ウイグルでいったい何が起きているのか……(写真:allanswart/iStock)

北京五輪への「外交ボイコット」表明、「ウイグル強制労働防止法」可決。アメリカはかねてから中国政府のウイグル弾圧を批判、ジェノサイドを行っていると非難してきた。一方の中国は「でっちあげ」と否定するばかりだ。では実際に何が起きているのか。

調査報道ジャーナリスト/テックライターのジェフリー・ケイン氏はウイグル人難民など168人に取材、恐るべき実態を告発した。「AIの眼」が張りめぐらされ、現地は米中テック企業による「最悪の実験場」になっているという。新刊『AI監獄ウイグル』から、ウイグル人大学生・メイセムと家族が直面した日常の急変を紹介する。

メイセムは北京の一流大学を卒業した後、トルコの大学院に進学した。だがこの選択がまずかった。「海外に住んでいる家族がいる」ことは、家族全員の信用度を下げることだったのだ。2016年夏、メイセムがトルコから帰郷すると、「居間に監視カメラを取り付けるように」と命じられる。家族がそれを実行しても、事はまだ収まらなかった。

警察署で「健康検査」を受けろ

1カ月後、政府からの新たな通知をもって地域自警団の役員が戸口にやってきた。全員で地元の警察署に出向き、“検査”を受けろ。一家が怪しいと判断されたため、今度は家族全員への“検査”が義務づけられたのだった。

当局はやがて、このプログラムを「全民健康体検」と名づけた。「身体検査、採血、声と顔の記録、DNAサンプルの採取が行われます」とメイセムは私に説明した。

「地域の安全のためという名目です。警察は全員のDNAデータを必要としていた。今後も引きつづき海外に行きたいのであれば、検査を受けるしかありません。さもないと、新しいパスポートを取得することはできませんからね」

メイセムが警察署に着いたとき、慌ただしい待合室のいすには数十人の人々が座っていた。赤ん坊が泣き、母親たちが心配そうな表情を浮かべていた。健康診断を行うのは、医療従事者ではなく警察官だった。

長い待ち時間のあと、やっとメイセムの名前が呼ばれた。警察官に導かれ、“患者”でいっぱいの診察室に行った。そこは、医療プライバシーの欠片もない場所だった。

はじめに身長と体重が測定され、視力が検査された。それからメイセムは、採血に同意するかどうか尋ねられた。が、現実問題として拒否できるはずもなかった。

選択の余地などなかった。まだ公表こそされていなかったものの、自身のDNA情報がなんらかの生体認証データベースのために警察に引き渡されることもメイセムはわかっていた。

室内にひとりだけいる医療従事者の助けを借りつつ、警察官たちは静脈を探して針を刺そうとしたが、失敗した。代わりに彼らはメイセムの指に針を刺し、小さな医療用チューブに血液を流し込んだ。そのDNA採取装置はアメリカの医療技術企業サーモ・フィッシャー・サイエンティフィックが製造したもので、同社は製品を新疆ウイグル自治区に直接販売していた。

笑顔、しかめっ面、左右の横顔も

次に男性警察官に別の部屋へと案内されたメイセムは、一連の検査を受けた。まず、カメラの前に立ち、警察のデータベース記録用にさまざまな表情を作るよう言われた。笑顔、しかめっ面、左右の横顔に加え、さらに8つのアングルから写真が撮影された。そして最後に、「国家安全保障」についての文章を声に出して読むよう指示された。

「3つの悪とは、テロリズム、分離主義、宗教的過激主義です」とメイセムは素直に読み上げた。こうして、警察は彼女の声紋情報を手に入れた。

メイセムは、警察官が幼児の頭と足から採血するのを目撃した。10分ほどで検査を終え、彼女は家族を待った。家に戻ったときにはみな疲れはて、恐れていた。しかし、居間のカメラに見られているという恐怖から、その日の経験について正直に話し合うことはできなかった。


ジェフリー・ケイン(Geoffrey Cain)/アメリカ人の調査報道ジャーナリスト、テックライター。本書執筆のために168人のウイグル人の難民、技術労働者、政府関係者、研究者、学者、活動家、亡命準備中の元中国人スパイなどにインタビュー取材を行った(写真: Chale Chala)

不審者と判断されたメイセムは、医療プログラムの一環として強制的にDNAを抽出された。彼女が参加した時点では、このプログラムは新疆だけで行われていた。

のちに、メイセムがこの医療プログラムに参加した最も初期の集団のひとりであるとわかった。その年の9月、政府はより大規模に健康診断を展開し始めた。最終的に3600万人が検査を受けたと国営の新華社通信は報じた。

この生体認証データ収集を監督していたのは、住民サービス・管理および実名登録作業リーダーシップ委員会(自治区人口服務管理和実名制工作領導小組弁公室)と呼ばれる謎の政府組織だった。ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、これを警察の傘下にある組織だと推定した。

当局は公式発表のなかで、「全民健康体検」によって「貧困緩和、管理改善、および“社会の安定性”を促進する“科学的意思決定”」を後押ししたいと説明した。このプロジェクトは、より質の高い効率的な医療の提供を可能にし、主要な疾患を特定し、新疆ウイグル自治区の全住民の医療記録を作成するためのものだと政府は主張した。

私はオンライン上で「全民健康体検」の仕組みを説明する入札書類や政府発表を見つけたが、それらの資料はのちにネット上から削除された。

「県の衛生・家族計画委員会は各地で医療ユニットを組織し、参加必須の健康診断のなかで血液情報とDNA血液カードを収集すること」と、ある県当局のウェブサイトの資料には書かれている。

「血液情報は県の公安部に送られ、DNA血液カードはそこで検査される」「公安部は12歳から65歳までの住民の外見の写真、指紋、虹彩スキャン、そのほかの生物学的な特性情報を収集しなければいけない」と別の資料には書かれていた。

ウイグル人に話を聞くと、必ずといっていいほど強制的な医療データ収集の話題が出てきた。

「同意を拒むことなど誰にもできません。そのような環境で拒めるはずがありません」と詩人のタヒル・ハムットは言った。2017年5月、彼も家族とともに警察署で同じような検査を受けたという。

「政府は可能な限りすべてのものを測定し、それをデータベースに入れました」と著名なウイグル人実業家のタヒル・イミンはインタビューのなかで私に語った。「それは、監視と管理のための大規模なDNAサンプル収集キャンペーンでした」。そして、その技術の一部はアメリカから来たものだった。

すべての遺伝子プロファイルを集める

中国がマスデータを収集していたのは、遺伝学者のあいだで「短鎖縦列反復配列」(STR)と呼ばれるマーカーを使った分析処理のためだった。各個人には固有のSTRプロファイルが存在する。遺伝学者は血液を調べることによってプロファイルを解析し、そのプロファイルを使って個人を特定することができる。


世界中の警察が行っているように、犯罪現場でDNAが見つかった場合、大規模データベースと照合して容疑者を割りだすことができる。しかし中国のプロジェクトはもっと壮大なものだった。

中国政府は、新疆に住む12歳から65歳のすべてのウイグル人、カザフ人、そのほかの少数民族の遺伝子プロファイルを集めることをもくろんだ。構築されたデータベースは法執行機関の捜査のためだけでなく、それらの少数派を多数派の漢民族から区別するために使うこともできた。

中国は、完全な安全保障の神話とでも呼ぶべきものを生みだそうとしている。それは、技術の発展によって、すべてのテロを防ぐ完璧な安全保障システムを構築することができるという考えです」と、カナダのウインザー大学の社会学者マーク・ムンステルヒェルムは私に語った。「彼らはすべてのウイグル人、カザフ人、そのほかの少数民族のプロファイルを手に入れようとしている」

翻訳:濱野大道(はまの・ひろみち)/翻訳家。ロンドン大学・東洋アフリカ学院(SOAS)卒業、同大学院修了。訳書にロイド・パリー『黒い迷宮』『津波の霊たち』(早川書房)『狂気の時代』(みすず書房)、グラッドウェル『トーキング・トゥ・ストレンジャーズ』(光文社)、レビツキー&ジブラット『民主主義の死に方』(新潮社)などがある。