ハリウッドでストライキ中の俳優、ミラ・ムラシュコさん(筆者撮影)

ハリウッドの映画やTV業界で働く16万人の俳優たちが7月14日、ストライキに突入し、日本でもトム・クルーズの来日が中止になるなど、大きな話題となっている。ストをしている人の中には、いわゆるエキストラ俳優でありながら年収800万円近くを稼ぐ人も。そんな彼らはいったい何を求めてストを起こしているのだろうか。

ハリウッドでは群衆役は「必要不可欠」

「私のようなバックグラウンド・アクターにとって、最大の脅威は、人工知能(AI)に職を奪われてしまうこと。それだけは絶対に阻止したい」。そう語るのは、ミラ・ムラシュコさん、36歳だ。

彼女は、映画会社ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの建物の前でプラカードを掲げていた。白いTシャツには「SAG」の3文字が描かれている。彼女が加入している「全米映画俳優組合」の頭文字だ。

彼女が自分を形容する「バックグラウンド・アクター」という言葉は、群衆や通行人などを演じる、いわゆるエキストラのこと。言葉通り「シーンの背景に溶けこむような役」だ。例えば、第二次大戦中に原爆の開発を主導した物理学者を描いた最新映画『オッペンハイマー』にも彼女は群衆の1人として出演している。

アクション・シーンや大がかりな演出が売りのハリウッド映画では、群衆役が不可欠なため、彼女のような俳優の需要がコンスタントにあるのだ。「せりふのない役ばかりだけど、急にダンスやテニスの技術を必要とされることもあるから、つねに新しいスキルを磨いている」と彼女は言う。

また、ファーストフード店のコマーシャルに出たり、テレビの人気コメディー番組に出演したこともある。


ソニー・スタジオの前で、ストライキを行うハリウッドの俳優と脚本家たち(筆者撮影)

ムラシュコさんの俳優歴は5年。アルバイトは一切せず、バックグラウンド俳優の仕事だけで、昨年は6万2000ドルを稼いだ。税金や労働組合費、あっせん事務所への支払いなどを差し引くと、日本円にして手取りは約800万円だ。

「8時間当たりの撮影につき約180ドルの報酬が俳優労働組合員の最低賃金として保証されるけど、仕事そのものは毎回自分でゲットする必要がある」とムラシュコさんは言う。

12時間の撮影が終わったら、次の現場が始まるのが1時間後という綱渡りのスケジュールもあるそうだ。「睡眠不足でも、身体がキツくても、来る仕事は全部受けておかないと、収入が不安だから」と彼女は言う。

AIに「代替される」のが恐い

そんな彼女が今最もおそれているのは、映画会社やテレビ局や映像配信企業が、彼女の顔や身体をスキャンし、AI技術を駆使して、その映像を加工し、永久使用する権利を得てしまうことだ。

「1回の撮影で、全身をスキャンされてしまえば、スタジオ側が私の映像をあらゆる方法で加工することが技術的には可能。そうしたら次からはもう撮影に呼ばれなくなるかもしれない。AIによって置き換えられてしまうのが怖い」とムラシュコさん。

実は撮影現場で身体や顔をスキャンされるという体験は、2019年頃からすでに何度も頻繁にあった、と彼女は言う。

「ワーナー・ブラザースの『スペースジャム2』の撮影で、私たち120人ぐらいがスタジオに呼ばれ、違う衣装を着て、身体をスキャンされた。スキャン作業を拒めば仕事自体が与えられないから、誰も断ることはできなかった」

スキャン済みの映像の所有権や使用権に関する契約は特に提示されず、書類にサインすることもなく撮影は終わった。「あの時点で、スタジオ側がスキャン映像を将来どう使うのか、私たちにはまったくわからなかったし、誰もルールを把握していなかった」。AIという言葉が、映画業界ではまだ頻繁に使われていなかった4年前のことだ。

スキャン映像をもとに、ビジュアル・エフェクトなどの加工をする作業は映画界ではすでに日常的に行われており、群衆の頭数を増やすために、群衆の映像をコピーしたり加工するのも、すでに標準的な作業だ。

こうした中、ムラシュコさんは1本の作品限定用にスキャンされたはずの自分の顔や身体の映像が、別の映画でも今後使用される可能性があるのかどうか、また、その著作権、所有権、使用権は誰にあるのか、心配している。

ムラシュコさんいわく、「最近では、泣いたり笑ったり、さまざまな感情を表現してその顔をスキャンされれば300ドルの報酬がもらえる、という単発の仕事まで業界内で出回っている」。

全米映画俳優労働組合を代表するダンカン・クラブツリー・アイルランド氏は、「スタジオ側は、スキャン映像とAIを使って、バックグラウンド俳優の許可なく、その映像を永久使用したい意向だ」と主張している。

これに対し、映画会社、テレビ局、アマゾンやネットフリックスなどが所属する業界団体「AMPTP」は「俳優本人の許可を取らず、使用料金の支払いをせずに、スキャン映像を勝手に使うことはない」と反論しており、両者の言い分は真っ向から対立している。

契約書をすべて読むのはほぼ無理

俳優組合に所属する16万人のうち、ムラシュコさんが演じるような群衆役を過去1年間で1度でも経験した俳優は3万人強はいる、と言われている。

ハリウッドの生態系の底辺で働く彼らにとって、個別の映画の撮影契約書は、当日、呼ばれた現場に行かなければ交わせないケースが多く、その場で与えられた契約書の細かい文字を短い時間ですべて読むのは難しい。その上、署名を拒絶すれば、その仕事にありつけないため「NO」が言いにくいという事情もある。

だからこそ、組合を通した労使契約で、AIの使用がどう定められるか、適切な報酬が支払われるのかーーは、今後の職の存在そのものを左右することになる。

「例えばトム・クルーズは、自分のアクションは自分でやるし、彼は自分の作品のプロデューサーも務めているから、スタジオと個別に交渉できる強力なパワーを持っている。でも私たちには、組合以外に誰も守ってくれる存在はない」とムラシュコさん。

ウクライナのザポリージャ出身の彼女が、アメリカ移住したのは近隣のクリミアがロシアに併合された2014年だった。「将来戦争が起きるかもしれないから、安全な土地に行こう」と決心し、アメリカで会計事務所に就職したが、数字に興味が持てず、俳優業に転身。最初はパートタイムでエキストラを演じながら、フルタイムの俳優になり、組合にも加入して、コロナ禍も乗り切った。

ロシア軍がウクライナに侵攻し、故郷ザポリージャにある原子力発電所がいつ攻撃されるかわからないという一触即発の危機に直面し、最近、母親をウクライナから連れてきたばかりだ。母親の難民申請の手続きをしながら、これからしばらくは2人分の生活を支えていく収入を稼ぎ出さなければならない。

俳優業から足を洗った仲間も

ストライキ中は俳優としては働けず、失業保険も出ないため、月に1500ドル(約21万円)かかるアパートの家賃のほかに、生活費を何としても捻出する必要があるという。

「物価高騰もすさまじいし、俳優業ではもう食べていけないからと、この業界から足を洗った人もいる。でも、自分はこの仕事で生き残りたいから、プラカードを持って闘う。映画の観客にとっても、生身の人間である俳優が表現する、さまざまな感情の機微をスクリーンを通して味わって楽しむ経験を奪われたくないはず」とムラシュコさん。


母親のぶんまで働いて稼がないといけないと話すムラシュコさん(筆者撮影)

インタビューが終わると「語彙力がなくて、ごめんなさい」と彼女はつぶやいた。彼女の英語はネイティブではなく、アクセントも強いが、そんな状況でハリウッドの扉を自力でこじ開け、せりふのない俳優業で生計を立てられるまで努力してきた。

俳優組合に加入したばかりの頃の仕事が、クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、プレイボーイ・マンション内での撮影だった。「世の中にこんな面白い仕事現場があっていいのか、と驚愕した。その日以来、この業界の片隅で生きていこうと決めた」と彼女は言う。

真夏の灼熱の太陽の下、吹き出る汗をぬぐいながら、彼女はプラカードを持ち、くしくも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の配給元である、ソニー・スタジオの前を練り歩いていた。

(長野 美穂 : ジャーナリスト)