死亡事故寸前 批判対象を見定めて、しっかり批判を - 赤木智弘
※この記事は2018年03月18日にBLOGOSで公開されたものです
3月10日。日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟の開会式が神宮球場で行われた。
始球式には小さな頃から野球に親しみ、プロ野球の始球式でも時速100キロ前後の球を投げる稲村亜美が登場。
伸びのある速球にグラウンドの中学生球児たちも感動し、次々と稲村に握手を求めていた。
という、日刊スポーツの記事(*1)がある。
本当にこの記事のとおりだったら、数年後の甲子園大会を目指して、中学生たちには頑張ってもらいたいという話なのだが、実際はそんな穏当な話ではなかったようだ。
動画投稿サイトなどに、当日の様子が撮影された動画が複数アップされているのだが、そこに映されたのは数千人の中学生たちが始球式を終えた稲村をぐるりと取り囲み、一気に殺到する様子である。
状況を文字で説明すると、最初は稲村の投球を見せるために、球児たちが学校名のプレートを先頭に半円のような形で並んでいた。しかし、後ろの方に居た中学生たちが、稲村を見ようと徐々に半円の端に集まり始め、円はバッターボックス周辺を残したような形になった。稲村が投球をする最中も、中学生たちが少しずつにじり寄っているのがわかる。
稲村は投球を終えるが、挨拶のマイクを持ってからも中学生たちは少しずつ前に進み、距離はかなり縮まっている。そして投球も終わったので、空いていたバッターボックス付近も中学生たちが取り囲んでしまった。その後、堰が崩壊したかのように中学生たちが稲村めがけて殺到したのである。
僕はとてもではないがこの様子をみて「登板を終えると次々握手を求めていた(*1)」とは書けない。握手を求めるよりは「襲いかかった」の方が、客観的な表現として適切だろう。
稲村は後日、稲村が所属する浅井企画のサイトに「参加選手の大半が流れ込んだ事は事実で、私もバランスを崩してしまいましたが、私自身に怪我はなく押しつぶされたような事もありません。ましてネットで一人歩きして書かれてるいような事(痴漢行為)は、ありませんでした」と、バランスを崩したが怪我は無く、ドサクサに紛れての痴漢行為なども無かったとの文章を掲載している。(*2)
また、日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟も12日付けで、この件に関するお詫びを出している。(*3)
ハッキリ言って、怪我人は数人出たものの、将棋倒しで死者が出なかっただけ幸いであるといえる。
一部の中学生が整列を崩し、横側に回り込んだ時点で、白い帽子をかぶった役員たちが中学生をせき止めるなり、中止にしなければならなかった。にも関わらず、役員たちは全く動いていないことが、動画を見ると分かる。それどころか生徒たちと一緒ににじり寄り、稲村を撮影していたと思わしき役員もいた。
その後も危険な兆候が度々見られたにもかかわらず全く対応しようともしていない。中学生たちが完全に円になって稲村を囲んだ時点で、完全に手遅れである。
アップされた動画の中には、席で見ていた観客が危険を察知した声が入っている動画もあり、完全に連盟側の危険予知がなっていなかったことが伺える。
連盟はお詫びを出しているが、お詫びとともに再発防止策をまとめ、以後同様のイベントを行う際にはちゃんとした警備体制を敷いて欲しい。
さて、この件については僕は2つほど思うところがある。
1つは、ネット上で一部の人達が「稲村亜美が女性だから、こういう問題が起きたのだ」と主張していることに対してである。 そのうちの1つは「日本人は女性の人権を軽視しているから、中学生までもが稲村に痴漢行為をしようとしてこうした事態になった」という主張である。そしてもう1つが「中学生に稲村のボディを見せつけたら襲って当然だ」という主張である。一見、真逆の主張だが、稲村の存在を問題の要因にしていることは同じである。
僕はこの主張は間違っていると考える。なぜなら、ここで登板していたのが男性タレントであったとしても、同じ問題は起こり得たと十分に考えられるからである。
原因は明らかに不規則な行動を起こしていた中学生たちを、その問題が小さいうちに抑制できなかった連盟側にある。今回の事故の場合、最善策は「中学生を動かないように、その場に留めること」であった。この際に個々の中学生が何をしようとしていたかという意図を考える必要はない。
それを「始球式を行ったのが女性であること」とか「生徒が触ろうとしていたから」という要因から考えてしまえば、以後の再発予防は必ず失敗するだろう。
フェミニストたちはイデオロギーの発露のために、逆の人たちは女性に対する浅はかな偏見を開陳するために今回の事故を利用してしまっている。死者が出かねないのでやめて欲しい。
あともう1つは、メディアの報じ方だ。
この事故の報じられ方を見て、僕は2008年8月3日に、東京ビッグサイトで発生したエスカレーター逆走事故を思い出した。 このときは行われていたイベントがアニメなどのフィギュアの展示・販売をするイベントだったため、マスコミ各社はこれを「オタクがフィギュア目当てでエスカレーターに殺到」などと面白おかしく伝えており、今でもこの事故を傍若無人なオタクたちが発生させた事故だと思いこんでいる人は少なくないだろう。しかし事実はそうではない。
この件に関する詳細な調査報告書が出たのは、事故から7年近く経った2015年の1月である。
これによると、乗り込み人員は積載重量をやや上回る程度であり、駆動装置の固定ボルト等の安全率が他社の半分にも満たない低い数値であったことが明らかになっている。(*4)
つまり、オタクがエスカレーターに殺到したから起こった事故ではなく、そもそもの安全率が低く見積もられていたために起きた事故であり、大規模なイベントが行われる展示場のエスカレーターとしては最初から安全を守るために十分な性能ではなかったと言えるのである。
このエスカレーター事故の際は、さもオタクが悪者であるかのように報じていたメディアが、今回の件については日刊スポーツでの報じられ方を見ても分かるように、擁護、隠蔽の立場側にいるようにみえる。
現時点では様々なメディアがこの問題を報じているが、リアルタイムで言えば、問題があってから1日経ち、動画サイトに当日の映像がアップされ、ネットで問題が拡散されるにつれ、ようやくメディアが後追いでのっそりと動き出したように僕には感じられる。
この報じられ方の遅さには、事故の被害者でありながら「笑いながら叩いてもいいオタク」と、問題行動を起こしながら「余り叩いてはいけない野球少年」という認識の違いがあるのではないか。
これがもし「アニメイベントでオタクが女性声優めがけて殺到」だったら、ショッキングな事件としてすぐに報じられ、オタクは人間性に欠けたダメ人間であると批判の上、アニメやマンガ、ゲーム等の規制が必要ではないかという声が上がったのではないか。
しかし、では「メディアはオタクを叩くように、野球少年たちを批判せよ」と言いたいかといえばそうではない。確かに混乱に至った原因は中学生たちの行動にあるが、先程も述べたとおり、群集事故の原因を個々人の考え方や行動だと考えれば、再発防止は必ず失敗する。
これらの2つを見るに、何かこの事件の取り扱われ方が間違った方向に向いた結果、批判すべき対象を特定しあぐねているように思える。それは今回の事故の原因を稲村亜美や中学生たちという個人に負わせようという考え方故ではないだろうか。
だが、実際に一番問題だったのは日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟である。連盟がちゃんと警備体制をしいたり、あらかじめ十分な危険予知をしていればよかったという話なのである。
今回の事故は、最初にも述べたとおり死者が出なかっただけ幸いといえるレベルの事故である。確かに大きな事故にはならなかったが、だからといってこのレベルの運営が許されていいということはありえない。少なくとも今回の事故を取り上げるのであれば、連盟に対してメディアは正面から真っ当に強く批判するべきなのである。
*1:稲村亜美、初始球式で96キロ 見守った球児も感激(日刊スポーツ)https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803100000663.html
*2:稲村亜美 シニアリトルリーグ始球式 イベント報道に関して(稲村亜美 浅井企画)http://asaikikaku.co.jp/news/other/6643.html
*3:3月10日開幕式始球式での出来事について(一般財団法人日本リトルシニア中学硬式野球協会 関東連盟)http://www.kantoleague.net/shop/news/file/20/1.pdf
*4:報道発表資料:昇降機等に係る事故調査報告書の公表について(国土交通省)http://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000525.html