※この記事は2014年09月01日にBLOGOSで公開されたものです

吉川圭三[日本テレビ ゼネラル・プロデューサー]

ジブリの宮崎監督の話をしてみたい。

1979年公開の
宮崎駿監督「ルパン三世・カリオストロの城」。興業成績はジブリの小冊子「熱風」の大塚英志さんの文章によると実に3億円台。当時の大ヒット作「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」に圧倒的に押されていたとしても目も当てられない惨憺たる数字だった。

その後、歴史的経過を経て宮崎作品を代表する快作となったこの映画は、筆者の勤務する日本テレビの「金曜ロードショウ」で放映され、1999年に23.4%の視聴率を獲得した。全てを数字で語るのは良くないが、この驚異的興隆が示すものは何か?アニメーションの世界は実に興味深い。
そして、今回、米アカデミー協会は宮崎駿にアカデミー特別名誉賞を与える。

あのチャールズ・チャップリンやウォルト・ディズニーや黒澤明たち映画史に名を残す巨匠達が授与された重要な賞だ。興業成績3億余りだった宮崎監督が世界的巨匠として位置付けられたのだ。

大塚英志氏によると、宮崎駿をただのアニメーターではなく「アニメーション作家」として捉えたのは当時、当時、徳間書店の鈴木敏夫氏が編集した雑誌「アニメー ジュ」宮崎駿特集であった。その号は何故か全盛期のヤマトや999やガンダムの扱いは軽かったという。しかも発売後、その特集号の「アニメージュ」は雑誌としても返本が山の様に来たのだと言う。つまり当時、映画興業成績・雑誌の売り上げは深刻なダメージを受けていたのだ。

宮崎作品はマーケティング的にもデータ的にも全くイケてなかったのだ。

実験的・革命的・画期的なものは最初異端にみえるので一般には受け入れられない場合がある。しかし、宮崎監督の作品を実際に目で見て興奮を抑えられなかった複数の関係者達が才能を信じ、その後の監督を後押ししたのであろう。1979年から現在の世界を誰が予測出来たであろうか? まさに伯楽と名馬の世界。宮崎監督に賭けた男達の先見性恐るべしである。

マーケティング・データに振り回されまくっている現代のエンターテイメント状況の中で、傑作を生み出すのはクリエーターの力量だけでなく、それを支える支持者、冒険させる力量、プロデューサーの肝がモノをいう。実にギャンブリングな話だが、初期の不振が必ずしもその後の不振を意味するわけではない。

レベルは違うが私の制作した「世界まる見え!テレビ特捜部」も最初は11.0%だった。数字を見て「アレはダメだね。」と周囲では囁かれたし、逃げるスタッフもいた。

しかしこの番組が25年続くと誰が想像したことであろう。昔も今もこの世界では実に信じられないことがこの世界では起こるのだ。