ライダーに優しいアメリカンスポーツ、Buell人気は熱かった!【このバイクに注目】(このバイクに注目)
オリジナルバイクを創ることに!
ビューエル(Buell)といえば、ハーレーの巨大なVツインを積んだスポーツバイクとして1990年代後半に名を馳せたブランド。
他にはない個性溢れるルックスと、何より大事な誰にでも馴染みやすいハンドリングが人気で、いまでも大事に乗り続けているファンも少なくない。
実はこのブランドの主、エリック・ビューエルはハーレーのサービス部門のエンジニア。
ハーレーに勤めながら自らロードレースに賭けていて、英国バートン社の2スト4気筒レース用エンジンで純粋なレーシングマシンを製作、できればこれでメーカーになれたらという夢の実現を目指し、1986年に自宅ガレージでビューエルモーターサイクルを起業したのだった。
ところがレースを統括するAMAが、アップハンドルのプロダクションバイクへと主流を切り替えてしまい、エリックはハーレーでもXR750でレースをするHOG(ハーレーオーナーズグループ)からのオーダーに応えるかたちでRR1000を製作。
この大きなカウルに覆われた中に、巨大なハーレーVツインが宿るこのルックスは、レースでも好調でこの雰囲気のカスタムバイクのオーダーが殺到したのだ。
この奇抜なレーシングカスタムで勢いをつけたビューエルは、フルカバードではない一般的なスポーツ・ツーリングのモデルを開発、1989年からRS1200としてデビューしたのだった。
巨大なエンジンのスペースがなくなったリヤサスをエンジン下へマウントする独自のスタイルは、1996年にS1としてさらに一般的な仕様へと進化、レーシングライダーだったエリックの「感性に馴染みやすい怖くないハンドリング」でなければならないというコンセプトと実際に乗りやすいと評判で、ハーレーのディーラーでも購入できる位置づけへと成長していった。
乗りやすさ最優先の最新フレームの組み合わせ
1992年のM2(写真後方)とハーレーの傘下になった後の1999年にスポーツ度を高めたX1(写真前)とは、日本でも注目を浴びマイノリティ好きのライダーが少なからずオーナーとなったヒット作。
巨大なVツインが、ブルブルと震える振動をビューエルはバイブレーションの方向や強さなど知り尽くしたさすがのフローティング・マウントで、穏やかな鼓動部分しか伝わらないマジックの塊りだった。
その前輪がけして切れ込まない穏やかなハンドリングは、巧みな重心位置やアライメント設定で意外なほど正確で素早いターンインで、知る人ぞ知る傑作スポーツとして認知されていた。
ハーレー傘下となって設計開発に打ち込めたエリック・ビューエルは、ハーレーからロードスポーツに搭載しやすい仕様のスペシャルエンジンが供給されるようになり、これを機に車体まわりを前面刷新。
2003年にXB9R(エリックの横)と2004年にXB12Rがデビューした。
最大の特徴は、フレームが燃料タンクを、スイングアームがオイルタンクを兼ねることだった。
ホイールのリム側でマウントするディスクブレーキなど、それまでの常識を破る奇抜さが大きいものの、ビューエルの常に手堅い感性に馴染みやすいハンドリングは、パワフルで尖るいっぽうのスーパーバイクとは相容れないライダー愛(1,320mmの超ショートホイールベース+175kgの軽さ!)に満ちていたのだ。
しかし理想を追うビューエルは、次なるステップとして2008年に水冷75°のVツインをROTAXへ発注。
このタイミングでハーレーの傘下から離れることとなり、斬新なバイクの完成はみたものの、プロジェクトの歩みは前進すら難しくなっていったのだ。
水冷エンジンのビューエルには魅力を感じない……そんなファンに背を向けられながら、ビューエルは資本を募ってEBR(エリックビューエルレーシング)を起業、全米トップクラスのレースで全てアメリカ製のマシンで優勝するという、永年の夢も叶えることができた。
しかし、どんなに優秀であろうとバイクを生産することとファンの心を繋ぐのは、様々な仕組みと多くの情を込めたプロの存在が不可欠だ。
創ることに専心し過ぎたエリック・ビューエルは、結果としてEBRを去ることとなり、EBRはいまも一部のファンに応える活動を続けている。
日本でも全盛期だった頃に多く見かけた、S1、M2、X1の強烈な個性と、生き物のような鼓動に製作者の愛を感じる乗りやすさは、いまでも多くのファンの心に宿ったままだろう。