ベイスターズ史上最強助っ人、ロバート・ローズの日本での後悔「自分の仕事じゃないって放棄していた」
ボビー・ローズインタビュー(前編)
横浜ベイスターズ"史上最高の外国人選手"と呼ばれたロバート・リチャード・ローズ。通称ボビー・ローズが日本に帰ってきた。6月の球団公式イベント「Get The Flagシリーズ」での来日に続き、この8月には家族を伴い私費で来日。突然、甲子園やハマスタの外野スタンドに現れ、「カモン・ローズ・ビクトリー」とファンとともにチャンステーマを歌い、YouTubeなどのメディアにも積極的に出演している。ベイスターズ日本一のマシンガン打線のど真ん中に君臨したローズ。引退して20年が経過した今、残してきた思いを吐露する。
今年2度目の来日を果たしたロバート・ローズ氏
── 現役時代、インタビュー嫌いといわれていたローズさんが、今回のインタビューだけでなく多くのYouTubeにも出演していて、随分と印象が変わったなぁと驚いています。
ローズ 今朝、出かける前に妻のミッシェルからも「あら、あなたがインタビューを受けるなんて珍しいわね」と驚かれました(笑)。だかといって、僕が変わったわけじゃないんです。現役時代、僕の仕事は、グラウンドでパフォーマンスを見せることであって、テレビ局で愛想よくインタビューに応えたり、スタイリストをつけて雑誌の撮影に応じることじゃない。たくさんのオファーをいただいていましたが、すべて断っていました。そのことで充分な準備ができず、集中力とパフォーマンスを削がれたくなかったからです。
── 当時は複数年の契約も少なく、とくに外国人選手は1年1年が勝負でした。日本にいた1993年〜2000年までの8年間、最高の成績を収め続けられた理由にはローズさんのそういう姿勢があったからなんですね。
ローズ 1993年に日本に来た時、この地に野球人生を捧げる覚悟でいました。それは僕にとってはプロとして結果を残すこと、グラウンドのなかがすべてであって、それ以外の世界にはいっさい興味を持つことを許しませんでした。それは、僕の母の教えでもあるんです。「ひとつのことに秀でることに集中しなさい」と小さい頃からずっと言い聞かされてきました。
ただ、人間にはエゴがあるからね。1年うまくいくと、「僕は野球選手なんだ」「すばらしい成績を残したんだよ」と言いたくなる気持ちがもたげてくる。そうじゃないんだ。大事なことは、成功できたとしても、奢らず、謙虚にそれを為し続けること。僕はプロ野球選手である以上、野球にすべてを捧げ、いい選手であり続けることだけに向き合いたかった。だからこのインタビューが出るまで20年以上もの時を必要としてしまったよ......ごめんね。
── 謝らないでください。そのおかげで8年間の平均で、打率3割2分5厘。101打点、20本塁打という誰も成し得ない成績でチームに貢献し続けてくれたのですから。それは6月の「Get The Flagシリーズ」で来日された時の、多くの人たちの歓迎ぶりにも現れていたと思います。
ローズ 信じられない光景だった。20年以上の時間が流れているのに、たくさんの人が「ROSE 23」のユニフォームを着て、名前を呼んでくれた。思わぬことに感情が激しく揺さぶられてね。控室で涙腺が壊れてしまったんだ。僕は現役選手の時、幸せなことにたくさんのファンの人に応援してもらった。打席に入る時、ホームランを打つ、打点を挙げる。その時のファンが喜ぶ姿を見れば、自分がいま愛されているということは実感できました。でも、その時の僕はプレーに集中することばかり考えていて、ファンの気持ちに十分応えているとはいえなかった。
それがね......僕がベイスターズを去り、もうこのチームのためにヒットも、打点も、何も貢献することができない今になって、あれだけの多くの人たちが僕のことを迎え入れてくれた。あの時の子どもが大人になり「ありがとう」と言ってくれる。青年だったファンが小さな子どもを連れてきて「大好きだ」と言ってくれる。僕も少しぐらいは今のファンに認知されているとは思っていたけど、想像を遥かに超える歓迎で.........本当に、うれしかった。この人たちに対し、今の自分に何ができるのだろう。アメリカに帰国してからすぐ、自分がやるべきことをやろうと、今回の来日の準備をはじめたんです。
【苦手なSNSを始めたワケ】── なるほど。ある意味で、現役時代にやり残してきた思いを埋めるために、今回私費で奥さんと末娘のリアンナさんを連れての来日となったのですね。
ローズ リアンナも25歳。大人になった。優勝から25年だよ......フー。(感極まって通訳KK氏の帽子をとる)ロングヘアーだった彼もすっかり大人しくなってしまってね、こんなに時間が流れているのに......。
── あの......通訳に乱れが生じているので穏やかにお願いしますね。
ローズ すまない(笑)。僕が成績を残すことができたのは、このKK(小島通訳)とYAS(川島通訳)というふたりの通訳のおかげだからね。彼らが家族の面倒も含め、僕がゲームに集中する環境をつくってくれたんだ。でも、ちょっと聞いてみたいんだけど、こうやって通訳を介して会話をするというのは、どういう気持ちだい?
── うーん、会話の細かいニュアンスと、リズムがつかめないことにもどかしさを感じることがありますね。
ローズ その気持ち、すごくわかるんだ。引退してから、これまで日本語を勉強してこなかったことをどれだけ後悔したことか。現役時代はやっぱりグラウンドでの成果を上げることに固執していたあまり、日本語を学ぶことは自分の仕事じゃないって放棄していたんです。あの時、僕がちゃんと日本語でダイレクトに話ができたら、ササキサン(佐々木主浩)やコマダサン(駒田徳広)、シゲ(谷繁元信)たちとの理解はもっと深く強くなっていたはず。それをしてこなかったことがやっぱり悔しくてね。
── ではこれから日本語を勉強しようという気になっていると。
ローズ (日本語勉強のアプリを見せながら)じつはもうはじめています(笑)。
── 25年前にやり残したことを56歳になってからはじめるなんて、頭が下がります。
ローズ いやいや。年齢は言い訳の理由でしかなくて、何をするにも遅いということはないんです。常に挑戦しなければならないと思っています。
── そういえば、今年になってからSNSをはじめられたこともびっくりです。
ローズ ずっと、イヤだったんだよ。何年か前から末娘のリアンナと彼女のフィアンセから「あなたは情報を発信するべき人だ」と何度も説得させられてね。僕はソーシャルメディアもiPhoneのこともよくわからないデジタル難民の50代のおじさんです。SNSの何が苦手かって、発信と言えば聞こえはいいけど、自分自身の内面を見つめ、自分の恥部を曝け出すものじゃないかと思っていてね。「冗談じゃないよ」と断っていたけど、今年になり、何度目の説得かでついに折れてアカウントを開設してみたんだ。そうしたら、日本のファンの方が熱心に見てくれて、リアクションが返って来る。遠くにいても"つながっている"というやつだよね。
── つまり、ハマってしまったのですね。
ローズ 今では何度も僕に拒否されながら、根気よく説得してくれたリアンナたちに感謝しているよ(笑)。彼女たちの頑張りがなければ、僕がいま横浜にいることもなかったかもしれないからね。ただ、プレー以外のことで、ボビー・ローズという自分を出すということは本当に難しく感じる。たとえば僕がタイトルを獲った時の写真やトロフィーをポストすれば、ファンの人たちは喜んでくれるのかもしれない。だけど、そんなことをするのは、ボビー・ローズではないし、何より恥ずかしいじゃない。そのせめぎあいがね、ずっとあるんだよ。
【初操縦であわや大惨事のトラブル】── デジタル発信が普通になっている今の選手との世代のギャップを感じます。しかし、苦手なことにも果敢に挑まれるのはすごいです。
ローズ ありがとう。さっきも言ったけど、何をするにも遅すぎるということはないんですよ。それは僕の母が教えてくれたこと。母は今年の夏、78歳で博士号をとったんです。びっくりしたよ。彼女の挑戦する姿勢は、僕に家のソファーでのんびりし続けることを許してくれなかった。だからというわけではないけど、僕も引退してから小型飛行機の免許をとったんです。
── 現役時代は大の飛行機嫌いで、遠征は駒田さんとともに新幹線移動が常だったローズさんが飛行機の免許ですか?
ローズ そうです。飛行機は僕にとって恐怖でしかなかった。だけど野球から引退し、その恐怖と対峙することがなくなったんですね。100マイルのボールで常にインコースを攻められていた現役時代は、常にゼロコンマの判断で、ヒーローにもなれば、選手生命を終わらせる大ケガを負う恐怖と戦う世界でした。僕はすべてのことを野球に集中し、それ以外の余計な恐怖は少しでも減らしたくて飛行機を避けるようにしていた。それが、引退して打席に立たなくなったことで人生から恐怖と対峙することがなくなった。なので、あれだけ恐いと思っていた飛行機と向き合ってみようと思い、小型飛行機のライセンスをとったんです。
── 生活だけでなく、恐怖の感情すらも野球に全振りしていたんですね。
ローズ だけど、僕の挑戦はまだ成功したとは言えない。リアンナが「パパの飛行機には絶対に乗りたくない」って言うんだよ。なぜなら初めてのフライトの時、操縦を誤ってしまい、機体が真っ逆さまに落ちてしまったんです。その瞬間、「あ、死んだ」と覚悟しました。でもあきらめなかったんだよ。まだ死んではいけないと思って、必死にストールを立て直してなんとか生還することができた。
── 無事でよかったです。そしてさすがの抜群の勝負強さですね。
ローズ あれほどの恐怖はなかったよ。恥ずかしい話、知らないうちに失禁していたんだ。でも、このひどい経験がこれからの何かに生きてくるんですよ。なぜなら、野球も人生も失敗から得られることはすごく多い。あそこまでのギリギリの危機に陥った状況から、自分がどういうふうにリカバリーしていくか。あきらめたら死んでしまう。終わっちゃう。その場面で何ができたのかという過程を得られたことは、決して無駄じゃない。
── そういえば、今年のベイスターズも交流戦優勝で25年ぶりのリーグ制覇も現実味を帯びてきましたが、そこから優勝争いから脱落という直滑降の恐怖を味わいました。この経験は必ず生きてくるということですかね。
ローズ そうだね。彼らにはとてもすばらしい才能がある。そして、監督にミウラサン(三浦大輔)さん、コーチにサイトウタカシサン(斎藤隆)、イシイサン(石井琢朗)、タカノリサン(鈴木尚典)ら勝つことを知っているメンバーがいる。間違いなく彼らは強いチームになるよ。
── では、野球の話は後編でじっくりとお聞きします。
後編:「進藤達哉と石井琢朗の守備に心の底からヤバイと思った」につづく>>
ロバート・ローズ/1967年3月15日、アメリカカリフォルニア州生まれ。93年に来日して、8年間ベイスターズでプレー。98年は「マシンガン打線」の中軸として、チームの日本一の立役者となった。99年には打率.369、153打点で二冠王を獲得。2000年のシーズンを最後に退団。02年にロッテに入団するもシーズン前に退団した。その後は、マイナーリーグのコーチなどを務めた