※この記事は2014年09月06日にBLOGOSで公開されたものです

朝日新聞が大炎上している。産経新聞「正論」執筆陣だった恩師の勝田吉太郎・京都大学教授(当時)に勧められ1984年、産経大阪本社に入社した筆者は、今年8月5、6日付朝刊で朝日新聞が掲載した従軍慰安婦報道の検証記事に驚愕した。

朝日新聞の報道も筆者の学生時代に比べると随分、中道寄りになったと思う。が、安倍政権下で特定秘密保護法や限定的な集団的自衛権の行使容認をめぐる先祖返りしたようなヒステリックな報道が目立つようになり、ロンドン在住の日本人の方々から「朝日は大丈夫ですか」という意見を聞かされる機会が増えた。

その矢先、従軍慰安婦報道の一部を32年前にさかのぼって取り消すという前代未聞の大訂正記事が出た。こんな訂正記事を今まで見たことはないが、1956年のソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判をイメージしてしまった。

そして今度は、ジャーナリスト、池上彰氏の人気コラム「池上彰の新聞ななめ読み」の掲載拒否騒動である。

まず、従軍慰安婦をめぐる訂正記事を掲載した時期について、どうして今なのか、1993年の慰安婦調査結果に関する河野洋平官房長官談話(河野談話)について安倍晋三首相が見直しを否定し、有識者チームによる検証結果が今年6月、国会で報告されたからなのか、首を傾げてしまった。

しかし、実際のところは、朝日新聞が主導してきた従軍慰安婦報道の根幹にかかわる事実関係の誤りを認める社内調整に32年もかかってしまったというのが本音なのだろう。政治部出身の木村伊量社長の大英断で報道の軌道修正が図られたものの、逆に世論の批判を浴び、木村社長の引責辞任を求める声まで出てきた。

「池上彰の新聞ななめ読み」は、朝日新聞の「検証記事」の矛盾を指摘し、朝鮮半島下における従軍慰安婦の強制連行を証言した吉田清治氏のウソを見抜けなかった理由、「慰安婦」と「挺身隊(ていしんたい)」の混同に気づきながら20年以上も訂正せずに放置した理由について「検証は不十分」と断罪し、「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と迫った。

筆者は産経新聞東京本社で社長秘書を2年もしたので、何となく朝日新聞社内のやり取りが想像できる。

朝日新聞としては従軍慰安婦報道を一部訂正、削除するだけでも大変なエネルギーを要したのに、「検証のやり直し」なんてとてもできない。恥の上塗りである。ましてや「謝罪」となると、木村社長の進退問題に飛び火しかねない。

池上氏のコラム担当の記者とデスクは原稿を読んで、すぐに出稿部の部長に相談したに違いない。部長は局長に、局長は編集担当に報告し、社長室にまで連絡が入った可能性がある。

対応が協議され、おそらく出稿部の部長が池上氏に連絡を取り、「せめて、謝罪の2文字は削ってほしい」と要望したと容易に想像できる。

週刊文春WEBによると、朝日新聞の関係者は「8月末の予定稿では、慰安婦報道検証を取り上げており、『朝日は謝罪すべきだ』という記述があった。朝日幹部が『これでは掲載できない』と通告したところ、池上氏から『では連載を打ち切ってください』と申し出があり、その予定稿はボツになったのです」と証言している。

当事者の池上氏も「連載を打ち切らせて下さいと申し出たのは事実です。掲載を拒否されたので、これまで何を書いてもいいと言われていた信頼関係が崩れたと感じました」と説明している。

週刊文春の報道を受けて、「言論封殺だ」と朝日新聞への批判が一段と強まり、いったんはボツになった池上氏のコラムは一転、9月4日付朝刊に掲載されることになった。

朝日新聞は「池上さんと読者の皆様へ」と題し、「今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします」と謝罪した。

池上氏は「今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました」とコメントしている。

掲載拒否は実は、新聞社や出版社では日常的に起きていることであり、普段は話題にもならない。特定秘密保護法をめぐり朝日新聞側から「絶対反対の立場で原稿を書いて下さい」と要望を受けたり、掲載できないと一方的に通告されたりした例は耳にしたことがある。産経新聞も例外ではない。

意に沿わない原稿は掲載しないのが新聞社の現実である。池上氏のコラム掲載拒否は朝日新聞の判断ミス、オウンゴールというだけの問題で、「表現の自由」の観点から社会にどれほど影響があったかと言えば、まったくない。

掲載を拒否されていたとしても、池上氏は、他のいろいろな媒体を使って、自分の意見を発表することができる。それが朝日新聞であるか、どうかに大きな意味はない。「表現の自由」とは朝日新聞だけの問題ではなくて、私たちすべてが暮らす社会全体に保障されているかどうかが問題だからだ。



朝日新聞の特別編集委員のツイッターを読むと、「ネット上の罵詈雑言や週刊誌広告の煽情」「善意の批判」と「表現の自由」を色分けしているところに問題の根深さが読み取れる。悪貨は良貨を駆逐するといわれるが、「表現の自由」は、良き意見は悪しき意見を駆逐するという信念に基づいて保障されている。

朝日新聞は「ネット上の罵詈雑言や週刊誌広告の煽情」「悪意の批判」に対して徹底的に反論するのが筋なのだ。

筆者が京都大学の学生時代、恩師の勝田先生が「ソ連は必ず崩壊する。共産主義下の計画経済では、生産性を生産個数ではなく生産重量で計算する。だからソ連の机はやたら重い。こんな非効率な経済がいつまで続くのか、考えて見給え」と説明されるのを今でも鮮明に記憶している。それから10年もしないうちにソ連は崩壊した。

その勝田先生が「産経新聞は良い新聞だ」と口癖のように言っていたので産経大阪本社に入ったのだが、勝田先生の寄稿が産経新聞に掲載拒否される事件を間近で目撃した。

小泉純一郎首相が靖国神社に参拝するかどうかをめぐり暑い夏を迎えていた2001年7月末のことである。

鈴鹿国際大学の学長だった勝田先生は「『隣人』無視すれば孤立」という原稿を産経新聞の「正論」欄に寄稿し、「小泉首相は再度の靖国参拝を断念した中曽根総理の苦渋の英断に思いを馳せていただきたい」と直言した。

小泉首相の靖国参拝を実現させる大キャンペーンを張っていた産経新聞は原稿の掲載を拒否。勝田先生は「これでは産経新聞が戦後、徹底的に戦ってきた共産主義体制と同じである。共産主義と自由主義の決定的な違いは表現の自由を求めるか否かだ」と反論された。

結局、勝田先生の寄稿は「正論」ではなく「対論」として同年8月2日付で掲載された。一部を抜粋する。

「日本が過般の戦争で中国に多大の災禍を与えたのも疑いえない事実である」

「1972年の国交回復時、田中首相との熱い論議の後周恩来総理は次の論理で賠償請求権を放棄した。つまり中国人民のみか日本の民衆も一握りの軍部の起こした侵略戦の犠牲者だ。そういう犠牲者に賠償の重荷を負わせないと」

「どんな事態になろうと参拝を決行するなら、直情径行型愛国者や反・嫌中韓派を含む国民が首相の勇気に拍手しよう」

「このまま進むなら日本がアジアの孤児となるおそれもあろう。もしそうなるなら日本はブレジンスキーが言うように、いつまでも『米国の属国』の状態に甘んじることを強いられるのではあるまいか」

冷戦時代、共産主義と戦う論陣をはられた勝田先生と産経新聞の縁はこれを境に切れてしまった。あれから13年の歳月が流れ、日本の国内状況は勝田先生が心配されていた以上に悪くなってしまった。

勝田先生の指摘が「正論」に値せず、「対論」に過ぎないのか、歴史はまだ答えを出していない。中国は中国の論理で動いており、1970年代には日本の経済力と資本を必要としていた。日本に利用価値があるかどうかが中国にとって問題なのであって、日本の出方だけで中国の政策や外交方針が大きく転換することはない。

天安門事件後、「抗日」が中国共産党の正統性を維持するため強調されていることを考えると、勝田先生のような軟弱な考え方では相手につけ込まれるだけで、ナイーブすぎるという主張も成り立つ。

しかし、日本が謙虚な姿勢で近隣諸国との外交に臨むことは人間として当たり前のことであって、相手につけ入るスキを与えなくする。「日本は何も悪いことをしていない」と言いたがる人たちは直情径行ですぐに熱くなるので、かえって利用しやすい。

「表現の自由」とは、こうしたことを自由闊達に議論するためにある。

日本新聞協会の編集権声明は、占領下の1948年3月16日に出された。「新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である」とうたっている。

日本の「新聞の自由」は自らの手で勝ち取ったものではなく、連合国軍総司令部(GHQ)から与えられたものだ。英語ではよく「植物」と「土壌」と表現されるが、「新聞の自由」という「植物」は日本に移植されたが、「土壌」はどれほど変わったのだろう。

新聞社には「報道機関」と「言論機関」という2つの機能がある。報道とは事実を伝え、言論とは意見を主張することである。日本の新聞社は、この線引きが非常にあいまいである。それがさまざまな問題を引き起こしている。その最たるものが従軍慰安婦報道だ。

新聞社の主張や論説委員の意見はオピニオン欄に掲載すべきで、一般のニュースに紛れ込ませるべきではない。紙面で意見を主張する立場の人は、報道にかかわってはいけない。なぜなら、自分の意見に沿って、事実を都合よく切り取って伝えてしまう恐れがあるからだ。この線引きが日本では完全に崩れてしまっている。

朝日新聞の「日本は加害責任に謙虚に向き合う必要がある」という主張は十分に説得力がある。しかし、その主張を展開するため、都合の良い証言をつなぎ合わせて報道してしまった結果が、「吉田氏の虚偽証言」や、「慰安婦」と「挺身隊」の混同を生み落としてしまった。

池上氏のコラム掲載拒否は大きな話題にはなっても、それほど大きな問題であると筆者は思わない。それより「報道」と「言論」の一体化が今後、日本やアジアにもたらす問題の大きさを憂えずにはいられない。

(おわり)

きむら まさと ロンドンを拠点に活動する国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。日本国憲法の改正問題(元慶応大学法科大学院非常勤講師=憲法)や日英両国の政治問題、国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部で大阪府警・司法キャップを務めるなど大阪で16年間、事件記者を務め、東京で政治部や外信部を経験。2002~2003年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2012年7月、独立してフリーに。