「目が見えなくても一目ぼれはありますか?」濱田祐太郎のR-1優勝で再注目したいバリバラの破壊力 - 松田健次

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※この記事は2018年03月09日にBLOGOSで公開されたものです


堂々の「障害ネタ」にただただ唸るばかり

「R-1ぐらんぷり2018」は、お笑い史を振り返った時に太字で刻印されるべき大会となった。言わずもがな、視覚障害を持ち、視覚障害をネタにしたが、全エントリー3795人の頂点に立ったからだ。

濱田祐太郎は、昨年末「NHK新人お笑い大賞」の決勝に登場したことで、その名が少しずつ聴こえ始めてはいたが、テレビ地上波のゴールデンタイムで障害ネタを堂々と繰り出し、お笑いのメジャーコンテストを勝ち切ってしまった結果に、ただただ唸るばかりだ。

<2018年3月6日「R-1ぐらんぷり2018」より 濱田祐太郎>
濱田祐太郎「実は僕ですね、生まれつき目がわるくて、ほとんど目見えてないんですよね。

(略)

目が見えてないとけっこう、周りの人から『ウソやろ』と思うようなこといっぱい言われるわけですよ。それ見えてへんおれに言う?みたいなね。

(略)

これ知りあいの女の子だったんですけど、最近ドライブとか行けへんからドライブ行きたいなあ、そういえば濱ちゃんって車運転したことある?ってあるわけないやろ!あったら大問題や思うてね。これ、ボケで言うたにしてもパンチ効いてるな思うて。あのね、そのとき一瞬自分の耳疑いましたからね。えっ、運転!ってね。視覚障害者が自分の耳疑うことなんて中々ないわ!」

キレのいいぼやき、自虐、ブラックジョークの連打だった。このように、障害をネタにした笑い(もしくはエンターテインメント)は芸能史において脈々と存在し、ある時期まではテレビの中にもその位置を得ていた。だが、人権に対する社会意識の変遷と共に次第に表舞台から自粛されるようになっていく。主に1970年代~1980年代がその時期か。

障害者による笑いに一石を投じたNHK「バリバラ」

そして近年、この「触らぬものに」的な潮流に一石を投じているのがNHK‐Eテレの「バリバラ」(2012年~)だ。公式HPにある番組紹介を引く。

<「バリバラ」(NHK‐Eテレ)公式HPより>
2012年にスタートした、障害者のための情報バラエティー「バリバラ」。
笑いの要素を織り交ぜ、これまでタブー視されてきたテーマにも挑んできました。
2016年4月からは、障害のある人に限らず、「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての“バリア“をなくすために、みんなで考えていきます。
みんなちがって、みんないい多様性のある社会を目指して、バリバラは進化します!

「バリバラ」は、障害者の為のバリアフリーな情報バラエティを宣言し、旧来の福祉番組からの脱皮を図り、障害者自身が障害にまつわる諸問題――、例えば性の悩み、トイレ事情など、タブー視されてきたテーマもバラエティのノリでオープンに語る番組として存在感を放っている。

そのバリアフリーな視線は、マラソンと黄色いシャツと武道館で障害者を支援する老舗番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ)にも矛先を向け、障害者や難病を持つ人が何かしらのハードル(登山、水泳など)に挑む姿を「感動」のパッケージのみで提示し続ける姿勢に対し、それは「感動ポルノ」(※障がい者が頑張る姿を見ることによって健常者が良い気分になる利用行為)であると疑義を唱えるなど、旧来の型枠に嵌め込まれた障害者のイメージを問い直している。

そんなバリバラの名物企画に、マイノリティーのお笑い日本一を決める「SHOW-1グランプリ」がある。これはこれでアグレッシブな大会だが、個々のネタは笑いのメジャーコンテストと肩を並べるレベルではない。

が、これは「障害者による笑いを笑っていいのか?・・・いいんです!」というプレゼンテーションであり、この企画を放送すること自体が笑いだったりする。そして見続けていると見慣れてくる、障害者による笑いに対して引いていた一線がじわじわ薄れてくる、という気づきに向かっていく。

これと同じことが、「R-1ぐらんぷり2018」で濱田祐太郎が一回目に登場したときのスタジオ(または視聴者)の空気にもあった。

<2018年3月6日「R-1ぐらんぷり2018」より 濱田祐太郎>
(介助者に連れられ、白杖を持った濱田祐太郎がセンターマイクへ)

濱田祐太郎「はいどーも、濱田祐太郎です、宜しくお願いしまーす」

(スタジオ観客に小さな戸惑いが漂う)

濱田「えー、あ、拍手なしですか?」

(促されて拍手が起こる)

濱田「拍手してくださいよ、お願いしますよ、びっくりしておれ客席見えへんから今お客さんゼロ人かなと思いました。びっくりしましたよ」

(笑い)

感じ方に個人差はあるだろうが、そこにあった戸惑いが、見慣れているかいないかの差だったことに気づいた人も多いのではないだろうか。

そして、濱田祐太郎はR-1を制した。これは濱田個人による突出した存在の成果であり、「バリバラ」な(素人の)笑いとは別の話だ、と、線を引くのはちょっと待ってほしい。「バリバラ」の笑いは安易に侮ることができなかったりする。

「目が見えなくても一目ぼれはありますか?」

笑いとかネタとか、そういう型枠を取り払い、トークがバリアフリーゾーンに入った時の「バリバラ」は侮れないのだ。その例をひとつを挙げるが、昨年夏に放送された「バリバラ」派生の特番「ココがズレてる健常者2~障害者100人がモノ申す~」(NHK)では、おそらく2017年のテレビで最も針が振り切れたと言っていい笑いが炸裂した。

番組は健常者と障害者の理解をより深めあおうという意図で、触れづらい意見を交わしあう討論の場が設けられた。その中に、「障害者から障害者への究極の質問」という、障害者同士が互いに障りあうことを解放したコーナーで、聴覚障害者から視覚障害者に対し「目が見えなくても一目ぼれはありますか?」という、一瞬、時が止まりそうな質問が繰り出された。

この質問を健常者が発すれば、おそらく「不謹慎」だと叩かれるだろう。だが、障害者だからこそ聞ける、言える・・・ひねりながら撃ち込むコークスクリューパンチのようなこの質問は、素朴でバカバカしく、この番組だからこその笑いを喚起した。

(ちなみにこの「目が見えなくても〇〇〇〇〇」というひねりのフレーズは、濱田祐太郎も「(目が)見えへんけど二度見しました」「見えないけど目まいになりました」などを用いている。言うなれば障害をネタにする際のキラーフォーマットでもある)

「声がハゲてる」視覚障害者の衝撃の一言

そして、この「目が見えなくても一目ぼれはありますか?」というコークスクリューが、さらなる次元の笑いにつながっていった。

<2017年8月18日 「ココがズレてる健常者2~障害者100人がモノ申す~」(NHK)より> 有働由美子「それでは障害者から障害者へ究極の質問、聞いてみたいと思います。こちらです。」

(大型ビジョンにタイトル)

「視覚障害の人へ 目が見えなくても一目ぼれはありますか?」

(スタジオに笑いとざわつき)

鈴木おさむ 「これ聞いたのは?これ質問したの誰ですか?」

Nyanko「(手話で通訳を介して)聴覚障害のNyankoです。視覚障害の人は、ホントに実際にそういう一目ぼれっていうのがあるのかな?視覚障害の人も見えなくても、相手にオーラがあるとか、そういった処で一目ぼれするのかなとか、素朴に思ったんですね」

鈴木 「まず一回ちょっと手を挙げてもらいましょうか。視覚障害の方で一目ぼれがあるっていう方は?」

(10名近く手が挙がる)

鈴木 「おおお」

藤本敏史 「ひと目じゃないですよね、ひと聞き」

有働 「(手を挙げた女性を指して)幸田さん」

幸田(視覚障害者) 「かっこいいとかよくわからないんですけど、声を聴いて顔を勝手に妄想して、なんかいい、良さそうとか」

鈴木 「それはやっぱ声?」

幸田 「声を聴いて、この人ちょっと頭が薄いんかなとか」

有働 「(大笑い)」

鈴木 「えー、声でわかんのそれ?」

尾崎(視覚障害者の女性)「すごい前のほうハゲてるとか、おでこ広いとか、声で」

鈴木 「それって声で聴いたら当たるもんですか?」

尾崎 「当たります」

(パネラーの芸人達が発する「こんにちは」の声を聞き、幸田&尾崎がハゲてるかどうか挙手で当ててみる)~(土田晃之、FUJIWARA、ハライチ岩井などあって)

カンニング竹山 「こんにちは」

幸田 「(手をあげる)」

(スタジオ爆笑)

鈴木 「なんでわかるんですか」

幸田 「声がハゲてる」

(スタジオ大爆笑)

竹山 「やめろよ声がハゲてるって!声がハゲてるってなんだよ!(略)声がハゲてるって生まれて初めて聞いたわ!」

「声がハゲてる」――、この一言に撃ち抜かれた。視覚障害者が健常者の声を聞いてハゲと判じる・・・、一行の公式で宇宙の真理を解き明かした名物理学者のようなフレーズに悶絶した。こういう記憶に残したい笑いの瞬間が「バリバラ」にはある。

「そんなのズルいわ、反則だわ」と嘆くなら、それは笑いの基準を健常者の型枠に収めてきたことからの「慣れ」だろう。

テレビの世界を治めてきた(健常者による)笑いと、独立国のごとく(マイノリティーの)声を挙げている「バリバラ」。アフター濱田祐太郎となる2018年以降、両者が交わる汽水地が増えていくかどうか。変わらなければ変わらないし、増えればみんな「慣れ」ていく。「慣れ」たほうが笑いは広がっていく。

<追記>

「R-1ぐらんぷり2018」の前日、3月5日(日本時間)には第90回アカデミー賞授賞式がロサンゼルスで開催され、注目の作品賞は、半魚人と発話障害者女性の恋愛を描いた「シェイプ・オブ・ウォーター」が獲得した。

監督のギレルモ・デル・トロは受賞スピーチで、「私は移民です。(略)私たちの業界の一番素晴らしいところは、地に描かれた線を消し去ってしまえるところだと思います。世界がその線をより深く刻むときこそ、私たちは消し続けていくべきです」と語った。

メキシコからの移民であるギレルモが述べた「線」とは、国と国とを分かつ国境線のことだ。または、人と人を何らかの理由で分かつ線でもある。

<追記2>

しかし、紺野ぶるまゼロ票か・・・。山登りのくだり、いい台詞だったけどなあ。