「なぜか笑い話になってしまう」明石家さんまが5時間半の遅刻で使った"すごい言い訳"
※本稿は、古舘伊知郎『MC論 昭和レジェンドから令和新世代まで「仕切り屋」の本懐』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■「見て見て、見てよ」と自分の業を客体化するMC
明石家さんまさんのことは、あえて「さんまちゃん」と呼ばせてもらいます。
お笑いビッグ3の中で、ビートたけしさんやタモリさんの司会は、招き猫みたいな存在で、そこにいてくれればそれでいいという感じですが、さんまちゃんは逆にずっとしゃべる芸風ですよね。
でも、だからといって、そのしゃべりで司会をしているわけでもなければ、進行をしているわけでもない。
『踊る!さんま御殿‼』の進行役は、「イーヒッヒッヒ」と笑いながら机を叩く差し棒の音。あのしぐさと棒の先にくっついた「さんま人形」が司会進行役であって、あれで一区切りついて句読点がつき、
「次。おまえはどうや」
と促しているわけです。それで「さんまちゃんと愉快な仲間たち」というトークショーを構成していく。
さんまちゃんは常に、「見て見て、見てよ」って、自分の業を客体化しています。
誰しも心の奥底にある「ウケたい」とか「目立ちたい」とか「自分中心でいたい」とかいう業を笑いに変換して、「俺はそういう人間なんや」って出すのがめちゃくちゃ上手いです。
あれをされたら、みんな「可愛い」って思っちゃうんですよ。でも、さんまちゃんじゃないとやっちゃダメ。
例えば僕がやると、「こいつ、いい歳してイタいな」って思われます。だけどさんまちゃんなら、「可愛い」ってなる。年齢は関係ないんですよ。
■転がされながらも自分を出すのが上手い
TBSでやっていた坂上忍ちゃんの番組『1番だけが知っている』でビートたけしさんの単独インタビューをやった時、「長い芸人人生で一番天才だと思った人は?」
という定番の質問に、「やっぱり、さんまだな」
って答えたんですね。『オレたちひょうきん族』の時も、どんなにムチャぶりしても全部返してくれた、ありがたいことこのうえない。さんまのおかげでタケちゃんマンもやれたし、やっぱりさんまは天才だ、みたいな主旨の話をしたんです。
それを受けて気をよくしたさんまちゃんが、別の機会に単独インタビューを受けて、「いや、光栄だわ〜」と、面白おかしく話していたんですが、つくづく天才は天才を呼ぶんだなと思いましたね。
たけしさんは転がすのが上手いし、さんまちゃんは転がされながらも自分を出すのがめちゃくちゃ上手い。自分のわがままさを“弟分”として出せるから。
タケちゃんマンとブラックデビルの関係は、今思えばブラックデビルがどこか弟分なんですよ。
■雑談なのに時を超えるタモリとさんまのトーク
昔、『笑っていいとも!』の金曜日に雑談コーナーがあったんですけど、あれはタモリさんとさんまちゃんの天才同士のトークでした。
名曲って何年たっても古臭くならないじゃないですか。トークもそういうところがあって、タモリさんとさんまちゃんの話は、雑談なのに時を超える。今見ても新鮮です。
さんまちゃんが出てきて、タモリさんが迎え入れて、
「それで、どうしたの? 3日前」
「よう言いまんなぁ、タモさん」って、そこからはじまって、完全に弟分になってダダをこねて、それをタモリさんがいじってツッコんで、またワーッと自分中心にしゃべって。
かと思ったら今度は、弟分のさんまちゃんがお兄ちゃんのタモリさんに気を遣ったり。気を遣っているところを、わざとアピールする。タモリさんはタモリさんで、「あんたの手には乗らないの」って感じでかわす。そんなのがずーっと続くんです。
7割ぐらいはさんまちゃんがしゃべっていたんじゃないかな。あれにはすごい弟力を感じましたね。やっぱり、「可愛い」って思わせる天才です。
ちなみに金曜日のその雑談が、伝説になった日があります。
話がいつまでたっても終わらず、時間が押しに押してしまったんですよ。これじゃ他のコーナーは入らないし、CMも入れなきゃいけない。
それでもしゃべり続ける2人に対して、突然「ドーン」という効果音を流して、「CMにいけ」っていう垂れ幕がバーッ降りて来て、強引にCMにいったんです。
スタッフがいざという時のために用意していたんでしょう。テレビがめちゃくちゃ面白かった時代です。
■煙に巻くのに本質を突く、それがプロ
お笑いビッグ3は、ただ面白いことを言える天才というだけじゃなくて、世の本質を突いたことを言いますよね。
私事になりますが、さんまちゃんとの忘れられない出来事があるんです。局アナ時代、今から40年近く前のこと。プロレスの実況で売れはじめた頃です。
吉本興業(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)の東京支社長から「うちに入らないか」と誘われたことがありました。
吉本興業なんてお笑いの王国じゃないですか。
「なんでアナウンサーの僕なんですか?」
と聞いたら、部門を広げたいとのこと。今なら、様々なジャンルの人が吉本と契約していますが、当時はまだお笑い専門。それまで僕は吉本に行きたいと考えたことはありませんでした。芸人さんじゃないんだし。でも、「フリーになりたい」欲はその頃から十分にありました。
そんな時、まだ顔見知り程度だったさんまちゃんと、たまたま廊下ですれ違ったので、
「ちょっとご相談があって……」と、控室に引きずり込んだんです。
「吉本の東京支社長からお誘い受けたんだけど、僕は吉本興業に行ってもいいですかね」
とストレートに聞いたら、言下に、
「やめなはれ」と。そしてたたみ込むように、
「うちなんか来たら大変や。ギャラのほとんどは事務所に持ってかれまっせ!」半分ネタだけど、半分は本当だと思いました。それでチラリとよぎった吉本興業入りはやめました。いきなり相談されたのに、即座に「やめなさい」と答えるさんまちゃんの、あの本質を突く部分はすごいですよね。
■番組収録に5時間半遅れたさんまの“すごい言い訳”
もちろん、すごくないところもありますよ。
『オシャレ30・30』っていう『おしゃれカンケイ』の前身の番組の司会を僕がやっていた時、ゲストだったさんまちゃんが5時間半ぐらい遅れて来たんですよ。悠長な時代で、みんなでずっとスタジオで待っていました。
さんまちゃんは遅れてスタジオに入ってくるなり、「すんません、すんません、すんません」って、ちゃんとみんなに頭下げて。でも、一応言っておかないといけないと思い、収録の冒頭で半分冗談半分本気で言ったんですよ。「何でこんなに待たせるんですか。何時間も何時間も待たせて。釈明しなさい」
って。そしたら僕の方を向いて真顔で、
「古舘さんやから本当のこと言うわ。赤坂プリンスホテルに泊まってたんですわ」
朝の8時半ぐらいにロビーに着いたマネージャーから、
「そろそろ下りてきたらどうですか」
とキレ気味に電話がかかってきたんだけど、でもこの言葉に、
「芸人を甘く見られちゃ困る。絶対に下りるもんか」
と思ったと。そして、スタジオに行きたいのをずっと我慢してたって言うんです。7割ぐらい話をつくっていると思うんですけど、
「ぐーっと我慢するこの気持ち、わかってな」
と言って笑いを取る。かなわないと思いました。さんまちゃんだから許されるんですよ、これは。
■究極の不遜も、天才がやればサービスになる
噺家のレジェンド、立川談志さんもそうでした。
談志さんなんて、会場にすら来ない。
「客席がいっぱいでございます、師匠」
と言われた途端、
「古舘、日比谷の美弥っていうバーで待っててくれ」
って高座をすっぽかして、行きつけのバーに僕を呼び出して、
「俺だってやりてえよ。やりてえけどさ、やっぱ人の意表を突かなきゃ芸人として失礼にあたるから。これ、逆サービス、裏サービス」
そんなふうに言うんですよ。でも逆に、客の入りが悪い時は自ら出ていって、
「おい、今日来たやつらにいい話するぞ、古典いくか」
なんてやっていました。究極の不遜も、天才がやることで反転してサービスになる。
さんまちゃんがみんなを待たせたこと、わがままを演じるために部屋に籠城したこと、全部含めてネタになったんです。でもいまは、コンプライアンスとハラスメントと炎上がこの世の三尊像となってしまって、つまんなくなっちゃった。
■「ともかく笑えや」という人生訓
「さんまちゃん、本質を突くことを言うなあ」ともう一つ記憶に残っているのは、6年ぐらい前の新聞記事。
娘のIMALUちゃんが、お父さんのさんまちゃんと自分にまつわるエピソードについて語っている記事でした。
久々にお父さんと電話で話した。こんなこともあった、あんなこともあったと自分の苦労やグチを話したら、いつもは「何や、それは」とツッコんだり、盛り上げたりギャグにするお父さんが、全然そういう反応をしない。
ただ、「うんうん」と真面目に普通のお父さんのように聞いてくれる。
半分戸惑って、半分ちょっと嬉しくて、ずっと憂さを晴らすがごとく、グチグチ言っていたら、最後の最後、すべて言い終えて、もう話すことがなくなった時、さんまちゃんが、
「じゃあ、一つだけ言うてええか」
と言って、
「何?」
と聞いたら、
「笑え」
「ともかく笑えや」
と連呼して電話を切ったと。僕はこの話、感動しました。『報道ステーション』でニュースキャスターをしていた頃で、僕自身、ちょっとテンパッている時期だったので、余計に最後は笑うべきだと思ったんです。
よく言われることですが、棺桶に名声や地位、財産を入れることはできません。
人は、この世に来た時は孤独に生まれ、あちらの世界に行く時も孤独に去ってくわけじゃないですか。人生の本質はそこだろうと思った時に、自分で獲得した命じゃないなら、生かされているだけなら、この世を天国だと思って、つらい時も楽しい時も最後は笑えばいい。そう思ったんです。
水戸黄門の歌じゃないけど、人生楽ありゃ苦もあるさ。苦楽は一対。苦楽イコール人生だから。
そういう意味では僕は、「笑えや」って本質だと思います。「笑えや」と言うことで、どれだけの人が救われるか。「人生の本質は笑い」というのは、さんまちゃんに教わった気がします。
数年たって、さんまちゃんの番組にゲスト出演させてもらった時、この話をしたんですよ。「本当に勇気づけられました」と。
さんまちゃんはそれを聞いて、
「古舘さん、そんなん褒め殺しやん。そんないい話にせんといて」
と言って煙に巻いてましたけどね。
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古舘 伊知郎(ふるたち・いちろう)
フリーアナウンサー
立教大学を卒業後、1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。
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(フリーアナウンサー 古舘 伊知郎)