矢野次官の「バラマキ批判」寄稿は間違い!? 今の日本が財政破綻しないワケ
衆院選が迫る中、2021年10月10日に文藝春秋11月号で矢野事務次官が「このままでは国家財政は破綻する」との寄稿をしました。現役の財務相事務次官の寄稿であり、世間では大きな波紋を呼びました。筆者も精読してみましたが、その内容は要約すると「トートロジー」「強弁」「情緒に訴える」という代物でした。
今回の記事では、矢野事務次官の寄稿内容とそれに対する反応、そしてなぜ矢野事務次官の寄稿が間違っていると言えるのか、そもそも今の日本に財政問題が存在しない理由について、わかりやすく解説します。
矢野事務次官の寄稿の内容とは
画像:Ned Snowman/Shutterstockまず、矢野事務次官の寄稿内容を知るため、書き出しと書き終わりのポイントを引用します。
数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます(※1)
先ほどのタイタニック号の喩えでいえば、衝突するまでの距離はわからないけど、日本が氷山に向かって突進していることだけは確かなのです。この破滅的な衝突を避けるには、「不都合な真実」もきちんと直視し、先送りすることなく、最も賢明なやり方で対処していかなければなりません。そうしなければ、将来必ず、財政が破綻するか、大きな負担が国民にのしかかってきます(※1)
そして、矢野事務次官が主張したポイントを、筆者がまとめます。
国庫は無尽蔵ではない日本国債が増加していけば、いつか破綻するないし、破綻の代わりに大きな国民負担がのしかかるいつ破綻するかは誰にもわからないだから、財政規律を守り、財政健全化を行うべき矢野事務次官の寄稿を精読すると、その主張は5に集約されます。つまり、“このまま日本国債が増加していけば破綻するのだから、財政規律を守り、財政健全化をしなければならない”が矢野事務次官の寄稿の要旨です。
矢野事務次官の寄稿の“奇妙な点”
この寄稿には奇妙な点があります。「財政規律が大事だ」「このままではタイタニック号だ」と煽るにもかかわらず、財政破綻という単語がほとんど出てきません。言及しているのは最後の数行のみでした。
そのほかは、「財政規律が必要だ。なぜなら、財政規律が必要だからだ」というトートロジーが繰り返されているだけという印象です。
くわえて、「いつか破綻する」と主張しながら、「いつ破綻するかはわからない」とするのも奇妙です。そして、「いつか」に対して言及はなく、10年後なのか50年後なのかすらわかりません。もしかしたら、1000年後、1万年後かもしれません。
何よりもっとも奇妙なのは、財政破綻についての寄稿のはずが、財政破綻の定義に一行たりとも触れられていないことです。
矢野事務次官の寄稿に対する反応は?
「このままでは国家財政は破綻する」という寄稿にいち早く反発したのは、自民党の高市早苗政調会長でした。寄稿に対し「大変失礼な言い方だ。基礎的な財政収支にこだわって、いま本当に困っている方を助けない、それから未来を担う子供たちに投資しない、これほどバカげた話はない」(※2)と述べています。
百田尚樹のチャンネルにも出演している有本香氏は、12日朝のラジオ放送で「官僚ののりをこえている。更迭すべき」と主張(※2)。また評論家の中野剛志氏は、矢野事務次官の寄稿には大きな問題をはらんでいると指摘します(※3)。
一方、経済同友会の桜田謙悟代表幹事(※4)や慶應義塾大学大学院准教授の小幡績氏(※5)は、この寄稿に(おおむね)賛成の立場を示しています。また、岸田首相は矢野事務次官の寄稿に対し「処分はまったく考えていない」と話しています(※6)。
各界の著名人や有識者、政治家などがそれぞれ反応しており、矢野事務次官の寄稿は多くの波紋を呼んでいます。
日本の財政破綻危機は本当か?
画像:vatolstikoff/Shutterstockでは、矢野事務次官はなぜ、財政破綻の危険性を訴えながら、財政破綻の定義について一行も触れなかったのでしょうか? 筆者は、財政破綻の定義に触れてしまうと、矢野事務次官の論理が崩壊してしまうからだと考えます。
財政破綻には2種類のシナリオがあります。
デフォルト(債務不履行)ハイパーインフレデフォルトとは国債の利払いや償還が滞ることです。ところが、日本国債でデフォルトは起きようがありません。なぜなら、日本国債はすべて円建てであり、政府には通貨発行権があるからです。簡単に言い換えると「円を刷れる政府が、円でお金を借りている」のです。
主流派、非主流派含めて多くの経済学者が「自国通貨建て国債はデフォルトしない」と認めています。それどころか、財務省も「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」(※7)と公式に認めています。
「日本で財政破綻の心配はない」と主張すると、ギリシャを持ち出して反論されることがありますが、ギリシャと日本では条件が違います。
ギリシャには金融主権がありません。共通通貨のユーロを使用しており、自由に通貨を発行できないのです。ギリシャの国債は外貨建てと変わらず、自国通貨建て国債の日本とは大きく性質が異なります。ギリシャがデフォルト危機に陥ったのはユーロ建て(外貨建て)国債だったからです。
次に、日本の財政破綻問題でもう一つ話題になるのはハイパーインフレです。国債が増えすぎると、ある日突然、長期金利が高騰してハイパーインフレが襲ってくるといったストーリーが語られますが、この説も眉唾物です。
1995年に日本の普通国債は250兆円でしたが、現在では1000兆円にまで膨れ上がっています。ところが、長期金利は低迷して0.1%であり、各種数値を見てもデフレないしデフレギリギリの状態です。ハイパーインフレどころかデフレの心配が必要です。ハイパーインフレの心配はインフレになってからで遅くないでしょう。
このように、今の日本に財政破綻の心配はありませんが、財政は無限ではありません。政府は円を無限に刷れますが、モノの供給力には制約があります。モノが足りずにお金があふれるとインフレとなり、行き過ぎると過剰なインフレになります。したがって、政府は過剰なインフレにならないように財政を調整しなければなりません。
逆に、デフレ状態に近い現在はまだまだ財政拡大の余地があります。
まとめると、財政破綻には「デフォルト」「ハイパーインフレ」の2種類のシナリオがあり、デフォルトは自国通貨建て国債である限り起こりません。また、ハイパーインフレの心配をするくらいなら、デフレの心配をする方が今は現実的です。
矢野事務次官のバラマキ批判の間違い
画像:Salivanchuk Semen/Shutterstock今の日本で財政破綻が考えられない以上、矢野事務次官の寄稿は「客観性」を欠き、政府の事務方としての役割を果たしているとは言えません。
「決定権のない公務員は、何をするべきかと言えば、公平無私に客観的に事実関係を政治家に説明し、判断を仰ぎ、適正に執行すること」と矢野事務次官は寄稿で述べます。なぜ政治家に客観的に説明するのか? 政治家が国民の代表だからです。
つまり、矢野事務次官は寄稿で国民に客観的に説明する責任を負っています。財政破綻の定義をせず、トートロジーで財政規律を語ることが客観的だとは思えません。
積極的に支出を増やす「積極財政」に問題がないとする潮流は、アメリカの主流派経済学者の間で広がっています。たとえば、主流派経済学の重鎮ローレンス・サマーズは積極財政を推奨し、FRB議長のジャネット・イエレンは積極財政が長期的にも有効だと強調しました(※8)。
日本の経済学はアメリカからの輸入学問です。昨今ではMMT(現代貨幣理論)が輸入されたのが記憶に新しいでしょう。アメリカでパラダイムシフトが発生し、その数年後、日本に輸入されます。矢野事務次官の均衡財政主義は、アメリカではすでに時代遅れなのです。
日本ではデフォルトもハイパーインフレも起きません。海外の経済学の知見からすると、矢野事務次官の主張はまったく客観的ではありません。
まとめ
矢野事務次官の寄稿は波紋を呼び、世論にも大きな影響を与えました。議論のきっかけになったことは喜ばしいことです。しかし、内容について首肯はできません。タイトルを「このままでは国家財政は破綻する」としながら、財政破綻の定義について一行も触れていないからです。
くわえて、なぜ破綻するかも書かれていません。デフォルトなのか、ハイパーインフレなのかすら触れられておらず、いつ破綻するのかについても曖昧です。
論理的に、今の日本に財政問題は存在していません。円を刷れる政府が円を借りているだけで、現状の各数値からハイパーインフレの心配もいらないからです。この単純な事実に多くの人が気がつけば、世論も大きく変化するかもしれません。