15回転職の坂本一生「最近の芸能人は精神的に弱い人が増えたなって思います」
「セカンドキャリアどころかフィフティーンキャリアですよ」
そう豪快に笑うのは、坂本一生。'93年、“新加勢大周”の名でデビューし、その後、坂本一生に改名。肉体派タレントとして活躍するも、浮き沈みの激しい芸能界の荒波に飲まれ、ホスト、探偵、便利屋などの仕事を転々とした。その数、なんと15回! ある意味、芸能人キャリア論の生き字引的存在と言えるかもしれない。
前職は「告発したりないくらい(苦笑)」
「芸能にしがみついていると正社員にはなれません。融通のきくバイトをするしかないんです」と、のっけから「なるほど」とうなってしまうほど言葉に力があるから、さすがすぎる。
「いろいろな仕事をしましたが、印象に残っているのは鳶職人かな。 国家資格である、足場の組み立てなど作業主任者も取得したんだけど、雨の日に足場から転落してあごを骨折……1か月間、流動食しか食べれなかったなぁ。あと、陸送の仕事をしていたときは、徒歩で移動中に車にはねられて足を骨折。それが原因でクラッチを踏めなくなって辞めざるをえなかった。15回転職しているのには、それなりに理由があるんです!(笑)」
前職である『便利屋!お助け本舗』の取締役時代を振り返り、「体(てい)のいい広告塔にされたあげく、給料も雀の涙。告発したりないくらい(苦笑)。次に何をするか考えたとき、誰かに振り回されずに、自分でできるものがいいと考えたんです」と胸中を明かす。
その言葉どおり、現在は故郷の千葉県八千代市で『SISパーソナルジム』を運営。肉体派タレントとしてデビューした坂本の筋トレ歴は29年。原点回帰かつ自分の長所を活かせる仕事と胸を張る。
「健康志向を目指す人の役にも立てるし、オーストラリア留学時代の筋肉トレーニングのノウハウもあるし、なんでもっと早くにジムをオープンしなかったのかなって思うくらい。
でも、20代のときにジムを開設していたら、今のような経験や人脈がないままスタートしていたわけで成功していたかわからない。そもそも、僕の子どものころの夢は野球選手だった。ところが、わけがわからないうちに芸能界デビューしちゃって。思いどおりのキャリアを歩める人間なんてひと握りしかいないんだよ」
“できる”と思ったら何でもできる
それにしても、これだけいろいろな仕事ができるということは、根がポジティブだからなのか? そう尋ねると──。
「ポジティブってわけじゃないですよ。腹が立つし、納得いかないことも多々あるから、落ち込むこともあります。でも、納得いかないと怒ったところでお金にならないでしょ? 怒ったり落ち込んだりしてお金になるんだったら、いくらでも凹みますよ(笑)。当時は、結婚もしていたから家族を養わなきゃいけない。前に進むしかないんです」
また、セカンドキャリアを考えている人に対しては、こんなアドバイスを送る。
「得意不得意よりも、“できる”と思ったら何でもできるんじゃないかな。新しいことを思いついたら、今やらなきゃいつやるの? って話。後回しにすると、どんどん運が逃げるし、身体も動かなくなっていく。やりたいと思ったら、すぐにやるべき。失敗したら失敗したときに考えればいい! どうとでもなるから! 僕が言うんだから間違いないでしょ?」
おっしゃるとおり、ものすごい説得力!
「僕なんかボロ雑巾になりながら、その都度、自分できれいに修繕して生き延びているんだから」
その秘訣を聞くと、デビュー当時からひと回りもふた回りも大きくなった体重97キログラム、胸囲117センチのマッスルな肉体をアピールしながら、「身体を鍛えているから!」と笑う。
「最近の芸能人は、精神的に弱い人が増えたなって思います。だから、クスリなんかに簡単に手を出す。同じクスリでも、身体を鍛えるプロテインやサプリメントを飲めばいいのに。僕が身体を鍛えてあげるから、精神的に弱っている芸能人は八千代まで来てください(笑)。身体が元気じゃないとセカンドキャリアは築けませんよ!」
《PROFILE》
坂本一生 ◎さかもと・いっせい 1971年、千葉県生まれ。高校卒業後、2年間オーストラリアへ留学。帰国した成田空港でスカウトされ芸能界入り。1993年、「新加勢大周」の名でデビュー。数々の転職を経て、千葉県・八千代台に社長として『SISパーソナルジム』をオープン。
'19年11月、15個目の職業として「日焼けサロン」を併設。「八千代市内唯一の日サロです。また、コラーゲンマシンは、都内では考えられない価格で使用できるので、ぜひお試しください!」(坂本)