「学校のいじめ対応が酷すぎる」両親が学校に助け求めるも状況は改善せずフリースクールへ - 渋井哲也
※この記事は2017年12月31日にBLOGOSで公開されたものです
東京都世田谷区内の小学校6年生の、宮田隆聖くん(11、仮名)は現在、フリースクールに通っている。いじめによる不登校や学校対応が不十分だったことが主な理由だ。フリースクールは「自分を取り戻す場」といい、「中学校には行きたい」と話しているという。隆聖くんをめぐるいじめや学校対応はどのようなものだったのかーー。
目撃者がいたにもかかわらず、『いじめではない』
もともと非言語性の学習障害があった隆聖くんだが、特別支援学校や支援級ではなく、普通学校の普通級を希望して学校生活を送っていた。そんな中で、4年生の2月、周囲の児童から「嫌がらせ」を受けていることについて両親が副校長を訪ね、問い合わせた。1月から申し入れをしていたが、話し合いの実現には1ヶ月半もかかった。このときの申し入れの文書は控えめに書いていたために、「いじめ」という文言はない。
提出した文書は「私共(ども)の息子には特性があり、時に先生方の助けやお力添えが必要だと考えております」から始まって、隆聖くんの特性が細かく書かれている。その上で、「息子にとって必要な支援は何か、実際に学校で可能な支援は何か、合理的配慮とは何か等につきましては、4月以降、担任の先生をはじめとして学校の先生方と療育機関と私どもの間で、一緒に考えて頂けたらと思います」で締められている。母親はこう話す。
「嫌がらせが多くなっていること、子ども自身は就学前、養育を受けていたことから配慮を求めるとお願いしました。それまでも、学校での嫌がらせは子どもから聞いていましたが、学校に掛け合ったのはこのときが初めてでした」
これまで子どもの話は聞きつつも、学校への申し入れをしてない両親が、なぜ改善を求める行動に出たのだろうか。
実は、話し合いの10日前の体育の授業中に、フットサルの試合をする時間があった。その際、試合のないチームは空いている場所でパス練習をしていた。隆聖くんもそこにいたが、パスミスをした。それに対して、チームの一人はボールを強く蹴り、隆聖くんの体に当たった。わざとだったのかはわからないが、その後、ほかのチームのメンバーもサッカーボールを隆聖くんの体に当てていた。教員は試合の審判をしていたので「知らなかった」と話した。このように申し入れに至るまでに、積もり積もったものがあったのだ。
この件については、学校側が関わった子どもたち、目撃した子どもたちから事情を聞き、指導したとする手紙が届けられている。
母親によると、このとき、学校側はいじめに関する授業をし、関連のDVDも視聴させたようだ。また、このときとは別に、隆聖くんを教室相談室に移動させて、隆聖くんのいないところでいじめについて話し合ってもいる。さらに、5年生になって加害児童とはクラスが別にするなど、学校はそれなりの対応をしたようだ。
隆聖くんの話しで、これ以前から、よくいじめのターゲットになっていることを母親は知っていた。3年生の12月、朝、一緒に登校する児童からも嫌がらせを受けていたことを聞いている。隆聖くんは「学校に行きたくない」「僕を脅かそうとする」と話していたという。
「怖い顔をして、近づいて、『わっ!』と驚かすことをされていたようです。コートの袖口を引っ張られて、影に連れていかれたりもしていたようです。このときも先生に伝えていました。学校は時間をとって話し合いの場を設けていたようですが、加害側の児童が担任に『やっていない』というので、目撃者がいたにもかかわらず、『いじめではない』『嫌がらせではなく、遊びでした』という結論になりました。でも、子どもの反応とは合わないんです。先生がなんとかしてくれると思っていたし、親としては対処の仕方もわかりません。区教委にも言ってもいませんでした」
先生の『指導をしています』を信頼していたが…。
どこに頼ったらいいのかわからないでいた両親は、直接、学校に相談するという手段を選んだ。ある意味、一般的な保護者が選びやすい手段の一つだろう。4年生の担任には「支援してください」とお願いをしたが、普通級を選択していることから「する必要はない」と言われてしまった。このことで母親は担任を怖いと感じ、スクールカウンセラー(SC)を通すようになっていく。そのSCも「特別扱いをしなくてすむようにしてくださっている」と言われて、支援は進まないでいた。ただ、いじめについては何度も申し入れをしたために、授業の実現につながっていったのかもしれない。
5年生になると、蹴るなど、暴力を伴う被害を母親は多く耳にするようになった。
「後から聞くと、暴力沙汰は4年生のころからもあり、先生の前で暴力を振るわれることもあったといいます。何かあるたびに先生に言っていましたが、先生は『指導をしています』というので、信用し、疑いもしませんでした。しかし、子どもの話では『誰も何もしてくれない』『そんな話は聞いていない』ということでした。5年生のときは暴力よりも、仲間はずれや無視が多くなっていたようです。体育着に着替えるときには無理やりズボンを降ろされることもあったようです」
こうしたことがあったために、5年生の9月26日になって、初めて学校に「いじめ」との表現を使って、両親が個人面談で話をした。それを受けて、9月29日に、学校内のいじめ対策委員会が開催された。また、両親は「いじめ問題解決への要望書」(9月30日付)を提出した。この要望書ではいじめの事実を「いつ」「どこで」「だれに」「なにをされたのか?」を表にして提出している。ここには4月からの、9つのいじめ被害が書かれていた。
「はじめはいじめ対策委のことは知りませんでしたが、面談の前に初めて『いじめ』という言葉を使い、『いじめとして対処してください』と言ったのです。それまでは支援の相談としての申し入れでした。そのため、『いじめ』ではなく、『嫌がらせ』や『トラブル』として処理されてきたのではないでしょうか」
いじめとして認識されるまでは時間がかかったが、両親が「いじめ」という言葉を使ってから学校内で話し合われるのは早かった。学校は10月7日付で、「いじめ問題発生に関する経過・対策についての報告書」を出した。報告書には「指導する」とあるが、のちに、指導していないことがわかる。また、いじめが止まらないでいたこともあり、両親はその後も要望書を提出した。11月、12月にも、加害児童が同じことをし続けていたために、月1回のペースで、話し合いを続けていた。
11月には区教委にも行っている。
母「学校では対処しきれていない」
区教委「では、支援級ではどうか」
少なくともこの時点では、「いじめをどうにかしてほしい」と要望している。にもかかわらず、支援級という話になってしまう。もちろん、学習面や人間関係づくりのサポートとして支援級という選択肢はあるだろう。しかし、少なくともいじめの相談をしているにもかかわらず、被害児童を「支援級へ」というのはおかしな話だ。いじめを解決したことにならない。加害児童が、ほかの児童に加害行為をしている可能性もあるからだ。
「いじめる側を放置して、いじめられる側を隔離する理由がわからない」(母親)
学校内のいじめ対策委員会はたしかに、対応は早かった。しかし、「いじめ」という法的定義に関しては認識不足の面がある。教職員に対して配布された文書に「2、いじめ防止対策推進法について」という項目がある。そこに「いじめの定義」がこう書かれている。
いじめの定義・・・集団(2人以上)の中で、力関係の差異があり、物理的、身体的、心理的苦痛を与えられている、与えられていると本人が感じている状況になっている状態
いじめの定義をこの学校なりに説明したものだが、「力関係の差異があり」という部分が、古い定義に縛られている。力関係の強弱が背景にあるとする見方は、少なくとも文科省は2006年度の定義変更がされている。つまり、仲良しグループの中で行われることがあり、かつ、力関係の強弱とは無縁のものがあるからだ。このときに変更された定義を参考に、いじめ防止対策推進法での定義も作られている。こうした認識不足は、他のいじめ問題の取材でも見られることだ。
その後、いじめが解決されないまま、隆聖くんは11月後半から学校に行ったり、行かなかったり...。結局、6年生になり、再びいじめが起きたことで、吹っ切れたように、隆聖くんは「学校に行きたくない」と言い出した。それまでは「学校に行かなければならない」と思っていたようだが、「行かなくてもいい」と思うようになった。今ではフリースクールに通っている。
母親はこう締めくくった。
「いじめは命を脅かす問題です。それで命を落とした子どももいる。先生はいじめを知っていても止めようともせず、注意もしません。報告もしていません。それでは、子どもはどこにも救いがありません。学校や教育委員会はいじめにちゃんと向き合って対処してほしい。学校のいじめ対応が酷すぎる。いじめをする側の子どもも悪いですが、(学校対応が悪いために)加害児童の保護者も知らない場合もあるのではないでしょうか。学校の先生を信じすぎている保護者もいるかもしれません」