DNAは環境に順応する(写真:llhedgehogll/PIXTA)

人生、能力、あるいは生き方や考え方などが、「遺伝子」の影響下にあると考える人は少なくないかもしれない。事実、インターネットを筆頭とするさまざまなメディアにおいては、遺伝子に関する多くのトピックスを見つけることができるだろう。

だが、薬学博士である『遺伝子のスイッチ: 何気ないその行動があなたの遺伝子の働きを変える』(東洋経済新報社)の著者、生田哲(いくた・さとし)氏は、それらは誤りであると断言している。

遺伝子は環境とかかわり初めて働く

なぜなら遺伝子は、環境とかかわることによって初めて働くものだから。

たとえば一卵性双生児は「まったく同じ双子」と認識されているが、正確には「まったく同じ」ではないのだという。

もちろん、まったく同じ卵子から生まれ、同じ女性の子宮の中で同じ時期に育った双子であることは事実だ。そういう意味では、ふたりの先天的な環境は同じであるといえるだろう。

しかし重要なのは、後天的な環境は同じではないという点だ。生田氏はこのことを、「一卵性双生児で生まれたひとりは学校の教師をし、充実した日々を送るが、もうひとりは薬物依存に苦しんでいる」という図式によって解説している。極端な話のようにも思えるが、しかし充分に考えられることでもある。すなわち、そのようなことも充分にありうるということだ。

たとえ同じ遺伝子をもっていても、同じ結果になるとは限らない。それどころか、同じ結果にはならないことが多い。遺伝子の働きは、食事や運動などの生活習慣やどんな書物を読むか、どんな人とつきあうかなどによって劇的に変わるからである。そして、最近の研究によって遺伝子の働きを変えるしくみ、すなわち、遺伝子を使う(オン)にしたり、遺伝子を使わない(オフ)にするスイッチが存在することが明らかになった。

このスイッチを研究するのが「エピジェネティクス」という、いま、爆発的に発展している学問分野であり、本書のテーマである。

(「はじめに」より)

生田氏によれば、このスイッチのユニークなところは、環境の変化に応じてDNAの塩基配列を変える(変異)ことなく、遺伝子の使い方を変えることにあるのだそうだ。具体的には、このスイッチはDNAにタグをつけたり、タグを外したりすることによって遺伝子のオンとオフを迅速に切り替えるというのだ。

DNAにタグをつけたり、つけたタグをはずしたりすることによって、DNAの塩基配列を変化させることなく、遺伝子の働きを変えること、また、このことを研究する学問分野を「エピジェネティクス」と呼んでいる。遺伝子とは細胞がどのようなタンパク質をつくるかを指令する情報である。遺伝子が働いて、細胞がタンパク質をつくるとき遺伝子発現はオン、一方、遺伝子が働かず、タンパク質がつくれないとき、遺伝子発現はオフという。

(16〜17ページより)

人が生存を続けられるように、DNAは変化し続ける環境に適応しているということなのだ。

環境に順応する

だが、ここで疑問が生じるかもしれない。せっかく遺伝情報を担っているDNAがあるのに、どうしてわざわざDNAにタグをつけたり外したりする必要があるのかということだ。

この疑問について生田氏は、それは「人が生き残るために必要だからだ」と答えている。

環境は絶えず変化し続ける、これが常態である。人が生存を続けるには、この変化し続ける環境に適応できなければならない。

変化への対応で、まず考えられるのは、DNAの塩基配列を変化させる変異である。だが、変異を起こすのに数千年から数万年もの時間がかかるから、変異を待っていたのでは、環境の変化に対応できず、人は滅んでしまう。人が生き延びるには、変異よりはるかに迅速に遺伝子の使用法を変える手段が欠かせないのである。

(17ページより)

そこで、タグの活用が発明されたのであろうという推測である。生田氏によれば、タグをDNAにつけたり外したりするのにはさほどの時間は必要ないらしい。また、それによって遺伝子のオン/オフをコントロールできるなら、新しい環境に対する迅速な対応が可能になる。

とはいえ、とくにDNAに詳しいわけでもない(むしろ苦手な)私のような人間は、エピジェネティクスといわれてもいまひとつピンとこない。そればかりは否定のしようがないし、「ああ、そうですか」と、自分には縁のない話のように感じてしまうのだ。

しかし、それは違うのだと生田氏は主張する。

私たちが日常的に経験するべきことの多くが、エピジェネティクスを引き起こす要因になっているというのである。

毎日、私たちは食べ物や飲み物を摂取する。そして家事をしたり学校や職場、あるいはスポーツクラブの水泳教室やヨガ教室に通う。そこには人が大勢いて、時には、人間関係に悩まされることになる。また、読書をしたり、音楽を聴いたり、映画を観たりする。こういった日常のごくありふれた出来事がエピジェネティクスを引き起こすのである。

このエピジェネティクスは、脳が経験に反応する仕方を変える。辛い経験をした個人が、立ち直るのか、それとも、依存、うつ、そのほかの心の病に苦しむのか、その基礎をつくるのがエピジェネティクスなのである。

(18ページより)

環境に順応するために変化する

遺伝子をオンにしたりオフにしたりするスイッチ」というような表現を用いられると、かえってわかりにくくなると個人的には感じていた。だが、単純化すればそれは、「環境に順応するために変化する」ということなのだろう。

ところで環境の変化について考えるとすれば、避けて通れないのが新型コロナウイルスだ。2020年初頭に未知のウイルスが猛威を奮い始めて以来、私たちの生活は激変してしまったからである。

医療の現場は崩壊の危機に立たされ、人々は外出自粛の必要に迫られ、ソーシャル・ディスタンスを保つことは新たな常識にすらなった。その結果、観光・宿泊・外食などの業種は大きな打撃を受け、コンサート、スポーツイベント、映画に代表される催し物など、文化やエンターテインメントへの参加もままならなくなっている。

仕事やその環境も同じだ。テレワークが一般化したため直接的な交流の機会が減り、家に閉じこもる時間が増えた人も珍しくない。その結果、「子どもの声がうるさくてイライラする」「孤独を感じる」など、“社会的動物”である多くの人間がストレスを感じることになる。

そしてストレスはうつを引き起こし、自殺者を増やすことにもなる。そればかりか、ストレスを原因とするドメスティック・バイオレンス(DV)も増えている。

わが国においても、新型コロナウイルスによる死者の大多数は、平均寿命に近い80代の高齢者だ。しかしその一方、自殺者は働き盛りの若い人が圧倒的に多い。ストレスが引き起こした自殺が、家族やその周囲、社会にもストレスを与え、さらに自殺者を増やしかねないという状況は、間違いなくあるということだ。

うつは、どのようにして発生するかというと、うつになりやすい傾向の人が、強いストレス環境に置かれるものと理解できる。同じストレスでも、強く感じる人もいれば、そうでない人もいる。前者は「ストレス感受性」の高い人、後者は「ストレス感受性」の低い人といえよう。うつは「ストレス感受性」と「ストレス」の相互作用によって発症する。

(29ページより)

うつを発症するかどうかを左右するのはストレス感受性で、そこに遺伝子が影響するということだ。とはいえ、それだけでは決まらず、「どの遺伝子が細胞で使われるか」がポイントになる。

すなわち、遺伝子発現の「オンとオフ」をコントロールするエピジェネティクスが、ストレス感受性に大きな影響を及ぼすというのである。

無意識のうちに買ってしまう

新型コロナウイルスを例に挙げたりすると、決して人ごとではないことがわかるのではないだろうか。しかしその反面、ついおおごとのように考えてしまいたくもなるかもしれない。

だが実際には、エピジェネティクスはもっと身近なかかわりを持つもののようである。その一例として挙げられているのが、「スターバックスのラテ」に関するエピソードだ。

ある日、やや寝不足だが、目覚まし時計でようやく起き上がり職場に到着したとしよう。眠そうなあなたを見た同僚が、スターバックスのラテを購入し、あなたにくれた。意外にも、それを口にしたあなたは元気が出た。職場でも仕事がはかどった。
それからというもの、あなたは出勤するときにはいつでも、スターバックスでコーヒーを購入するようになった。

(30ページより)

やがて、週末に外出した際にスターバックスを見つけても、買わずにはいられなくなるかもしれない。本来であれば、コーヒーを必要としなかったとしても。

マクドナルドの黄色い看板を見ると、お腹が空いていなくても無性にハンバーガーやポテトを食べたくなり、購入してしまうというようなことにも同じことがいえる。

こういうことが起こるのは、私たちが無意識のうちに、シンボルとなるキュー(暗示)を食べ物(報酬)とつなげ、日常生活で使ってきたからなのだそうだ。

キューと報酬がペアになることを「連合学習」といい、連合学習すると、キューを見たり聞いたりするだけで無意識のうちに報酬を期待するようになるわけだ。こうした連合学習にも、エピジェネティクスが関わっているというのだ。

薬物をやめられないのは意思の弱さなのか

そして、それは「やめられない薬物」や、生田氏が「合法薬物」と称しているアルコールなどにもあてはまる。


たとえば薬物をやめた人が再び手を出してしまうと、私たちは意思の弱さを指摘するかもしれない。だが、そうではなく、薬物摂取によって彼らの脳内になんらかの“重大な変化”が起こり、その状態が長く続いていると考えざるをえないと生田氏はいうのだ。

だとすれば、エピジェネティクスが大きな影響を与えている可能性は低くない。彼らの脳内において、薬物の摂取によって遺伝子の読み方が変わるエピジェネティクスが起こっているのではないかということである。

そのことについて、本書で多くのページが割かれているのも、それが決して空論ではないからなのだろう。

だから、スターバックスのロゴである2つの尻尾のある人魚は、強く条件づけられたキューとなって食欲の引き金を引く。私たちがコーヒーを購入する気になるのは、キューと報酬がペアになったからだ。

(中略)覚醒剤の使用歴のある受刑者のケースでは、「クスリ仲間と会う」「クスリ仲間からの連絡」がキューであり、薬物の使用が「報酬」に相当する。食べ物への過剰な欲求と薬物への渇望は、しくみが、あまりにもよく似ていることがわかる。

(121〜122ページより)

キューによって報酬への渇望が湧き上がるというわけで、たしかにそれは私たちの日常の至るところに確認できることであるといえそうだ。