2014年、中国とのサービス貿易協定締結に学生や市民が反対した「ひまわり運動」。ひまわりを持って台湾の立法院(国会)の議場を占拠した。(写真:時事通信フォト)

『週刊東洋経済』7月31日発売号では「台湾リスク 迫る『有事』の全シナリオ」を特集した。緊張が高まる台湾海峡情勢や半導体強国の背景、2024年に実施される総統選挙など台湾の政治経済を徹底解説している。

中国は台湾の「平和統一」を掲げつつも、実際はさまざま手段を使って統一攻勢を仕掛けている。中国はどのように台湾に影響を及ぼし、社会に浸透しているのか。「中国(チャイナ)ファクター」の概念を提示し、その実態を研究してきた台湾・中央研究院社会学研究所の呉介民氏に話を聞いた。

――「中国(チャイナ)ファクター」とはどのようなものですか。

中国の台湾に対する影響力の行使のことだ。私は2009年に初めて学術論文で「中国ファクター」という概念を提起した。


2017年にはアメリカのスタンフォード大学と全米民主主義基金の研究者らが「シャープパワー」という概念を出した。シャープパワーとは、中国などの権威主義国家が世論操作や工作活動で対象国の政治システムに影響を与える概念だ。

中国ファクターにはシャープパワーの要素も含まれている。ただし、中国ファクターは社会のあらゆる領域で影響力の行使が現れていることを指摘している点で、シャープパワーよりも広い概念だ。

台湾は日本や欧米よりも早い段階から中国の影響を受けてきたので、中国ファクターの研究が早くにできた。今では日米欧でも中国の影響力が認識され、中国ファクターの研究手法は世界でも分析に使えることがわかった。

あらゆる領域に「中国」が浸透

――台湾における中国ファクターにはどのような事例がありますか。

台湾社会のあらゆる領域で中国ファクターは確認されている。選挙への介入、メディアやSNSへの影響力、観光産業や宗教界、娯楽産業への圧力などだ。

有名なものとして2005年に台湾の大手企業、奇美実業の創業者である許文龍氏が「一つの中国」原則に同調する書簡を出した事例がある。許氏は民進党に近い人物だった。中国は奇美実業の現地社員を税務違反容疑で拘束。その後、許氏は「中台は一つの中国に属す。台湾の独立は支持しない」と表明した。

中国は、台湾人が台湾に対して国家アイデンティティをもつことを懸念している。許氏の事例は、台湾の著名実業家に中国を祖国だと認めさせるための操作として成功したものだ。これ以後、許氏の声明文を雛型に、中国で活動する台湾の実業家や芸能人らが同様の声明を出す事例が相次いだ。

2009年には、台湾・高雄市で開かれた映画祭でウイグル人リーダーのドキュメンタリー上映を中止するよう中国が圧力をかけた。当時の高雄市長は民進党籍で、圧力に屈しなかった。これに対し、中国は中国人観光客を高雄市に行かせないなど措置を講じた。

2012年の総統選挙も有名な事例だ。選挙当日の1カ月前から中国で活動する台湾出身のビジネスパーソンらが「一つの中国」原則を認めることにあたる「92年コンセンサス」の支持をメディア上で相次いで表明し、国民党の馬英九候補を支持した。こうした人たちは、「92年コンセンサス」を守らなければ中台関係や経済に悪影響が及ぶと発信し続けた。

この選挙では馬氏が再選を果たした。この事例を通じて台湾社会は、親中メディアや親中企業家の影響力がとてつもなく大きなものになっていることに気づいた。多くのメディアや企業がすでに中国に取り込まれていると認識した。 

――中国ファクターは台湾の民主主義や社会を傷つけているといえますか。

傷つけているといえる。2012年の選挙では実証研究も行われた。一連の「92年コンセンサス」の喧伝による影響力行使で、台湾の中間層における馬氏の得票が5〜10%増えた可能性がある。接戦だったので、中国ファクターがなければ馬氏はあのように勝てなかったかもしれない。


ご・かいみん 中央研究院社会学研究所研究員。台湾大学卒、アメリカ・コロンビア大学政治学博士。編著に『中国ファクターの政治社会学』(撮影:楊子磊)

また2018年には関西国際空港で台風によって孤立した旅行者への支援をめぐり、中国発のフェイクニュースが広まった。台湾政府は中国政府に比べ対応がずさんだったとして、社会で批判が上がり、大阪に駐在する台湾の外交官の自殺も起きた(詳細は「大阪駐在の台湾外交官はなぜ死を選んだのか」)。台湾で「関西空港事件」と呼ばれる認知戦は、ほかの政治的要素とともに同じ年の地方選挙での民進党大敗にも影響した。

新型コロナ禍中の2021年に台湾ではワクチン不足が起き、台湾では社会不安が広がった。その際にも中国は台湾の蔡英文政権が無能で腐敗していることがワクチン不足の要因と認知戦を展開した。実際には中国が台湾政府による海外ワクチンの購入を妨害していた。世論操作によって、民進党政権の正統性を傷つけている可能性がある。

――2024年1月には総統選を控えています。中国は影響力を行使していますか。

もちろんしている。中国の影響力に台湾社会や政府も警戒するようになった。そのため中国は注意を払い、反中国感情を起こさない形で影響力を行使しようとしている。

直近では、中国は国民党の幹部や地方首長との交流を深めている。例えば、国民党籍の人物が県長(知事)を務める台東県には中国が禁輸していた果物の出荷を認め、国民党が有利になる状況を作ろうと試みている。

まさにアメとムチだ。中国は台湾に軍事的圧力というムチとともに、国民党には利益を供与し、台湾市民に国民党でなければアメは得られないと理解させようとしている。

「親中」意見がTikTokやYouTubeにも

――中国の印象を上げるためのネットでの発信はどうですか。

例えばTikTokなどは若者が好んで使っており、影響力行使のツールにも使われている。それ以上に有名な事例は、著名ユーチューバーなどインフルエンサーの活動だ。親中的な意見や今の民進党政権を批判し、影響力を持っている。

彼らは中国の代理人のような行動をするが、過去のメディアへの影響力行使とは異なる事例といえる。かつて中国は親中企業によるメディア買収やコンテンツの買い取りなどで影響力を行使してきた。これは明確に契約やお金の流れが見える。しかし、インフルエンサーたちは視聴者による投げ銭(寄付)による形式なので、明確な契約関係がない。

こうした人たちは、親中的な発言や蔡英文への批判をすることに関して契約の有無は確認できない。ただ、親中的な言動で投げ銭が増えるならば、ユーチューバーは自然と親中あるいは反民進党言説を広めるほうに向かう。これが今の台湾の言論空間に影響している。

――中国ファクターに台湾はどう対抗していますか。

台湾社会は、中国ファクターへの対応で他国より多くの経験がある。他国にない大きな特徴は、台湾では中国ファクターへの対抗が市民社会から始まったことだ。他国では政府が対応を主導している点と異なる。

中国で菓子など食品事業を展開する旺旺集団(ワンワングループ)という親中企業が、台湾の大手新聞社やテレビ局を買収していた。同社は2012年にさらにケーブルテレビのチャンネルを増やそうと試みたが、これに対して学生や若者らがメディア独占に反対する運動を展開し、親中言説の広がりに抵抗した。

2014年には、中国とのサービス貿易協定締結に反対する「ひまわり運動」が起きた。立法院(国会)の議場を平和的に24日間占拠し、同協定の批准に関する採決を阻止した。当時与党だった国民党と中国共産党の協力関係にクギを刺した。

以上は市民社会が効果的に中国ファクターに対抗した事例だ。2016年に民進党政権になって、政府も中国ファクターへの対策を始めたが、現在も市民社会が主導している。

中国が意図しなかった台湾社会の変化

――中国ファクターは効果を発揮し、中国の台湾社会への浸透は成功していますか。

台湾への影響力行使について、成功か失敗かを全体で評価することは難しい。個別に成功や失敗の事例がそれぞれある。ただ、中国が影響力を行使する究極的な目的は台湾を併合することだ。それは達成されておらず、台湾では民主政治を継続しているという点では中国ファクターに抵抗できている。

台湾社会は影響をそのまま受けて変わる無機質なものではなく、有機的で能動的な主体である。中国ファクターの影響を受けたら、対抗する動きも必ず生まれる。双方の力は拮抗しており、中国の台湾への影響力行使は進化し続けるが、台湾の抵抗力も進化する。

中国ファクターを15〜20年の期間でみると、中国が意図しなかった結果を台湾社会にもたらした。それは台湾独立運動の方向性を変えたことだ。従来の台湾独立運動は第2次世界大戦後に台湾にやってきた中華民国体制に対し、憲法を変えて新たに台湾として、建国独立したいというものだった。

ところが、現実的な見方をすれば、この10数年間で台湾独立は中華民国に対する内向的なものから、中国ファクターや中華人民共和国に対抗する、統一戦線工作に反対する外向的なものに変わったといえる。それはつまり、内向的な台湾独立運動から外向的な台湾独立に変化していったといえる。これが中国政府の意図していなかった結果のひとつだ。台湾独立を推進する人たちは別の見方をするだろうが、これは歴史に対する私がもつ1つの読み解き方だ。
 
ただ、もともと建国独立を主張していた民進党も、現在では、台湾はもともと独立国であり、その国号は中華民国だとする。この「中華民国台湾」の考えは台湾社会で多数が受け入れて、主流になっている。これは実際には現段階における歴史的な妥協である。

中国ファクターが台湾のあちこちで観察され、対抗すべき反民主や統一の圧力が、主に中国発であるとわかったからだ。これは、中国がもたらした台湾の歴史的変化であり発展である。


(劉 彦甫 : 東洋経済 記者)