「ことでん」こと高松琴平電気鉄道には、経済産業省が「近代化産業遺産」に認定した3両のレトロ電車が在籍しています。すでに1世紀近く前の製造ながら、一部は作業用車両として現役。その歴史を振り返ります。

琴平電鉄開業時に新製された

「ことでん」こと高松琴平電鉄は、香川県内で3路線を運行する鉄道会社です。歴史をたどると3社が合併し誕生していますが、そのうちの1社である琴平電鉄は、1926(大正15)年に栗林公園〜滝宮間を開業させました。そしてなんと、その開業時に新製された電車が、2022年現在も使われていることをご存じでしょうか。


ことでん1000形120号(2019年3月、安藤昌季撮影)。

 その電車とは、1000形120号と3000形300号です。1928(昭和3)年に製造された5000形500号とともに、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。

 なお、ことでんのレトロ電車としては、元近畿日本鉄道の20形23号も近年まで現役で、こちらは1925(大正14)年製造とより古い車両でしたが、近代化産業遺産となっているのは概ね原型が保たれている先の3両です。ではそれぞれについて、その歴史と現在の様子を見ていきます。

 まずは1000形120号です。琴平電鉄開業に備えて、1000形は100・110・120・130・140の5両が、1926(大正15)年に汽車製造株式会社で製造されました。

 特徴は両端に運転台を持ち、単体で走行可能な客車であること。全長14.5m、幅2.6m、高さ4.1mと、現代から見るとやや短い車体です。窓の縁は曲線で構成され、正面と側面に取り付けられた車板も楕円形をしているなど、優美な雰囲気です。ちなみに登場時は車内がニス塗りで、戸袋窓が楕円でした。

 高松(現・瓦町)〜琴平(現・琴電琴平)間は31.2kmあり、当時の電車としてはかなりの長距離運転でした。

引退してもどっこい現役?

 1000形は登場以来、琴平線で運用され、1967(昭和42)年から更新工事がなされると、志度線、そして最後は長尾線専用電車として使われました。1988(昭和63)年には「鉄道友の会」より「エバーグリーン賞」を受賞。2007(平成19)年まで定期列車として使われたのち、イベント用の動態保存車となります。


ことでん3000形300号(2019年3月、安藤昌季撮影)。

 2009(平成21)年に先述の近代化産業遺産に認定されましたが、昨2021年に惜しまれつつ引退。現在では仏生山工場にて、可動状態を保ったまま事業用車両となっています。

同い年 3000形300号とは

 3000形300号も1926年製。3000形は日本車両株式会社で300・315・325・335・345号の5両が同年に製造されました。1000形と同様に製造番号が連続した数字ではないのが特徴です。

 全長は1000形よりやや長い14.7m。幅と高さは同じです。外見上の特徴は側扉の戸袋窓が楕円であることで、これは2003(平成15)年に復刻されたもの。1000形と異なり、通常の側窓は角ばっています。また、窓の上下に補強板「ウィンドシル・ヘッダー」があります。

 製造費は3万3750円。現在の貨幣価値に直すと約2.61億円とのこと(1000形は3万5600円なので約2.75億円)。JR山手線のE235系電車が1両1億数千万円程度のようなので、大正時代の電車が高額だったことが伺えます。

 新製以来、琴平線で活躍していましたが、1976(昭和51)年より志度線へ。その後は1000形120号とほぼ同じ変遷をたどります。現在はやはり仏生山工場にて事業用車両となっています。

1年後輩 5000形500号とは

 5000形500号は、1927(昭和2)年の琴平電鉄全線開業と、高松で開催された全国産業博覧会の輸送に対応するため、加藤車両株式会社で製造されました。500・510・520の3両が製造されていますが、登場当時は片側運転台かつモーターを持たない客車だったため自走できず、1000形・3000形と編成を組む必要がありました。


ことでん5000形500号(2019年3月、安藤昌季撮影)。

 その後1953(昭和28)年、パンタグラフを車両の高松築港寄りに、運転台を琴電琴平寄りに設置しました。台車を営団地下鉄から譲り受けて電装も施したことで、自走可能となりました。寸法は3000形と同じですが、車体が角ばっており武骨な雰囲気です。また、テールライトが正面窓上部に取り付けられています。

 ことでんで戦後間もなく急行が運転されていた時期は、高松築港〜琴電琴平間が最速39分(表定速度50.6km/h)であり、かなりの高速運転が行われていたと想像できます。現役時代は80km/h以上の速度を出せたようです。

 なお、5000形の製造費用は1万6300円であり、片運転台で電装がなかったことで、1000形・3000形の半分以下の価格でした。

 琴平線と長尾線の共通増結車として生まれた5000形は、1000形・3000形よりも遅い1990(平成2)年ごろより、長尾線専用となります。その後は1000形・3000形と同じです。引退は2020年。現在では高松市勅使町の建設会社「南部開発」に譲渡されています。

なぜ20形は「近代化産業遺産」ではないのか

 最後は20形23号。この車両のみ大阪鉄道(現在の近畿日本鉄道南大阪線ほか)が、川崎造船所に製造させたもので、1925年の製造時はモ5621形と呼ばれていました。他のレトロ電車よりやや長く、全長15.2m、高さ4.2mです。


ことでん20形23号(2019年3月、安藤昌季撮影)。

 その後1961(昭和36)年に譲渡され、ことでん20形21〜24号として計4両を保有することになります。この際に、5枚窓だった前頭部は貫通扉付きの平妻形に変更されました。またモ5621形には側面に飾り窓があったのですが、車両延命措置で撤去されています。こうしたスタイルの変化もあって、レトロ電車では20形23号のみ、近代化産業遺産に認定されていません。

 とはいえ、製造時からの飾り柱が車内に備わるなど、その美しさは健在。2020年に引退後、高松市牟礼町でお遍路さんの休憩所となっています。

 なお、著者(安藤昌季:乗りものライター)は全てのレトロ電車(動態保存車両)に乗りましたが、車体はリベットが多数打たれ、車内は木造、狭い運転台、大きな振動や揺れ、釣りかけ式モーター音など、旧型車両の趣を感じました。先述の通り、現在も2両が事業用車として健在ですので、イベントなどでの公開が待ち望まれるところです。

※ギア比の箇所を修正しました(7月5日14時20分)。