説得力のあるトークに定評があるひろゆきさんですが、「論破」という言葉を使うことはないそうです(写真:川崎太師)

軽快でわかりやすく、説得力のあるトークに定評がある、「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」の設立者で、現在は多数の企業に携わる「ひろゆき」こと西村博之さん。コミュニケーションの達人かと思いきや、実は「ややコミュ障気味」なのだといいます。そんなひろゆきさんが、「意気揚々と論破という行為をすることは、二流の人のやることだと思うのです」と警告する最新刊『無敵のコミュ術』から一部抜粋・再編集してお届けします。

やっていることは「プレゼンと説得」

ご存知のとおり、最近メディアで僕は「論破王」などと呼ばれもち上げられています。でも、もち上げられているというか、ネタにされ茶化されている場面のほうが多いような気もします。

そもそも論ですが、僕が「論破」という言葉を使うことはないです。

誰かと話しているときに「はい、論破!」みたいなことを言った試しも、実は一度もありません。

勘違いされている人もいると思いますが、僕がやっていることはプレゼンと説得なのですね。

世の中の人は他人を叩くことが好きなのか、論破という言葉が好きなのか、それをやろうとします。でも、意気揚々と論破という行為をすることは、二流の人のやることだと思うのです。

たとえば、他人を自分の思惑どおりに動かしたいとき、いくつかの手段が考えられます。

お金をちらつかせるとか、暴力を振るうとか、ハニートラップを仕掛けるなど、いろいろなやり方がありますが、いちばんリスクが少なく手間もかからないのが「説得する」という方法だと思います。

ただ、どんなに正しい、論理的な主張をしていたとしても、相手の逃げ道を全部つぶしてぐうの音(ね)も出ないほどまでに言い負かしてしまうというのは、得策ではありません。

相手を論破したところで、「マウントがとれて、ほんの一瞬だけ自分の承認欲求が満たされる」程度のことしか起きない。

嫌われたり恨まれたりしますし、結果的に「相手を思惑どおりに動かす」ことなんて到底できないと思うのです。

論破しないほうがうまくいく

本当に人を動かしたいのであれば、「論破しよう」なんて考えないほうがいいです。

そもそも「ひろゆき=論破王」のイメージが定着してしまったのは、『論破力』(朝日新聞出版)という本が出ていることも関係していると思います。ただ、あのタイトルは僕がつけたわけではなく、編集者さんが勝手に考えてつけたものです。

「タイトルに文句を言わなかったの?」とつっこまれてしまいそうですが、出版社は1冊でも多くの本を売りたいわけで、そのノウハウは僕よりも出版社にある。だから、そういう人がタイトルをつけたほうがいいのですね。

そして、この本を読んでいただければわかることなのですが、「論破しろ」なんて一言も書いていないのです……。それどころか「論破しないほうがいいですよ」とアドバイスしている内容になっていると思うのですね。

僕のことをある程度わかっている人や、本を読んでくれた人は、「論破できるスキルがあることと、実際に相手を論破してしまうことは、まったく別の話だよね」「論破できるスキルがあっても、それを使わないほうが頭いいよね」というのを理解してくれていると思います。

僕にとっての議論の目的は、当たり前ですけれど、相手を打ち負かそうとかいうことではありません。

僕の知識量なんてたかが知れていますから、「相手が自分の知らない情報をもっているんじゃないか」という期待があるので、相手に「それってどういうことなの?」「こういうこと?」という質問を繰り返しているだけのこと。

たとえば、話し合いをするなかで、僕とは違う考えをもっている人に対して「こういう理由から、それは違うんじゃないでしょうか?」と突っ込んで聞いた場合、相手が「いや、これはこうだからこうなるんだよ」と説明してくれたら、「あ、なるほど! そういうことなのね」というふうに、ただ納得して話が終わります。

要するに、僕にしてみれば「新しい知識を得られたらいいなあ」という好奇心から議論をするのであって、相手を論破したいから議論をしているのではない。当たり前ですけど。

ただ、相手の「こうなんだよ」という説明が腑(ふ)に落ちなくて、「僕のこの質問に対して、その答えはちょっと変じゃないですか?」とさらに掘り下げて聞いてみると、相手が答えに詰まったり、矛盾したことを言い出したりすることもある。

きちんとした考えをもっている相手であれば、僕ごときの素人があれこれ質問したところで、難なく説明できるはずなんですけど、そこで「答えられない」というのは、その人の論理が成立していないということが露呈しているだけ。

結果として、論破しているように見えてしまうことがあるのです。

僕は論破を芸にしている芸人さんではなく、あくまでも好奇心旺盛なオジサンとして質問をしているだけなのですね。

議論に大した意味はない

そもそも僕は、議論するときに結論を出さなくちゃいけないとは思っていません。

論を重ねて「何が正しいか」ということを明らかにしたいのであれば、リサーチをして事実を集め、論文を書いたほうがずっと有益です。

人が集まって意見を述べあうことに、何か意義があるでしょうか。

たとえばですが、「焼きそばにはソースと塩、どっちが合うか」というお題でも議論は成立しますよね。

塩には塩のこういう良さがあるとか、こういう具には絶対ソースだとか、人によっていろいろな意見が出てくると思うのですが、そこに「正しい答えがある」という前提で考えること自体が間違っている気がします。

ひろゆきは議論をひっくり返す」「論点を変える」と怒られることもよくあるのですが、「ソースと塩、どっちがおいしい?」という議論のなかで、僕は「いや、そもそも焼きそばなんか食うなよ!」というようなことを平気で言っちゃうタイプ。

誰が何を言おうが、正解でも不正解でもないですよね。

焼きそばの例はちょっと極端かもしれないですけど、議論なんてその程度のことじゃないかと思っているのです。

弁護士、論破せず

弁護士さんというと、法廷で検察側や相手方代理人と意見を戦わせて、次々に相手を論破していく、みたいなイメージをもたれがちだと思います。

ドラマや漫画の影響が大きいと思うのですが、実際には、弁護士さんは論破なんてほぼしません。

クライアントの主張に沿って書類を準備して、そこから先、裁判になれば訴状を書いて話し合いの場を法廷にもっていくのですが、クライアントの利益を可能な限り最大化するための主張をするのであって、別に相手を打ち負かしたいから論陣を張るわけではありません。

もし、相手を論破することだと思っていたら、裁判モノのテレビドラマとか漫画とかを見過ぎだと思ってしまうくらいです。

では何をしているのかというと、要は「こちら側と相手側との落としどころはどこかな」という部分を探り合っているだけなのです。


また、弁護士さんにしても、クライアントの主張について必ずしも同調しているわけでもないし、そもそも感情的になることはよしとされていないので、熱弁を振るって論破! みたいなことはほとんどありません。

お互いに証拠を出し合って「これ違いますね」「では撤回します」というような調子で、ビジネスライクに淡々したやりとりが続くことが多いんですね。

相手を説得して、双方が納得のうえで争いを終わらせるというのは、当然ながら、論破しているだけでは無理な話です。

弁護士さんに限らず、うまいこと着地点を見つけて和解にもち込める人というのは、優秀な人なんじゃないかなと思います。

ひろゆき : 元2ちゃんねる管理人)