約50年前に廃止となった東濃鉄道駄知駅を活用していたバスターミナルや車庫が、2022年9月をもって閉鎖されます。車庫の構内、アスファルトの下には今もレールが残っているのだとか。陶磁器の街の歴史がひとつの終わりを迎えます。

ほとんど鉄道ターミナル駅のままだった広大なバス車庫 消滅へ

 廃止となった鉄道の駅を敷地に転用したバス車庫やバスターミナルは、今も各地でちらほらと見かけることができます。その一つでもある岐阜県土岐市の東濃鉄道(東鉄バス)車庫が2022年9月末をもって閉鎖、構内にあった「駄知」バス停も廃止となります。


東濃鉄道(東鉄バス)の駄知バス停。もともとターミナル駅で、引込線跡の取付け道路などを含め面影が随所に残る(画像:Google)。

 この場所には、1974(昭和49)年まで東濃鉄道駄知線の駄知駅があり、廃止後は敷地全体を舗装した上で、同社のバス部門(以下、東鉄バス)の拠点として活用していました。

 駄知バス停にはJR中央線の土岐市駅や多治見駅、瑞浪駅からの東鉄バスなど1日約50本のバスが取付け道路から車庫に入り、かつての駅構内を200mほど走行していました。

 鉄道駅だった当時は旅客駅、貨物駅、車両基地まで併設していたという構内は広々として、10台ほどのバスが待機しても余裕があるほど。鉄道車両の整備に使われていた車庫はそのままバスの整備場に再活用され、そのなかには今もレールが残っているのだとか。

 その他にも、レールをアスファルトで埋めた場所もあるようで、20年近く前に筆者(宮武和多哉:旅行・乗り物ライター)が乗車した際は、サービス精神が旺盛な運転手さんが「あのアスファルトがボコっとしたところ、あの下に線路があるよ!ほら!」と言いながらハンドルを切って車庫内で大きく旋回し、座席上でその「ボコっ」を体感させていただきました。大型バスが悠々とカーブを描けるほど、この敷地は広いのです。

 また駄知バス停やベンチの裏手には鉄骨造の建物があり、2019年まで東鉄バス駄知営業所として、その後も乗車券販売所として営業。建物の横には、1922(大正11)年に駄知線が「駄知鉄道」として開通した際の記念碑と小さな神社があり、この一角だけは昔から変わらない佇まいを見せています。

駄知の鉄道は「中央線が来なかったから、自分達で作った」!

 駄知の街は「日本三大陶磁器」の一つである「美濃焼」の産地として知られ、出荷のために鉄道誘致に積極的であったといいます。しかし熱心な働きかけにもかかわらず、1902(明治35)年に開業した官設鉄道は駄知ではなく土岐津駅(現在の土岐市駅)を経由することになります。そこで陶磁器の出荷、原材料の搬入のため、この地の窯元たちによって駄知線(土岐津〜東駄知 10.4km)が建設され、駄知駅は貨物ホームや何本もの側線を擁するターミナル駅として整備されました。

 駄知線は戦後に電化された後、旅客が急増、1965(昭和40)年の時点で1日1.3万人の利用がありました。土岐市への通学や名古屋市内への通勤、出張などで、朝晩には4両編成の電車が満員だったといいます。

 しかし周辺地域のマイカーの急増によって、昭和40年台前半から乗客は一挙に激減。ついには駄知〜東駄知間の区間廃止が話し合われるようになります。また旧中山道に近いこの地は道路事情の改善も早く、陶磁器の輸送も国道19号や中央自動車道(1973年開通)などを使ったトラック輸送に移り変わっていきます。


バスの車庫となっている駄知バス停(宮武和多哉撮影)。

 そうしたなか、1972年の「昭和47年7月豪雨」によって土岐川を渡る橋が流失。東濃鉄道を支えていた窯元も被災しました。川沿いに拠点を構えていた陶磁器の原材料の製造業者が次々と廃業するなど、一時は街の先行きに影を落としました。

 当初は復旧を目指していた東濃鉄道も、2年後の1974(昭和49)年に復旧を断念して廃止。駄知駅はそのままバス営業所やターミナルとして改装され、現在に至ります。

もう1路線も廃線、自転車道になった東濃鉄道

 駄知の街では、今でも60軒以上の窯元が美濃焼を作り、「どんぶり生産日本一の街」として知られています。駄知バス停から町内を巡回するコミュニティバスは、その名も「駄知どんぶりバス」。車体前に掲げられた、フタを開けた瞬間のような丼のイラストが目印です。

 バス車庫から出て駄知の町並みを眺めると、陶磁器の卸問屋やかつての協同組合跡など歴史を感じさせる建物が目をひき、駅から全国に陶磁器が出荷されていた頃の賑わいぶりを彷彿とさせます。間もなく役割を終える駄知バス停やバス車庫を訪れたら、周辺をぶらぶらと歩くのも良いでしょう。

 駄知線の線路跡は、駄知駅周辺を含めて多くの区間が自転車専用道路として整備されています。また、5kmほど西側の多治見市笠原町では、東濃鉄道のもうひとつの路線「笠原線」(1979年廃止)跡の自転車道も。駄知と笠原、鉄道跡地のサイクリングロード巡りも良いのではないでしょうか。


東濃鉄道駄知線の起点だった土岐市駅に停まる東鉄バス(宮武和多哉撮影)。

 なお駄知バス停やバス車庫は今後売却され、駄知バス停ならびに取付け道路の入口にあった駄知南山バス停の廃止後は、近くの一般道にある「長者町」「南山公園」バス停を利用することに。駄知バス停止まりだった系統は、こちらも鉄道駅跡を活用した東駄知バス停までの運行となります。

 ちなみに、東鉄バスの営業エリアでは2022年10月に「イオンモール土岐」開業、2025年に2ヶ所の総合病院を統合した新しい病院の開業などを控え、その路線網は今後大きく変わっていきそうです。