
◎試合に臨む心得
「大切にしていたのは準備です。その日、守る可能性のポジションを自分の想定する範囲で練習する必要がある。試合では、代打、代走、守備固めなど、戦況を見ながらどこでもいける準備をしていました。ただ毎試合戦況は違うので、めちゃくちゃ抽象的な言うと、試合には流れって絶対にあるので、その流れを敏感に感じられるようにすることです」
【ヤクルトは極端なチーム】荒木は「引退を考え始めたのは、9月の頭くらいです」と話した。
「正直、体の部分では悪いところもあって......治るものじゃなかったですし、そこと付き合いながらだったので、それはしんどかったです。そのなかで、なかなか一軍にあがる機会がなく、チームも若い選手を積極的に起用しているところがありましたし。スワローズに入ってから、チームの戦力になれない時はやめようと思っていたところもありましたので」
今シーズンは開幕から二軍での試合が続いた。大半を灼熱の戸田で過ごした荒木は、一緒に練習、試合をした若手たちにこんな言葉を贈るのだった。
「やっぱり、プロ野球選手は一軍でプレーしてこそだと思っています。選手によって成長速度の違いはありますが、僕もすぐ活躍できたタイプじゃないですし、自分がやると決めたことを地道にコツコツ続けることが大事だと思うので、頑張ってほしいですね」
14年間の現役生活で印象に残っている場面について聞くと、2015年のリーグ優勝を挙げた。
「僕は泣くことがないんですけど、あの時は泣きましたね。今まで野球をしてきて、大きい試合で優勝したのは初めてでしたし、それが印象に残っています。『あっ、自分も泣くんだな』と。最近は『はじめてのおつかい』(日本テレビ系列)を見て、うるっとくるようになりましたけど(笑)。
個人としては、松山(2017年5月14日の中日戦)で打ったサヨナラ満塁ホームランですね。人生で初めての経験でしたし、自主トレや秋季キャンプでお世話になっている方たちの前で打てたことがうれしかったですね。悔いはいくらでもあります。もっと成績を出したかったとか。ほぼほぼ悔しい思いしかないですね」
ヤクルトはどんなチームでしたかと聞くと、「極端」と言って笑った。
「強い時は強いし、弱い時は弱い。けっこう最下位になったんじゃないですか。こればかりは理由はわからないですけど(笑)」
9月28日、戸田球場では荒木らしい"ささやかな"引退セレモニーが開かれた。グラウンドには、同期入団の中澤雅人二軍マネージャーと山本哲哉二軍育成投手コーチの姿があった。荒木が引退することで、2009年ドラフト組はすべてユニフォームを脱ぐことになった。
「とくにそこを気にすることはなかったですけど、これで全員ですね。もちろん、もっと続けられたらよかったですけど、終わっちゃったなという感じです」
そして荒木は「9月30日には神宮へ行きます」と話し、試合で打席に立つことがあれば「楽しみたい」と語った。ユーティリティーとしてチームを陰で支え続けた荒木の、現役最後の姿を目に焼けつけたい。