100年以上前に製造された、現在のグリーン車に相当する客車に立ち入ったことはあるでしょうか。高知県内で保存されているロ481号は、御料車を除くと唯一といえる優等客車の保存例です。どんな客車でしょうか。

鉄道開業100周年を記念して復元保存

 明治時代の鉄道車両は、博物館明治村(愛知県)や鉄道博物館(埼玉県)など、各地で保存されています。ただし、高知県佐川町にある「ロ481号客車」は、その中でも特筆すべき保存車両といえるのではないでしょうか。


JR四国の多度津工場に展示されていたロ481号客車(2019年3月、安藤昌季撮影)。

 なぜならこの客車は、「明治時代の2等客車」だからです。2等車は、現代でいうグリーン車に相当します。御料車や3等客車の保存例はいくつかありますが、一般客が乗車できた優等客車の保存車両はここだけではないでしょうか。ちなみに鉄道博物館にある「開拓使号客車」は、1880(明治13)年の優等客車ですが、これは開拓使長官など、一部の人だけが乗車できる特別車両でした。

 ロ481号は、1906(明治39)年に鉄道作業局新橋工場(現在の東京総合車両センター西エリア)にて、32両製造されたうちの1両です。形式は「D400形」。全長7.977m、全幅2.489m、全高3.638m、自重7.37トンでした。現代の在来線鉄道車両は、全長20m、全幅2.9m程度が大半ですから、かなり小型の車両といえそうです。しかも車体は木製なので、車輪が4本あるボギー台車ではなく、2本だけの1軸台車です。連結器もバッファーが付いたねじ式であり、現在主流の連結器とは異なります。

 このロ481号は、現在のJR土讃線の前身である高知線を走りました。東京から四国にやってきたのは1924(大正13)年のこと。この年、同線は須崎駅から高知方面の日下駅(高知県日高村)までが開業し、同年中に高知駅まで延伸されています。

 なお当時、高知線はどことも接続していませんでしたから、新線開業に合わせてロ481号は、線路以外を伝って運ばれてきたことになります。

車体の中央にトイレと手洗い所が

 ロ481号客車は1933(昭和8)年まで運行されて、引退しました。その間、鉄道省は新造車両を鋼製客車に切り替えており、ボギー台車の大型車両が普及し始めていました。高知線は讃予線(現・予讃線)と接続して丸亀駅方面と直通するようになっており、小型のロ481号では輸送需要に合わなかったのでしょう。


車体中央にあるトイレと手洗い所(2019年3月、安藤昌季撮影)。

 引退したロ481号は、地元の高知県佐川町出身で、警視総監や宮内大臣、陸軍少将などの要職を歴任した田中光顕伯爵により保存されました。佐川町の博物館である「佐川町立青山文庫」に、「寄贈列車閲覧室」として寄贈されたのです。要するに図書館になったということです。

 その後、1968(昭和43)年に青山文庫が改築されることが決まると、ロ481号は解体されて香川県の多度津工場に運ばれました。そして1972(昭和47)年の鉄道開業100周年を記念し、2年間かけて復元。なお運搬時は車体だけで足回りはなかったとのことですが、現在はダブルスポーク(松葉スポーク)の車輪が取り付けられています。

 前述した通りロ481号は小型の車体ですが、車体中央にはトイレと手洗い所が設置されており、いかにも優等客車らしいところです。車内はロングシートですが、隣の車両への貫通路がないため、妻面にも車体幅いっぱいに、横長のクロスシートが配置されていました。

 筆者(安藤昌季:乗りものライター)は許可を得て着席しましたが、奥行きが深い「ソファ」というべき座り心地で、現代の鉄道車両に設置されたロングシートを上回る座り心地だと感じました。もちろん、高性能な衝撃吸収機構など持たない台車ですから、現役時は相当に揺れたと思いますが。

 そのようなロ481号は昨2021年、JR四国から佐川町に無償譲渡されました。つまり、53年ぶりの里帰りを果たしたわけです。「ロ481号客車展示施設うえまち駅」と称し、月曜日を除いて見学が可能。車内へ入れるだけでなく、足回りも見られるといいます。