年の瀬に振り返りたい「恩師」たちへの感謝 - 西原健太郎

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※この記事は2017年12月28日にBLOGOSで公開されたものです


2017年も終わろうとしている今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?私はというと、海外旅行から戻ってきてから1ヶ月弱、やるべきことを一つ一つ積み重ねつつ、業界の通例である年末進行を乗り越える為、慌ただしい日々を過ごしています。

私にとっての2017年は、これまで不鮮明だった将来の夢が、大きく前進した一年でした。そのきっかけになったのは、今年の4月に出会った『運命の人』です。この運命の人、元々は仕事上で繋がりがあった方なのですが、私がやりたいと思っていた事を始めるきっかけを与えてくれた方でした。この方のおかげで、私は2018年、さらに前に進むことができそうです。

節目節目に手を差し伸べてくれた「恩師」の存在

ところで、これまでの私の作家人生を振り返ってみると、節目節目には私に手を差し伸べてくれる『恩師』がいました。今回は年の瀬という事で、私がこれまでに出会った恩師について、振り返って書いてみようかと思います。スペースの関係でその全てを挙げることはできませんが、可能な限り書いていきます。

まず最初の恩師は、私がこの業界に入るきっかけになった、前事務所の社長です。考え方がとても特殊で、人間としても面白い生き方をされていたこの方は、「メディアの世界で働きたい」という私に、『その入り口』を教えてくれました。現在就職活動をされている学生の皆さんなら分かるかもしれませんが、マスコミ業界、特に放送局で仕事をしたいという場合、放送局の入社試験はかなりの難易度・倍率になります。特に私の時代は就職氷河期と呼ばれていたので、放送局の門は高学歴で、それなりのコネを持っている人にしか開くことが出来ませんでした。私も大学時代は放送局で働く事を夢見ていくつかの門を叩きましたが、全く相手にされませんでした。

そんな時、違うアプローチで放送局の入り方を教えてくれたのが、この社長でした。前にこのコラムで『放送作家になるには?』というお話をしましたが、実際はこの方が前事務所に誘ってくれなければ、今の私は無かったと思います。

事務所に入ってからは大変な日々を過ごしましたが(※前のコラム参照)、間違いなく最初の恩師だと思います。

次に私が出会った恩師は、ラジオ局に駆け出しの放送作家として入り込んだ時に出会った、とある先輩作家です。この方は、それまで独学で歩んできた私に、放送作家としての基本の一つである、『情報収集の方法』を教えてくれました。

インターネットがまだまだ一般的ではなかった時代、情報を収集するには図書館に行くか、街に出て自らの足で探すしかありませんでした。そんな時代に、ネットを使って確かな情報を収集する術を教えてくれたのがこの方で、そのおかげで、私は当時の殺人的なスケジュールでも生き延びることができました。

ちなみにこの方は、私がラジオ局に入って初めて担当した番組『超機動放送アニゲマスター』のサブ作家も担当されていました。

そして、『ラジオ制作者としてのノウハウ』と『業界の歩き方』を教えてくれたのは、放送局の社員である、とある方でした。私は当時、コミュニティFMなどでディレクターを担当していて、番組制作経験がありました。ラジオ業界に入ってからは、ディレクターとしてではなく放送作家として日々を過ごしていましたが、名刺には常に『編集もできる放送作家』という肩書きを入れていました。その肩書きに初めて興味を持ってくれたのがその方で、私に「これからの時代はディレクターも放送作家もどっちも出来たほうがよい」と言ってくれ、駆け出しの立場だった私にディレクターと放送作家、どちらも担当する番組を振ってくれました。

その番組は『Radio Revolution~つくってドン』や『倉田ねじまき堂』という、BSデジタルラジオの番組でした。最近のリスナーはBSデジタルラジオという存在をご存じないかもしれませんが、今でこそ当たり前となっている『動画付きラジオ』のはしりとも言える、『スタジオの様子を数十秒毎に静止画で映す』という、実験的な放送を行なっていた媒体でした。ノウハウが何も無い媒体で、何が表現できるかを日々模索していた時代…。「ラジオは芸術作品ではない。パーソナリティとリスナーが自然に触れ合えるのがラジオの本質である」。その方から当時いただいた言葉を、私は今でも忘れていません。

「出会った人々」への感謝を忘れてはいけない

今回挙げた人々は、ほんの一例に過ぎません。私にはその他にも、たくさんの恩師がいます。このコラムをご覧になっているみなさんには、恩師と呼べる人はいますか?もしかしたら「恩師と呼べる人はいない」という人もいるかもしれません。「成果は自分のおかげ」と傲り高ぶる事も時には必要かもしれませんが、今そこに自分が存在するのは、いろんな場所で出会った人々のおかげである事を忘れてはいけないと思います。

本年のコラムは以上になります。2017年にお会いした全ての皆さん、本当にお世話になりました。まだお会いしていない皆さん、2018年ではきっとお世話になります。その日が来る事を祈りつつ…それではみなさん、良いお年を!