日本代表でも久保建英に「リーダーとしての顔」トルコ戦で見せた周りを輝かせる異能
「Participativo」
スペイン、サンセバスティアン。レアル・ソシエダのお膝元で久保建英の取材を続けていると、彼を言い表す表現として、そのフレーズがしばしば出てくる。
「(集団活動への)参加に積極的な」
スペイン語で、集団性の高さを表している。
言うまでもないが、サッカーは11人対11人の集団スポーツである。「個」の強さはひとつのベースになるが、味方とのプレーを重ねることによってこそ、選択肢は無数に広がり、力は倍増するのだ。
その集団性は、単純に「組織」と表現されるものではない。組織を動かすには、まず個で相手を打ち負かすことが求められる。その積み重ねがチームとしての強さに結びつくのだ。
その点で、久保のコミュニケーション力の高さは他の追随を許さない。
9月12日、日本代表はトルコ代表と対戦し、4−2と勝利を収めている。トップ下として先発した久保は、あらためて"違い"を見せつけた。代表歴の少ない選手が多く先発し、新しい組み合わせになったチームで、ひとりひとりを連結させるような覇気を放った。簡単に見えるが、際立った成熟だ。
トルコ戦にトップ下でフル出場し、日本の快勝に貢献した久保建英
まずはプレスからして違った。序盤からタイミング、追い込むコース、その強度などで模範となっていた。ボールの置きどころは罠を張ったようで、体の使い方も独特。相手を間合いに入らせず、相手をイラつかせている。また、得意とするピッチを横切るドリブルで、スペースを作り出しながら、活発に動きを与えていた。
久保は自らがプレーを示すことによって、チームの座標になっていた。たとえば自陣でボールを受け、ワンツーでリターンを受けると、すかさずドリブルで敵陣に入り、左足で古橋亨梧の足元に滑り込むようなラストパスを送る。個と組織が融合した象徴的シーンだ。
その集団性は、生真面目で規律を守るだけでもたらされるものではない。いわゆるスペイン流と言えばいいだろうか。個人が集団を動かす気概、と言い換えられる。
「自信があるって言うよりも、それが当たり前だと思っています」
【日本代表でも主力と組めば...】
ドイツ戦後の久保はそう語っていたが、プレーに確信があるのだろう、なんら迷いがない。個人がチームを牽引し、チームが個人にアドバンテージを与える循環だ。
現在の久保は、どのサッカーに合うかというより、どのサッカーにも合わせられるだろう。ビジャレアル、ヘタフェでは、受け身のカウンター主体のサッカースタイルに苦しんでいたが、今ならどんな要求に対しても適応できるに違いない。むしろ中心選手として戦術をアレンジし、色合いを出せるはずだ。
もっとも、やはりボールプレーの中心にある久保が魅力的だろう。彼はプレーを足し算ではなく、掛け算にできる。能力の高い選手と絡むことで何倍も輝かせ、輝く。昨季のラ・レアルでは、ダビド・シルバとの"呼吸"は特別で、久保自身も飛躍的な成長を遂げた。日本代表でも、鎌田大地、三笘薫、遠藤航、冨安健洋など主力と組めば、お互いが掛け算で高め合い、別次元のプレーとなるはずだ。
トルコ戦に話を戻すと、チームの攻守が噛み合っていないところがあったからこそ、久保の異能が強く滲み出たとも言える。
右から中に切り込み、裏に入る堂安律に出したパスは合わなかったものの、高速プレーのなかで最高水準のアイデアだった。また、2点目は中村敬斗と入れ替わりながら左足で鋭い球筋のミドルでGKを脅かし、こぼれ球を中村が決めた。自身で決めるつもりだったろうが、得点力も高い中村に花を持たせる格好になった。右CKでは、ショートで伊東純也に出し、そのリターンを受けると、中を警戒したマーカーの裏をかくシーンがあった。一瞬のフェイントで縦に切り込むと、マイナスのクロス。完全に守備ラインを崩していた。
得点こそなかったが、大勝に貢献した。何気ないディテールに本質はあったと言える。たとえば相手守備網のギャップで、バックラインの谷口彰悟から縦パスを受けると、滑らかなターンで攻撃に転じたシーンは圧巻だった。
「パッと見た時に、タケの姿は自然に視界に入ってくる。ほとんど無意識にパスをつけられる」
久保とチームメイトになった多くの選手が言う。それこそ、世界トップでプレーを革新させている理由と言える。サッカーは"ボールを預け、受ける"という繰り返しなのだ。
「久保はとにかく周りを輝かせる。それによって、彼も輝ける。ボールを巡る"呼吸"にこそ、久保という選手の土台があるのだろう」
ラ・レアルのあるスタッフはそう語っていたが、それは代表でのプレーとも付合している。
ラ・レアルという個人の連帯が求められるチームでプレーすることによって、久保は本来の才能が触発されたのか。今や、久保自身の才能がクラブや代表を輝かせている。その循環が続く限り、久保の可能性は無限である。