エンジェル投資家としての「本田圭佑」真の実力
エンジェル投資家が日本でも増えています(写真:Ildo Frazao/iStock)
ワールドカップ(W杯)ロシア大会直前の2018年5月。サッカー日本代表のエース、本田圭佑が一時帰国して向かった先は東京の下町・入谷にある築30年超の小さなアパートだった。うす汚れた壁に囲まれた建物内は、むっとする湿気が立ち込める。本田はサングラスを外して椅子に座ると目の前の青年に話しかけた。
「コウ、ビジネスの調子は大丈夫なの?」
コウこと、洪英高(26)は本田が出資するスタートアップ企業の創業者だ。大阪府出身の洪は同志社大学に進学しアメリカに留学した際、シリコンバレーを訪れていた本田の元に押しかけ、事業計画を直談判して創業資金の支援を勝ち取った。だが、日本に帰国後に始めた留学生向けの相談サービスは思うように軌道に乗らない。本田は洪が落ち込む様子を見て、急きょ激励のためにオフィス兼住居を訪れた。
すでに50社以上に投資した本田
「日本代表がブラジルと戦うならば、チームの『走量』がカギを握る。運動量で負けたら絶対に勝てない。このビジネスのKPI(重要業績評価指標)は何だと思う?」
サッカーでの経験を交えながら、起業家と同じ目線で解決策を探る。本田は2016年にスタートアップ企業への支援を始め、すでに50社以上に投資した。国内では代表的な「エンジェル投資家」の一人だ。
エンジェル投資家とは、創業間もない企業に個人で資金を提供する投資家を指す。アメリカでは以前から多くの投資家が積極的に活動していたが、最近になって日本でも急速に台頭し始めた。成り手の多くは20代から30代の「ミレニアル世代」に属する起業家出身の若者で、芸能人やスポーツ選手の姿も少なくない。
梅雨空が広がる2019年6月の週末。大阪で開かれる20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が間近に迫る中、東京・永田町の「ザ・キャピトルホテル東急」で一風変わった名前の秘密会合が開かれた。その名は「KSKサミット」。本田圭佑が投資先の起業家らとの交流のために初めて企画したイベントだ。
円形のシャンデリアが天井に輝く宴会場には、メルカリ会長の小泉文明やディー・エヌ・エー会長の南場智子、実業家の堀江貴文ら著名ゲストを含めて数十人が集い、事業計画を披露するピッチイベントやトークセッションが催された。
「サッカーしかやっていなかった自分が、まさかビジネスにこれほど関わるようになるとは思わなかった」
きっかけは社会貢献活動
会合の冒頭、本田は黒のTシャツにジーンズ姿で壇上に現れ、エンジェル投資にかける胸の内を語り始めた。
もともと本田は起業家への支援に乗り出す前に社会貢献活動に関心を持った。きっかけは、オランダのサッカークラブへの移籍だったという。アフリカや南米出身のチームメイトが自国の親族や知人に給料の多くを送金する様子を目の当たりにし、世界の貧困問題に出会った。実態を知るために孤児院などに足を運ぶうちに「誰もが夢を追い続けられる世界をつくりたいと考えるようになった」。
2012年にサッカー教室を開設し、今では中国やタイ、カンボジアなどを合わせ国内外の計75校で約5000人ものスクール生を抱える。ほかにもアジアの発展途上国で学校の建設に乗り出すなど活動の範囲を広げる一方で、次第に自身の寄付だけでは限界があることに気がついた。
そこで始めたのがエンジェル投資だった。「投資」ならば獲得したリターンを次の投資に回したり、寄付に使ったりもできる。才能豊かな起業家を多数支援することで、よりよい世界に一足飛びで近づくことも可能だ。2016年に個人投資会社KSKエンジェルファンドを設立。
「次世代に少しでもより平和で明るい未来を残せるようにエンジェル投資家として可能な限り投資し続けていこうと考えています。行動あるのみ」。本田は「インスタグラム」にこんなメッセージを投稿し、投資家としての一歩を踏み出した。「ファンド」の名前が付いているが、運用資金は本田のポケットマネーの数億円だ。創業初期段階の国内スタートアップ企業を対象にし、1社当たり500万〜1000万円程度を中心に投資する。
イグジットに成功した事例も出てきている。12月11日には、2000万円超を投じたクラウドファンディング大手「マクアケ」が東証マザーズに上場し、本田は一部の株式の売却で約4億円を手に入れたほか、残りの保有株の時価総額は約40億円に一時膨らんだ。
アメリカではスポーツ選手など著名人がスタートアップ企業に出資する「セレブ投資」が活況を呈している。代表的な投資家として、プロバスケットボール(NBA)の元スター選手、コービー・ブライアントやシャキール・オニール、歌手のジャスティン・ビーバー、俳優のアシュトン・カッチャーが挙げられる。とくにカッチャーはエアビーアンドビーやスカイプなど多数の成功企業に投資し、巨額の収益を獲得している。
「もちろん海外のスポーツ選手の投資動向は意識した」と語るのは、元プロ陸上選手の為末大。為末は2012年の引退後、エンジェル投資に乗り出した。シード期の企業に対して1社当たり数百万円を出資しており、現在の投資先はスポーツニュースアプリを運営するオオカミや、スポーツ動画の投稿アプリを手がけるスポーニアなど約10社に上る。
芸能界きってのエンジェル投資家・田村淳
お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳は芸能界きってのエンジェル投資家として知られる。ラジオで情報系番組のMCを担当したことがスタートアップ業界に関心を持つきっかけになったという。ゲストで番組を訪れた起業家と話すうちに、「芸能界にはない新しい発想に大きな刺激を受けた」。今では「起業家は世の中の人を楽しませることでは芸人と同じ」というのがモットーだ。
投資1号案件は、通販サイト作成サービスのベイス。CEOの鶴岡裕太(29)が語った「自分の母親でも使える簡単な通販サイト」というコンセプトに共感し、2012年の創業直後に出資した。
その後、ベイスは約80万店舗以上が加盟する大手プラットフォームに成長し、2019年10月に東証マザーズへの上場を果たした。田村の保有株の価値は約6000万円に拡大し、リターンは数十倍に達したとみられる。これまでにベイスのほか、プログラミング教育サービスの運営会社など数社に投資し、引き続き投資活動を続ける方針だ。
知り合いの投資家からの紹介だけでなく、「自分のSNSに連絡してきた起業家を楽屋に呼んで話を聞いている」。芸人の世界は食事面など後輩の生活の面倒をみる文化が定着しており、年下の起業家を応援するエンジェル投資もどこか似たものを感じているのかもしれない。
芸能界ではお笑い芸人の西野亮廣やタレントの武井壮、歌舞伎俳優の市川海老蔵らがエンジェル投資をしているほか、俳優の山田孝之はコールセンター大手のトランスコスモスと共同でECサイトの運営会社を設立し、最高イノベーション責任者(CIO)に就任して話題となった。テレビ業界の衰退傾向も要因となって、スタートアップ企業に関心を持つ芸能人がにわかに増えている。
さらに株式型クラウドファンディング(CF)市場が立ち上がり、一般人もエンジェル投資に気軽に参加できるようになった。株式型CFは未公開企業がインターネット上で不特定多数から資金を募る新たな手法で、改正金融商品取引法の施行により2015年に国内で解禁された。
資金調達を希望する企業は専門サイトを通じて、ネット上で数多くの投資家に出資勧誘し、投資家は見返りとして株式を取得する。法改正から2年後の2017年に第1号案件の調達が始まり、2018年の資金調達額は前年比2倍超に急拡大した。
折しも、AIやブロックチェーンなど次世代技術の台頭だけでなく、人手不足、少子高齢化対策など社会問題も深刻化しており、スタートアップ投資のテーマには事欠かない。日本の個人金融資産は約1800兆円と、アメリカに次ぐ世界で2番目の大きさを誇る。
1億円を超える純金融資産を持つ世帯数は2017年に126万世帯と、2000年以降で最も多く、「アベノミクス」前の2011年と比べて5割も増えた。株高や仮想通貨バブルで財をなし、富裕層の仲間入りを果たした人も増えたとみられる。こうした投資に関心の高いニューリッチが、株式型CF市場の成長を牽引している。
起業後進国といわれた日本
かつては「起業後進国」ともいわれた日本だが、こうしたリスクマネーの裾野の広がりを好機と捉え、近年は起業の動きが勢いを増す。
近刊の『エンジェル投資家とは何か』では、脚光を浴びるエンジェル投資家の実態を詳らかにすることにより、「第4次スタートアップ・ブーム」と呼ばれる活況の最前線に迫った。その過熱ぶりから「バブルの危うさ」を指摘する声も一部で出始めており、今後の課題やブームの行方についても考察した。
スタートアップ業界は、その濃密な人間関係から「村社会」によく例えられる。村の中では当たり前の事柄も、一歩外へ出ればあまり知られていないことが意外と多いため、できる限りわかりやすい表現や解説を心がけた。企業の新陳代謝を通じた日本経済の底上げには、スタートアップ業界の発展は欠かせない。
本書をきっかけの1つとして、業界への世間の関心が一段と高まれば筆者の望むところである。(文中敬称略)