※この記事は2014年09月25日にBLOGOSで公開されたものです

25日、X JAPANのボーカル・Toshlさんが会見を行った。Toshlさんは『洗脳 地獄の12年からの生還』(講談社)を出版、苦悩の日々を明かしている。会見では、ホームオブハートのMASAYA氏や元妻との間に起きた生々しいエピソードや、YOSHIKIさんらバンドメンバーへの思いなどを、1時間半にわたって語った。【編集部:大谷広太】



冒頭の発言

みなさま今日はありがとうございます。 今回、およそ12年間にわたる自分の経験を記しました本を出版させていただきました。僕も色々な被害を受けましたが、被害者であると同時に、加害者的な側面も持っています。被害者の方もたくさんおられます。

僕がこの本を書こうとしたのは、あるお店に買物に行きましたら、僕を洗脳した人のCDが、名前を変えて、流れておりました。本も売られておりました。もう一度、そのお店に行ったときに、本が売れていたような形跡がありました。誰かが買った、という気がしました。 僕自身もCD、音楽をきっかけにその道に巻き込まれていったという経緯がありましたので、これ以上そういうものをきっかけに被害を出すわけには行かないと、自分の恥ずかしい話ではありますけれども、認(したた)めることにいたしました。

それと同時に、この本を若い人達や子どもたち、あるいは親御さんたちに読んでいただいて、若い人たちは必ず将来不安になったり迷ったりするものです。僕もその時に何か相談する相手や、また何か真実を伝えてくれるようなそういうものがあれば、もしかしたら落とし穴にはまらなかったかもしれないという風にも思います。ですので、そのような若い人たちに、道をはずさないような一つのきっかけになる本になればいいなという思いがございました。以上です。

12年の間に起きたこと

ーどうやって、ホームオブハートに勧誘されたのか。そして、なぜ、どのようなプロセスを経て、12年間もとどまったのか。

1997年の頃になりますけれども、さまざまな身内のトラブルがございました。世間的にはX JAPANとして、東京ドームでライブをし、CDも売り上げるなど、多くの方に応援していただける立場にございました。

それにつれて、お恥ずかしい話ですが、例えば家族が強欲になっていく姿を見たり、また友人と思っていた人間がお金を目の前にしてトラブルを起こしたりと、人の強欲さや、お金によって人が豹変していく様を目の当たりにしておりました。そういう中で、自分の家族や身の回りの人間が、X JAPANのメンバーやマネジメント関係者に迷惑をかけるという事態がたくさん起きてしまいました。

自分がX JAPANに迷惑をかけてしまったこと、それに非常に心を痛めて、悩んでいるとともに、アメリカを拠点にちょうど海外へ進出していこうという夢を持ち、移住もいたしまして、YOSHIKIもメンバーも一生懸命それに取り組んでおりましたので、自分の歌の力、ボーカルが海外に通用するのかと、それについても悩んでおりました。

そんな、心が弱って悩んでいる中、元妻との出会いがございました、今思えば、その時から主宰者のMASAYAと妻はつながっていたと思っておりますけれども、僕を広告塔にするために、あるいは金づるにするために彼女が近寄ってきました。

当時の僕にとっては彼女が運命の人のように思えて、はまっていってしまいましたが、MASAYAの音楽を聞かされて、セミナーを受けたら人生が変わるんだという勧誘を受けまして、彼女のことをとても信じていたので、付き合ってからすぐにセミナーを受けるにいたりました。

セミナーを受けましたら、とても感動的で、これによって彼のもとで学んでいくことで、彼の歌を歌うことで変われるかもしれない、正しく生きられるかも知れないと思い込んでしまいました。最初は感動的でしたが、徐々に暴力や罵倒を伴う、非常に心も身体も痛みを伴うようなものになっていきました。 それでも、これも自分のためにやってくれているんだと思い込むようにさせられていた。深みにはまり、お金を彼に持っていくこと、元妻に渡すこと、それが唯一自分が貢献できることだと思い込むようになっていってしまいました。

12年間という長い間なぜ抜けられなかったのかということは、誰しもが疑問に思うことだと思います。それこそが洗脳だと思います。疑いは常に持っていて、それでいいのかな、大丈夫なのかなという思いはありましたが,疑いを持つことが、自分がダメなところなんだ、と刷り込まれていきます。疑いを持っている自分がダメなんだと自動反応的に思ってしまう。そういうことが続いて、抜けられなかったという事実がございました。

ー全国でホームオブハートの小さなコンサートしていたときに、ファンの子たちが帰ってきてと言っていたと思いますが、そういう声は聞こえなかったのか。

そのときは、そのような声は逆にこう…なんというんでしょうか、ファンの思いは、自分の耳には、心には届かなくて、自分は正しい道を行っているんだ、そういう風に思い込んでいる状況でございました。

ーファンの方が聞きたいと言っていたことをお伺いしたい。YOSHIKIさんは、奥さんやMASAYAさんに会ったことはあるのか。12年ほどホームオブハートにいましたが、MASAYAさんや奥さんに恨みはないのか。

まず、YOSHIKIは元妻には会ったことはありますが、MASAYAには会ったことはありません。

そして、そうですね…恨みという、どのような言葉で表現していいか難しいですが、彼らに対して思うことは、本当に反省をして欲しいです。多分その、奪われた人の気持ちというものを全く理解していない。自分がその立場になってはじめてわかるんですけど、本当に人の痛みを感じるよう、反省をしていただきたいという風に思いますし、これ以上そのような卑劣な、人の弱みにつけ込むようなやり方で、騙したり、貶めたりすることを二度とするな、と言いたいです。

「本当に今抜け出せているのか?」

ーToshlさんはどうやって洗脳から脱したのか。本当に今抜け出せているのか。

疑問に思っていることをやはり打ち消せなくなる、自分の中でそういうことが重なってきました。ひとつはX JAPANの再結成です。

MASAYAや元妻には、"X JAPANが世界中の若者をダメにした根源である"と、暴力を受けながら罵倒を受けました。ところがあることがきっかけで、再結成の話が舞い込んできました。話をしに来た人間に、僕は受けられないと即刻断ったんですけど、その人間がMASAYAにお金を出すから乗ってくれ、数億円を用意するからという話になりました。
するとMASAYAは態度をころっと変えて、"X JAPANに戻るのがいいじゃないか"という話になりました。

その時に、あそこまで自分がダメだと思い込んできたものに平気で変えるという。それがどうしても自分の中では納得ができなかったことの一つです。そこから自分の疑問が抑えきれなくなって、彼の行動や、元妻の行動をひとつひとつ注意深く見るようになって、完全に浸かっていた心がすこしだけ離れて見ることができるようになりました。

その他にもたくさんあるんですけど、被害者の方から裁判を起こされておりました。法廷でMASAYAの答弁する姿が非常に情けない。素晴らしいことを言ってくれるんじゃないかと自分は期待していましたが、情けない答え方、その姿、言い訳がましいというか、ちゃんと誠実に物事に答えない姿をみて、非常におかしいな、自分が崇めてきた人がなんでこんな態度なんだろうと思いました。

また、もうひとつ決定的なことは、元妻といっても、自分と籍をいれてからすぐMASAYAのもとに行ってしまいましたので、長年にわたり夫婦の関係ではありませんでした。それでも、勉強して頑張っているのだろうと思っておりましたが、あるとき、那須にございましたホームオブハートの本部にたまたま行く機会がありました。そこにはほとんど行ったことがなかったんですが、彼らは新しいゴージャスな家やホテルや車を次々と手に入れておりました。

僕は、お前のせいでマスコミに叩かれて、子どもたちが僕は食べるものがないから困っているんだ、と再三言われておりましたので、一生懸命自分は働いてお金を持って行っていましたが、結局そのお金はそういうものに変わっていて、MASAYAはそれぞれの家で、お気に入りの女性とハーレムのような生活。そのうちの一番新しいお家で、自分の元妻とMASAYAが暮らしている、というのを行った時に確信したというか、"そうだったんだな"というものを見た経験がございました。そこが一番の、自分がもう"切れた瞬間"だったと思います。

そのような経緯があって洗脳が解かれていったというか、逃げ出していこうと思うようになりました。

どうして洗脳が解かれていると言えるのか、というご質問ですが、この本を書いたこと、皆様に対して今このようなことを喋っているということが、洗脳から解かれ脱出している、その現れだと思います。

そこで受けた傷、痛み、捧げたものは返ってくることはありません。痛みは消えることがないと思います。その痛みとともに伝えていくことで、少し、自分の人生を前に進めていけるんだろうなと思います。
写真一覧

今、自分が親の歳になって感じること

ー若い人たちが道を踏み外さないように本を書きました、とおっしゃっていました。若い人たちがToshlさんのようにならないために大事なことは何でしょうか。どんな点に気をつけたらいいでしょうか。

人によっていろんなケースがありますし、一言で言うのは難しいことだと思います。まずは身近な所に落とし穴があるんだとお伝えしたいと思います。
たとえば家族、身の回りにいる人、学校の先生でもいいかもしれません、自分がこの人は正しいなと思った人に相談することだと思います。

僕の場合は父親がそういう存在だったと思うんですが、団体にいる間に亡くなってしまったので言葉を交わすこともあまりなかったんですけど、やはり父親に相談し、もっとメンバーに心を開いて、幼なじみでしたから、相談すればよかったかなと思います。でもそれが恥ずかしいな、みっともないな、かっこわるいなという思いがそれを止めていたと思います。

ですから恥ずかしいと思っても、素直に正面から打ち明けることをすればよかったなと思います。特に男の子の場合は父親に対して話にくいかもしれませんが、相談してみたらオヤジなりに真剣に向き合って答えてくれるんじゃないかなと。自分に子どもはおりませんけれども、今、自分が親の歳になりまして、そう感じます。

ーToshlさんが今相談できる方はいるのか。今後どのような活動をして行こうと考えているのか。

本にも登場する、僕を救ってくれたおじいさんがいるんですけど、相談することよりも、彼だったらどう考えるだろう、どう対応するだろうという、また父だったらどう対応するだろう、どっちを選ぶだろうと考えることもあります。 友人ですと、フレンチの三國清三シェフにお世話になっています。彼も尊敬する男性のひとりなんですけど、彼だったらどうやって切り開いていくだろうと。身近にいる、信じられる人間、彼ならどのように考えるかな、というのを考える、行動する、あるいは直接相談する。

メンバー、YOSHIKIとは幼稚園の頃からですから、もう45年くらいの付き合いになりますけれども、今が一番仲が良いような状況で、何でも話し合って進めていこうと。いろんなことを乗り越えて、そういう関係性で共に歩むことができるようになりました。

今後はこのような機会を持って、子どもたちに伝えていけるような、喋る場を設けていけたらいいなと思っています。 音楽活動もこれからまた世界に挑戦していきますけれども、新たなスタートラインに立った気分で、フレッシュな気持ちで前に進んでいきたいと思っております。

ー大変厳しい、辛い経験をされましたが、この経験は音楽にどのような影響を与えたか。

僕は音楽家ではあるんですけど、その前に一人の人間として、また男として、これから歩んでいきたいと思っております。自分を表現していく、経験を形にする手段として、歌、あるいはそれを楽曲にする、言葉にしてみなさんに伝えていく表現者として歩んでいきたいと思っております。

この経験は非常に大変なものでしたけど、伝えていくことが自分の何よりもやりたいことで、それが希望になっていく、光になっていくと、今この場で思っております。

ー奥様がMASAYAさんのところに行ってしまっていたとか、誰でもわかるようなゴージャスな生活をしていたから気づいたのだと思います。もし彼らが本当に献身的に活動しているような演出をしていたとしたら、もしかしたら気が付かなかったんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

完璧な演技をしていたら、おっしゃる通り気付かなかったと思います。表面上だけでも何か子どもたちのためにやっていたら、おそらく気付かなかった可能性が高かったと思います。でも彼らも人間ですから、何かぼろがでるというか、気づくこともあったかもしれないとも思います。

信じてしまうと難しいんですけど、今は情報の時代ですので、少し疑問に思ったら自分で調べることができます。色んな人の意見を聞いたり、情報に耳を傾けたりすることが大切なのかなと思います。

HIDEもTAIJIも、日本が誇るかっこいいギタリスト、ベーシスト

ービートルズがインドのマハリシの指導を受けていた当時、マネージャーであったブライアン・エプスタインが亡くなった。ジョン・レノンは、エプスタインがなぜ死んだかをマハリシが説明できなかったと言った。

HIDEさんが亡くなった時、MASAYAさんはそのことについて、なぜそうなったのか、どう解釈すべきか、説明したのか。また、数年前に自殺されたTAIJIさん、彼もカルト集団に入りそうな印象があったが、何か連絡ありましたか。彼の思い出は。


本の中にも書いておりますけれど、MASAYAたちはHIDEの死を逆に利用しました。要は自分がお前を救ってあげたから生きていられたんだと。あのまま行けばお前も死んでいたかもしれないんだ、という罵倒や暴力を、お葬式の日、解散コンサートの日の朝もされました。さすがに自分もその言葉は受け入れることができず、さらに激しい暴力や罵倒を受けました。

マハリシさんのことはわかりませんけれども、MASAYAのところは本当に勉強するところ、学ぶところではなく、偽りの詐欺集団であったと思います、思想や学びや宗教性は全くないと思います。ただの心理的なものを利用した僕は詐欺にひっかかったんだなと思っております。

TAIJIのことですけれども、2010年、僕が抜けだした時にX JAPANとして日産スタジアムでコンサートしたときに彼をゲストとして呼んで演奏しました。

彼は体にちょっと障害があって、大きな病気もして苦労してきたんですけど、一緒にステージの上で演奏できて本当に喜んでいました。今でも思い出に残っています。TAIJIが亡くなった時、妹さんから連絡をいただきまして、"何かあったらToshlに連絡をしろ"と言ってくれていたそうです。彼とは話をすることがあまり出来ませんでしたけれども、ずっと、離れていても信頼をしていて、彼の死を残念に思います。

HIDEにしてもTAIJIにしても、世界で有数の、日本が誇る、かっこいい、テクニカルなギタリスト、ベーシストであったと思います。

ネガティブなことをベースにしたから共感を呼んだ

ーいままでのX JAPANの曲、歌詞は、割に暗い、物悲しいものが多かった。今、大変な経験をされたあと、楽曲を違う方向に導きたいと思っているのか。例えば若い方を勇気づけるような元気づけるような音楽を作ろうと思っているか。

X JAPANの音楽はほとんどがYOSHIKIによるものです。彼の著書にもありますけれども、お父さんを亡くしております。 彼の作品を見るにつけ、痛みや悲しみを乗り越えたこと、全てそこから来ているんではないのかと思います。後悔や思い、愛を表現しているんではないかなと、歌っている僕としては思っています。 ですから、表面だけポジティブな歌詞ではなく、誰もが色々な痛みを、人に言えないことを抱えている、そこからでもなんとか、一歩でも前に進んでいこうとか、少しでもポジティブに生きていこうという作品、僕はそのように思っております。僕は彼の曲をとても愛しています。

殆どの曲はもう20年以上前に作られた曲ですし、僕らは10年間にわたって活動していませんでしたが、その間に世界中にファンが増えていくという不思議な状況でした。レコーディングに時間をかけて、ボーカル録りに1年も2年もかけて、今では到底できなかった、アートを作る気持ち、闘いながら苦しみながら作っていました。 そんな曲が10年経って、20年経って、今もなお新たな世界中のファンに聴いていただける、広がっている。大変な思いをして作って、真面目に、真剣に取り組んできて本当に良かったなあと思っています。

世界中のファンの方々に共感していただけるのは、おそらく悲しみや痛み、苦しみといったネガティブなことをベースにしたからこそではないかなと思っています。これからもその方向性はおそらく変わらないと思います。ただ、言葉など、表現は変わって行くかもしれませんが、ベースにあるもの、中心にあるものは変わらないと思います。

18歳の時に"二人でバンドやろうね"って言った感覚

ーYOSHIKIさんとは今が一番仲が良いということですが、過去と今、二人の間、またメンバーとの雰囲気はどう変わったのか。変わった理由はなんだと思うか。

僕も本当に色々なことがございました。YOSHIKIも本当に色々なことがございました。ちょっと形は違いますけれども、方向的には同じようなトラブルに彼も悩まされ続けてきたと思います。 バンドは一緒にやってますけれども、それぞれの人生の中で色々な大変なことがあって、彼もそれを乗り越えて、僕も乗り越えた。色々な損失は有りましたけど、お互いが色んなしがらみを断ち切ってクリアになった状態の時に、たまたままた出会ったものですから。

ある種スッキリした気持ちで、一番最初、18歳の時に東京に出て"二人でバンドやろうね"って言った、あの時の感覚に近いフレッシュな、余計な取り巻きも有象無象も無く、何かストレートに挑戦していけるような、なにかそういう色んな背景、タイミングがピッタリ来たんだと思いますね。2010年に。

今は、アマチュアな時の感覚が蘇ってきたことと、色んな経験をして大人になった部分、成熟してきたものがプラスアルファされて、歯車が非常にうまく噛み合って、バンドとしてのパワーがうまれているんだろうなと思います。

どっちかのタイミングがずれていたら、一緒にできていなかっただろうなという、せっかくのそういう不思議なチャンス。二人で舞台に立つチャンスをもらえていますので、チャレンジしていきたいと思います。

僕とYOSHIKIが噛み合っていると他のメンバーも自然と噛み合って来るんです。僕たちに我慢強く付いてきてくれて有り難いなと改めて感謝の気持ちでいっぱいですし、一緒にトライしていこうぜと、気持ちを共に新たにしているところです。

歌も声の状態も気持ちも、今が一番良い

ー来月マディソン・スクエア・ガーデンで公演を行います。それは素晴らしいことですが、ロック・ミュージックの世界では、スーパースターになるのは20代30代がほとんどだと思う。その時期を失ってしまったと思うか。まだまだ世界征服できると思っているか。

実際、確かに"失われた10年"が僕にはございますけれども、あのまま行ってもチャレンジできたのかなと。それもわかりません。こうだったらというのは色々言えますけれども、時は返ってこないので、時間が必要だったと割り切って考えています。それなりのいろんな経験や時が必要だったのだろうと考えていますし、逆にこの歳になっても新たなチャレンジができるという喜びを感じているところです。

とくにYOSHIKIは、ただ話題作りのためとか、やってみようということではなくて、人生をかけて本気で世界にチャレンジしていこうと真剣にやってきて、アメリカに移住して20年になります。そのようなパートナーと一緒にこの歳になってやっとチャレンジできる。

色んな意味で時が熟したんだろうと今思っていますので、確かに年齢的にはだいぶ上がりましたけれども(笑)、歌の状態も、声の状態も、なにより気持ちの上での状態も、今が一番いいのではないかと、そのように思っております。

リンク先を見る
洗脳 地獄の12年からの生還
posted with amazlet at 14.09.25
Toshl
講談社
売り上げランキング: 894
Amazon.co.jpで詳細を見る

■関連記事
・金スマ報道最後の「倉渕透=MASAYA=MARTH=倉渕雅也」のコメントのToshi及び紀藤に対する名誉き損性と虚偽性について - 紀藤正樹