日本インカレ400m女王・鳥原早貴の今 ソフトバンク本社から志願してホークス広報に「野球と陸上のコラボが密かな野望です」
福岡ソフトバンクホークスの広報と言えば、ホークスオフィシャルリポーターとしてSNSなどで選手の情報発信をしている加藤和子さんがファンにはお馴染みだろう。
だがじつは、ホークス広報室にはある界隈における有名人がいる。それが今回紹介する鳥原早貴さんだ。
元陸上選手で現在はホークス広報を務める鳥原早貴さん
鳥原さんは青山学院大の陸上競技部出身。同部は男子の駅伝チームが有名だが、女子短距離も強豪として知られている。学生時代の鳥原さんはトップスプリンターとして活躍。日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)では女子400mで2度も日本一に輝いた。また、4×400mリレーでも優勝を果たしている。
2013年日本インカレ・女子400mで優勝を果たした鳥原さん 写真/月刊陸上競技
広報として地元メディアなどに露出する機会も多いといい、その経歴を前面に出してもいいように思うのだが、鳥原さんは決してそのようなことはしない。
「陸上で日本一をとったことは、ただ目標に向かってやるべきことをやっていたら得られた結果。自分のなかでは特別なことだとは思っていないんですよね」
こうきっぱりと言いきる。
2013年関東インカレ優勝時 写真/本人提供
【「競技を続けてほしい」の周囲の声】
以前、スポルティーバで広報の加藤さんを取材させていただいた際、インタビューを仕切ってくれたのが鳥原さんだった。じつは筆者は学生時代の鳥原さんを取材したことがあり、約10年ぶりの再会となった。
同じく広報の加藤和子さん(右)と一緒に
あれほどの実績の持ち主が、どうして競技を退いたのか、また、どのような経緯でホークスの広報を務めることになったのかが気になり、取材を申し込んだ。
「日本代表になることをずっと目標にしてやってきて、大学で最後にしようと思っていました。そして、最後の年に日本代表に選ばれて東アジア選手権に出場できました。タイミングとしてはいいかなと思い、引退を決意することができました」
有終の美を飾るとはまさにこのこと。初めて日本代表として出場した東アジア選手権が鳥原さんの引退試合になった。その試合では、個人種目の400mで3位、4×400mリレーで2位と2種目で表彰台に上がった。
青山学院大陸上部の同期メンバー(鳥原さんは下段右から3番目、左隣は妹の有華さん)
「陸上の場合、何年も自己ベストが出ないっていうことがざらにあるじゃないですか。そのなかで、最後の1年もちゃんと自己ベストを出せて、結果も残していたので、引退していいのか、葛藤もありました」
揺らぐ思いもあったのは事実。もちろん周囲にも惜しむ声は多かった。
とくに双子の妹・有華さんが新聞社の内定をもらった時には「(鳥原さんの)記事を書きたいから競技を続けてほしい」と言われたという。
それでも鳥原さんの決意は固かった。女子短距離選手を受け入れる実業団が少ないという事情もあったが、大学4年間で陸上競技に区切りをつけた。
ちなみに、鳥原さんの学年は陸上競技界では「プラチナ世代」と言われ、男子マラソンの大迫傑(ナイキ)、男子短距離の飯塚翔太(ミズノ)、男子やり投のディーン元気(ミズノ)ら、今も現役で活躍している選手は多い。
大学卒業後、鳥原さんが新卒で入社したのは、ホークスではなく、グループ会社のソフトバンクだった。
「一番になった経験を持つ人が応募できる『No.1採用』に応募しました。その仕組みが面白いなと思いましたし、チャレンジングでアグレッシブな社風にも惹かれました」
ソフトバンクでは東京の本社に勤務し、5年間、法人営業を担当。陸上競技に打ち込んだこれまでの10年間とは生活が一変した。
だが、鳥原さんの心の中にある思いが芽生える。
「(陸上競技を)引退してからの5年間、スポーツを見る側になって、スポーツが持つ力ってすごいなっていうのを再認識しました。スポーツへの思いを捨てきれていなかったんですね。スポーツに携わる仕事がしたいという強い思いがありました」
ソフトバンクグループには「フリーエージェント制度」というものがあり、鳥原さんはその制度を利用してホークスに応募した。そして、希望が叶って出向が決まった。
メディア向けの情報発信が日々の主な仕事だ
最初の2年間はスポンサー営業を担当した。その後広報に異動し、出向期間を終え、昨年4月に正式にホークスに転籍した。
鳥原さんが所属する広報室の仕事は、選手関連のメディア対応を担う球団広報と、イベントやグッズなどの広報を担う事業広報とがある。鳥原さんは後者を担う。
たとえば、女性向けのイベント「タカガールデー」を前身とする「ピンクフルデー」や、毎年恒例の「鷹の祭典」といった一大プロジェクトの情報を発信するのが仕事だ。
「主要なプロジェクトのPR担当を任せていただくのは、すごく自信につながっています」と、やりがいは大きい。
"スポーツに携わりたい"という思いは強かったものの、正直に明かせば、野球は詳しくなかった。ホークスに移った当初は、それで苦労したこともあったという。
ただ、好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、試合を見るたびに、ホークスを好きになっていき、野球や選手について詳しくなっていった。
「それでも、野球って奥が深いので、戦術とか戦略とか、まだまだ理解がおよばないところはいっぱいあるんですけどね」
公式動画配信サービス「ホークスTV」の取材班と談笑する鳥原さん
そんなマイナス要素も、鳥原さんは「ある意味、自分の強みだと思っている」とポジティブに捉えている。
「自分はライトなファンの方々に近い。彼らが何を求めて球場に足を運ぶのか、彼らの気持ちを考えてPRすることも大事だと思っています。面白いネタがないか、常にアンテナを張り巡らせています」
たとえば、昨年3月にホークスの本拠地である福岡PayPayドームのファウルポールが「マルタイ棒ラーメンポール」と命名された。ファウルポールのネーミングライツ契約は日本で初めてのことだった。
「これは面白すぎる!」と思った鳥原さんの行動は、たんにプレスリリースを各メディアに発信するだけにとどまらなかった。自らマルタイに出向いて、いきさつや裏側を取材し球団の公式noteの記事にしたのだ。
これにより、さらに掘り下げるメディアが出てきたり、SNSでちょっとした盛り上がりが起こったりした。プレスリリースだけではここまでの盛り上がりはなかったかもしれない。
「試合の勝ち負けはコントロールできませんが、球場に観戦に来たお客さまに『楽しかった』っていうふうに感じてもらえることはできるんじゃないかなと思っています。そう感じさせるのが事業広報の仕事だと思うので、しっかりとそれらを発信します。
また、チームや選手だけでなく、球団で働く人にフォーカスした発信も行なっています。ホークスという会社のファンをひとりでも増やしたい」
鳥原さんは、こんな思いを抱き、日々の業務に当たっている。
陸上競技の経験者ならではのアイデアも思案中だ。
「陸上と何らかのコラボができたら楽しそうだなと思いますね。周東選手をはじめ、最近は俊足の選手が話題に上がるので、オフの期間にそういうコラボができたら、陸上ファンが野球を知るきっかけにもなるでしょうし、野球のファンが陸上のことを知っていただくきっかけにもなると思います。密かな野望です」
走ることから離れても、陸上への愛は変わらずに持ち合わせていた。鳥原さんの野望はどのような形で結実するのか。願わくば、走る広報の姿を見てみたい。