名人への挑戦を決めるのは誰だ 将棋A級順位戦史上初の6人プレーオフから目が離せない - 大村綾人
※この記事は2018年03月07日にBLOGOSで公開されたものです
いよいよファッション誌で特集が組まれるほど注目が集まる将棋界。この将棋ブーム、一過性ではないようです。藤井聡太六段を中心に、話題が途切れることがありません。3月で年度末となりますが、最後の最後まで見逃せない対局が続いています。将棋界の上位10名(今期のみ11名)が名人位への挑戦をかけ、毎年6月から3月まで戦う名人戦A級順位戦。その最終局は「名人位へ挑戦する棋士」と同時に、誰もが目標とする「将棋界のトップテン」から陥落・降級してしまう棋士が決まることが多く、もっともドラマティックな1日となることから、将棋ファンや将棋関係者の間で「将棋界の一番長い日」と呼ばれています。
今年度の「将棋界の一番長い日」は3月2日。将棋名人制度の創設に関わった徳川家康の「顕彰四百年記念事業」の一環として、さまざまな将棋事業を開催してきた静岡市と提携し、「A級順位戦最終局」を「将棋名人戦第0局」と銘打って恒例の将棋会館ではなく静岡市の「浮月楼」で対局が行われました。
名人戦の1歩手前ということで「第0局」としたと推測されますが、結果的に「第0局」とはなりませんでした!むしろ、「A級順位戦“2周目開始”の号砲が鳴らされた」といったところです。いつもの年ならば、将棋界の一番長い日を超えた後は年間対局数や勝数、勝率、連勝記録などの個人記録のほうに目が行くのですが、まだまだ戦いは終わりません。
史上初「6人によるプレーオフ」
A級順位戦2周目とは!?将棋界の一番長い日=最終局を終えて11人中6人が「6勝4敗」という成績になり、史上初の「6人によるプレーオフ」が行われることになりました。これまで「4人によるプレーオフ」はあったのですが、A級棋士の過半数がプレーオフに関わるのははじめてのこと。このプレーオフが決まった瞬間からスケジュール調整をはじめた将棋連盟の職員にとって「これ以上ない将棋界で一番長い日」になったことと思います。
プレーオフでカギを握るのは「順位」。順位とは「前年度の成績」によってつけられるものです。A級の1位は「名人に挑戦したものの奪取に失敗した棋士」か「名人位を失った棋士」が入ります。
昨年、A級での戦いを8勝1敗で終えて佐藤天彦名人への挑戦権を獲得し、奪取ならずという結果に終わった稲葉陽八段が今年度の1位。そして2位は羽生善治竜王。昨年度、稲葉八段に次ぐ6勝3敗の成績をおさめた棋士は羽生三冠、渡辺明竜王(いずれも冠位は昨年度のもの)、そして広瀬章人八段の3人。
一昨年度の順位が高かった羽生竜王が上の順位に入り、次いで渡辺竜王が今年度の3位、広瀬八段が4位という順位です。5位以下も「勝敗数」と「前年度の順位」の組み合わせで、今年度の順位が決まっています。
プレーオフに残った6人の順位は、
・稲葉八段(1位)・羽生竜王(2位)・広瀬八段(4位)
・佐藤康光九段(8位)・久保利明王将(9位)・豊島将之八段(10位)
この6人で、まず下位の豊島‐久保戦が行われ、勝者が佐藤九段と戦い、その勝者が広瀬八段と戦い…という順で「勝ち残り式トーナメント」が行われていきます。つまり、前年度のA級での成績がよかった稲葉八段は1勝、羽生竜王は2勝すれば名人挑戦。その一方で豊島八段は5連勝しなければ名人に挑戦できないという「順位絶対主義」のプレーオフです。
10カ月かけて、10人の棋士と戦い、勝星だけ見ればこのリーグの中での最高成績をおさめたにも関わらず、「ここから5連勝しなければ名人に挑戦できない」という豊島八段に課せられた現実。名人戦は4月からの開催なので、短期間に5人のトップ棋士を撃破しなければいけない厳しいスケジュールとなります。
しかし、有無を言わさずプレーオフははじまりました。
初戦は久保王将 対 豊島八段
「将棋界の一番長い日」から2日後の3月4日、さっそく久保王将と豊島八段の対局が行われ、豊島八段が勝利。このふたりは現在、第67期王将戦でも戦っており、久保王将が3勝1敗で防衛にリーチをかけています。第5局はプレーオフから2日後の3月6日・7日の2日間。タイトル戦では前日から対局会場を訪れ、対局室や使用する駒を確かめる「検分」や前夜祭が行われます。「将棋界の一番長い日」からほぼ1週間、久保王将と豊島八段は毎日顔を合わせていることに…。ちなみにこのふたりは2010年度の王将戦でも戦っています(久保王将の防衛)。
タイトル戦で戦っている久保王将、豊島八段、いずれも実力者ですが、今年度のA級での順位は9位と10位。前年度はB級1組所属で、そこから昇級したふたりに「前年度のA級での実績」がないためこの順位なのです。
久保王将は2003年にA級に昇級。5期連続で在籍したのち降級。2010年度からA級に復帰。しかし、2011年度はタイトルを2つもった状態で降級。2013年度でA級に復帰。2015年度はふたたび降級。そして今年度から再びA級に復帰、、、と3度にわたってA級に復帰した実力者。
また、2016年10月、第2期叡王戦本戦では豊島八段との対局の予定が組まれていましたが、対局開始時刻を勘違いしており不戦敗というハプニングもありました。なにかと豊島八段とのエピソードが多い棋士です。
豊島八段は昨年、棋王戦のトーナメントで藤井聡太六段を破り、「中学生タイトルホルダー」の誕生を阻止しています。そして、コンピュータ将棋ソフトとの対局「電王戦」の第3期において、プロ棋士側の唯一の白星をあげた棋士。その際「1000局とはいかないが3ケタは練習対局をした」との発言で、その周到な準備に驚きの声があがりました。
豊島八段が、プロ棋士の一歩手前「奨励会」で「三段」になったのは中学2年生の4月。これは藤井六段に抜かれるまで最年少記録でした。「将来の名人候補」と呼ばれて久しく、これまで4度のタイトル挑戦経験がありますが未戴冠。
将棋ファンの誰もが「ついにA級に上がって来た!」と歓喜し、そのA級においては前年度の名人挑戦者・稲葉八段、さらに羽生竜王にも勝利をおさめて5連勝の立ち上がり。「初のタイトルが名人となるのか?」と期待を寄せましたが、終盤に失速して6勝4敗。勝ち残り式のプレーオフで「史上最大の下克上」を狙います。
20年ぶりの名人挑戦がかかった佐藤九段
プレーオフで次に豊島八段が対局する相手は佐藤康光九段。10代の頃から羽生竜王、森内俊之九段とともに活躍し「チャイルドブランド」と呼ばれた棋士のひとりです。現在、将棋連盟の会長をつとめる一方で、・永世棋聖・名人獲得2期・タイトル獲得13期
・史上初のタイトル戦5連続挑戦の記録(2006年度)
・史上9人目の公式戦通算1000勝(2017年)
などの称号・記録を持つ実力者。1998年に名人位を奪取し、99年には防衛、2000年に失冠して以降、名人挑戦のない佐藤九段。「1998年以来、20年ぶりの名人挑戦」となると、例のない記録になります。
これは、1960年に名人に挑戦し(奪取には失敗)その後、1973年に名人挑戦者になった(この時も奪取失敗)加藤一二三九段の「13年ぶりの名人挑戦」が、過去の最長記録(ここでもひふみん!)。大幅な記録更新となります。ちなみに加藤一二三九段は1973年以降の名人挑戦は1982年。9年越しの挑戦ではじめて名人位を奪取。最初の名人挑戦から22年ごしで名人になったのでした。
閑話休題。佐藤九段の話に戻ります。佐藤九段が「18年ぶりの名人戴冠」となると、これまた例のない記録です。1997年に名人位を失い、2003年に名人を奪取した羽生竜王の「6年ぶりの戴冠」がこれまでの「復位までの最長期間」なので、大幅な更新となります。
「バチェラー・ジャパン」にハマっている広瀬八段
その先に待ち構えるのは広瀬章人八段。第11回朝日杯将棋オープン戦本戦決勝において藤井聡太六段と対局し、注目を浴びた広瀬八段です。王位を1期獲得したことのある広瀬八段ですが、名人挑戦となった場合は初挑戦。最近ではAmazonのオリジナル番組「バチェラー・ジャパン」にハマっていたらしく、気分転換がうまくいっているのが好調の秘密かもしれません。
また、2015年に行われた王位戦の写真で「羽生さんに魂を抜かれてしまった棋士」として主にツイッター上で話題になった広瀬八段。グーグルで広瀬八段を検索するとまずその画像に行き当たります。
「バチェラー・ジャパン」の主演を務めた久保裕丈さんとの対談でその画像について聞かれると「諦めの表情ではなく、自分には上を向いて考える癖がある」「1分間に1回だけ静止画を撮影して中継する棋戦で、たまたまその瞬間が撮られた」と説明。魂を抜かれていないどころか、名人挑戦のかかるプレーオフに出場するほど躍動しています。
タイトル通算100期を名人で飾れるか 羽生竜王
そして羽生善治竜王。さきほど、A級に3度復帰した久保王将を紹介しましたが、羽生竜王は「名人復位(復帰)」の回数で記録を持っています。永世名人の称号を持つ「中原誠、谷川浩司、森内俊之」の3人が「2度」返り咲いていますが、羽生竜王はすでに「3度」名人に返り咲いています。今回、挑戦・獲得となればその記録を更新する「4度目」の名人返り咲き。
かつて、ロッテオリオンズから中日ドラゴンズに移籍した落合博満が「四度目を 今年は取るぞ 三冠王」と一句したためた、というエピソードを漫画で読んだことがありますが、羽生竜王は「四度目の名人返り咲き」と「現在保持する竜王・棋聖とあわせて三冠王」になれるのか。
また、名人位を奪取すると「タイトル通算100期」という前人未踏の記録も達成。100期目という節目を「名人」というタイトルで決めることができるかにも注目が集まります。
さらに、「48歳での名人獲得」となると「49歳11か月」で名人位をはじめて獲得した米長邦雄永世棋聖を思い起こさせます。「中年の星」による悲願の名人誕生の翌年、「50歳の米長名人」を破ってはじめて名人位を獲得したのは、「23歳の羽生さん」でした。
1勝すれば2期連続の名人挑戦 稲葉陽八段
このプレーオフで、1つ勝てば名人挑戦となるのが稲葉陽八段。前期は2勝4敗で名人位奪取に失敗しましたが、2期連続で挑戦となるでしょうか。「2期連続での名人挑戦」の例は意外と少なく、1953年、54年の升田幸三、1958年、59年の大山康晴、1979年、80年の米長邦雄、2012年、13年、14年の羽生善治の4例しかありません。この4人はいずれも名人経験者。稲葉八段は過去にあまりない「2期連続の挑戦」から名人位を奪取することができるでしょうか。
迎え撃つは3期連続名人がかかった佐藤天彦名人
さて、挑戦者を迎え撃つ佐藤天彦名人。「3期連続で名人」となると、今後に大きな期待がかかります。というのは、これまで「3期連続」で名人位に就いた棋士は、木村義雄、大山康晴、中原誠、羽生善治、森内俊之。
この5名しかいないのです。そしてこの5名はいずれも「永世名人」の称号を獲得しています。3期連続で名人となり、そうそうたる棋士たちと肩を並べ「天彦時代」を築くことができるのか。カギを握る名人戦になります。
今期のA級順位戦最終局は、5つの対局すべてが「名人挑戦」もしくは「残留・降級」に関わる対局で、最後の1局が終わるまでプレーオフの人数や残留・降級する棋士がわからないため、将棋ファンは真夜中まで眠れない…これ以上ない「将棋界の一番長い日」を体感しました。
A級残留の深浦康市九段と三浦弘行九段にもドラマが
ここまで、名人挑戦プレーオフに進出した棋士を見てきましたが、残留を決めた棋士にも大きなドラマがあります。A級残留を決めたのは深浦康市九段と三浦弘行九段。
深浦九段は若い頃から「順位」に泣かされ続けた棋士。順位に関するたくさんのエピソードがあります。
(以下、すべて現在の段位で表記)
・C級2組で9勝1敗という成績を残すが順位の差で昇級できず。
(この時の昇級者3名のうちのひとりが三浦九段)
・B級2組で9勝1敗という成績を残すが順位の差で昇級できず。
(この時の昇級者のひとりが三浦九段)
・A級で4勝5敗という成績を残すが順位の差で残留できず降級。
(この時、同じく4勝5敗の棋士は他に4人。
そのうちのひとりが三浦九段で順位上位のため残留)
・即A級に復帰するも4勝5敗。順位の差で残留できず降級。
(この時、同じく4勝5敗の棋士は他に5人。そのうちのひとりが三浦九段で順位上位のため残留)
・即A級に復帰するも3勝6敗。順位の差で残留できず降級。
(この時、同じく3勝6敗の棋士は他に2人。鈴木大介八段と三浦九段。共にA級に復帰した鈴木八段とともに深浦九段は降級。三浦九段は順位上位のため残留)
そして2012年度、4度目となるA級でふたたび3勝6敗という成績でしたが、2勝7敗の棋士が3名いたため初めての残留を決めました。その後はA級からの降級はありません。不屈の棋士です。今期も、最終局で久保王将から勝利をおさめ、残留を決めました。
深浦九段の「昇級ならず・降級」のストーリーに必ず登場していた三浦九段。
2016年度のA級順位戦は10位の順位で戦っていた三浦九段ですが、「将棋ソフト不正使用疑惑」で出場停止処分を受け、A級における5つの対局にも出られなくなりました。のちに、第三者委員会による調査で「不正行為に及んでいたと認めるに足りる証拠はない」と判断され、2017年度はA級順位戦に復帰するのですが、つけられた順位は前年度よりもひとつ下の「11位」。
B級1組から昇級した久保王将、豊島八段よりも下位につけられてしまいました。久保王将、豊島八段が名人挑戦レースを引っ張る中、4勝5敗で迎えた「将棋界で一番長い日」。見事に勝利をおさめ、深浦九段とともに残留決定。自らの実力で名誉を回復したのでした。三浦九段もまた、不屈の棋士です。
名人挑戦者決定プレーオフと並行して気になるのが、順位戦の最下級クラス「C級2組」の昇級戦線。以前「藤井聡太六段とともにC級2組から昇級する棋士は誰か?」という記事を書きましたが、こちらも「7人で2つの昇級枠を争う最終局」「それでいてこの7人の中での直接はなし!」というシビれる状況になっています。C級2組の最終局は3月15日。年度末にしてまだまだ見逃せない対局が続きます。
それぞれの中継で登場する解説の棋士を含めれば、この年度末、たくさんの棋士の名前と顔、性格や特徴を知ることができます。ここまで話題が尽きない年はありません。将棋を観るなら今!ぜひ、このタイミングを逃さないでください!