ネットの誹謗中傷を抑止するきっかけを作った井納翔一投手に「あっぱれ」~中川淳一郎の今月のあっぱれ~ - 中川 淳一郎
※この記事は2018年01月31日にBLOGOSで公開されたものです
書いた側は「軽い気持ち」でも書かれた方はそうではない
横浜DeNAベイスターズの井納翔一投手の妻に対し、ネットの匿名掲示板(2ちゃんねるではない)に「そりゃこのブスが嫁ならキャバクラ行くわ」と書き込んだ20代会社員の女性が、井納と妻の名誉を毀損したとし、井納投手から訴えられた。この件はこの女性がFRIDAYの取材に答えたもので、記事によると井納投手は通信会社に開示請求をし、この女性による書き込みだと特定。情報開示にかかった費用77万円を含む損害賠償金191万9686円を払うように要求する訴状が女性に届いたのだという。
女性は「書き込んだことは本当に反省していますし、200万円近いおカネも払えないので、どうしたらいいのか途方に暮れています」と同誌の取材に答えた。
この件についてはネットでは「井納、よくやった!」という声と「やり過ぎ・おとなげない」といった両方の声が出ている。前者については、名前を出して活動している人からのものが多い。後者の意見を述べる人は、過去に誹謗中傷を書き込んだことがあるのかもしれない。井納がしたような反撃が自分にも及ぶと思っているのか、「有名でもなんでもない自分だし、匿名だから何を言っても良い」特権を保有していると考えているか、「著名人及びその周辺の人には何を言っても良い。有名税だ」とアホな考えを持っているか、「言論の自由を守れ!」と考える世間ずれした活動家のどれかだ。
今回は井納投手に「あっぱれ」を出したい。一つは、「オレはともかく妻の悪口を書くヤツは許さん!」という男気を感じるからである。同様の件では、高須クリニックの高須克弥院長も1月7日、某ツイッターユーザーに恋人の西原理恵子氏のことを「慰安婦」扱いされ、激怒し謝罪をしなければただでは済まない、と通告した騒動がある。この時も自らに対する侮辱ではなく西原氏への侮辱だったことから高須院長は激怒した。「大切な人は守る」という気概を井納投手と高須院長は持っているのだろう。
もう一つ評価すべき点は、すでに大勢の人が表明していることではあるが、「一罰百戒」の効果が生まれたことにある。正直、ネットの悪口は、書かれる側からすれば、「グヌヌヌヌ」と思うもの。悪口を言う人間が目の前にいるのであれば、反論も可能だし場合によっては謝罪を引き出したり賠償金も取れるかもしれない。相手にもリスクがあるのだ。だからたいていの場合、リアルな場での悪口は慎重になる。だが、匿名のネットの書き込みの場合、相手を追い込むのが容易ではない上に、相手はどうせ反撃されないだろうと軽い気持ちでやっている。この「感情とリスクの非対称性」ともいうべきものがあるからこそ、ネットの誹謗中傷案件においては「やられ損感」と「徒労感」をもたらすのだ。
一方、書き込んだ人間は「はぁ~スッキリした。クソでもすっか」とばかりに書き込んだ暴言のことなど忘れ、スマホいじりながら便所でビビーッと屁をひりクソをブリブリと出し、その後は酒でも飲みながら他の人間の悪口を書いて眠くなったらグースカ寝てしまう。ネットに誹謗中傷を書いた人間は覚えていないし、軽い気持ちなのだろうが、書かれた側にとってはそうではない。
誹謗中傷を防ぐには「面倒臭い人」になるしかない
お笑い芸人・スマイリーキクチは、10年にわたってネット上で「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989年)の実行犯であると事実無根のデマを書き続けられた。当時ネットの書き込みは便所の落書き程度の扱いを受け、キクチの苦悩は警察にもなかなか理解されなかった。だが、粘り強く闘ったことから結局19人の様々な世代の男女が書類送検されるに至った。この時、「匿名であろうとも一線越えた誹謗中傷は許されない」ことが白日の下に晒されたのだ。
また、インターネット掲示板に「小女子を焼き殺す」と書きこんだ人物も魚の「コウナゴ」を焼く意味だと弁明したが、小学校児童に集団下校をさせるなどの事態になったため威力業務妨害で逮捕された。また、秋葉原を爆破すると予告した者が逮捕される例などもあった。こうした歴史があったうえでの今回の井納投手の妻を巡る騒動なのに、実に人間というものは学ばない。バカは案外多い。
ネットは常に「泣き寝入り文化」がまかり通ってきた。それは、著名人だけでなく、一般人でもそうである。私はかつてとある大食い男性が大食い日記を日々更新するHPを毎日見ていたが、その男性に関する2ちゃんねるのスレッドも存在した。「デブ」、「痛風クソ野郎」、「食べ方が汚い」、「性格が悪い」、「自意識過剰」、「店に対して傲慢」などといったことが書き込まれていたのだが、中には彼の人気に対し、嫉妬まじりで書かれている誹謗中傷もあった。
この時に妙なうすら寒さを感じたのは書き込み内容から見るにつけ、明らかに彼と近い、内情を知る人物が、彼本人と一緒にいた経験がなければ書けないようなことを書きこんでいることがしばしばあった点だ。
この大食い男性同様、井納投手の妻はあくまでも一般人である。ネットで誹謗中傷がされた場合、一般人であれば「誰か私の知人が書き込んでいるのか……」と疑心暗鬼に陥ってしまいがちである。井納投手の妻は、日々そうした苦しみを抱いていたのかもしれないのだが、それをやめさせるには、元を絶たなくてはならない。井納投手にしても「オレとオレの家族に対して不当な誹謗中傷をした者は許さんからな」という姿勢を今回明確に見せることになった。
結局、ネットで誹謗中傷を書かれないようにするには「面倒臭い人」になるしかないのだ。ネットニュース編集者である私も過去に何度もクレームを経験しているが、それに基づいた「NGリスト」というものをスタッフでは共有するようにしている。このリストに載っているのは、「この人について書くとポジティブな内容であろうがネガティブな内容であろうがクレームがつくので、一切取り扱うな」という人々である。誰、とは書かないが、ザッと30人ぐらいはこうした人が存在する。
とにかく何かを書くだけで事務所から突然クレームが来たりもするのだ。こうしてタブーというものが誕生するのだが、仮に彼らから何かの宣伝依頼をされる日が来たとしても「いやぁ……。今更言われましても……」と当然拒否する。だが、ネットという荒くれ者が跳梁跋扈する無法地帯で自らの身を守りたいのであれば、徹底的にウザい人、面倒臭い人になってしまった方がいい。だから、事務所側の言い分も私は理解する。
今回の井納投手の件は、まさに「マズいヤツを怒らせた」という話なのだが、これまで安易に他人の誹謗中傷を書き続けてきた人間は、これからは考えを改めた方がいい。そもそも、この問いかけをしたい。
何もリターンがなくてリスクだけがある行為、やる意味ないんじゃないですか?
せめて、書かれた当人が喜んだり感謝するのであれば、誰かについて言及するのはアリだろう、というか、それは大いにやっていい。だが、誹謗中傷は相手を貶めることによって自分に利がある場合(たとえば同じエリアの同業者の悪事暴露など)を除きやらない方がいい。仮に利があったとしても、裏でコソコソと書いていたことがバレたら人格は疑われてしまうのでやはりリスクは高い。
今回の件、女性会社員は「書き込んだことは本当に反省していますし、200万円近いおカネも払えないので、どうしたらいいのか途方に暮れています」とコメントしている。他の無数にいる誹謗中傷ヤーの中で人身御供になったような面もあるため、少しかわいそうな気もするが、彼女は「だったら余計なこと書くんじゃねぇ、バカ。ネットは公共の場だ」という当たり前のことをわきまえていなかった自分の愚を反省するしかない。
もちろん、何らか悪意をもって書かれた場合に、その反論をするのは良いのだが、特にあなたに実害をもたらしたわけでもない人間の悪口を日々書き連ねるということほど非生産的なことはない。ネットの誹謗中傷がなんの意味もない行為であることに気付いた方がよっぽど人生は有益なものになる。
「オレ、俳優の○○の悪口なら天下一品だぜ!」
「オレ、ありとあらゆる声優に罵詈雑言を書いてブロックされるのが得意だぜ!」
こんなことはまったく自慢にならないので早くやめられる日が来るといいですね。