韓国・仁川空港で”暮らしている”アンゴラ人のルレンド一家。こんな生活が6カ月も続いている。韓国政府の対応は?(筆者撮影)

祖国で警察から迫害され命からがら逃げてきたものの、韓国で入国を拒まれ、昨年末から韓国・仁川国際空港での生活を余儀なくされているアンゴラ人のルレンド一家6人。韓国にたどりついた経緯は、前回(韓国の空港で暮らす「アンゴラ人一家」の真実)伝えた。

そのルレンド一家に会いに、6月20日「世界難民の日」に筆者は再び仁川空港へ飛んだ。すると、ルレンド一家が暮らす第1ターミナルでは、難民支援グループによる集会が行われ「ルレンド一家に自由を!難民も人間だ!」という支援者たちの叫び声が空港内に響き渡っている。

ルレンド夫人は救急搬送されていた

「あと一歩で国境を越えられるのにこの家族を置き去りにする韓国は、表向きはすばらしい国だが、実に恥だ」「文在寅大統領は難民の子どもであり、人権弁護士なのに、難民の人権が守られていない、彼らに十分な審査が行われていない」と、集会の参加者は口々に政府の対応への批判の声を上げる。


集会の参加者たち(筆者撮影)

翌朝、ルレンド一家を訪ねた。たくさん積まれたスーツケースの横で、並べられたソファで寝る一家の姿は相変わらず目を引き、以前よりも疲弊したような一家の様子がうかがえる。とくに生気を失ったように見えたルレンド夫人に体調を尋ねると、数日前、夫人は次男(8)と共に体調不良で病院に緊急搬送され、次男は耳の手術を受け、夫人は歯の手術を受けた後に気を失ったという。ルレンドさんからも笑顔は完全に消え 「こんな生活はもう限界」と肩を落としていた。

24時間稼働し続ける仁川空港は、夜中でも照明が完全に消えることはなく、つねに目の前を人々が行き交い、プライバシーは一切ない。中には子どもたちに嫌がらせをする空港スタッフもいるという。こんな生活が6カ月も続いている。

そもそもルレンド一家はどんな経緯で韓国への入国を拒まれたのだろうか。

昨年12月28日、仁川空港に到着したルレンド一家は、アンゴラで取得した観光ビザでは入国させてもらえず、すぐに入国審査の面接を受けることになった。ルレンドさんの母語であるフランス語の電話通訳が用意されたが、通訳の時間も含めてわずか15分で面接は終了。入国不可の判断が下され、英語と韓国語で書かれた書類にサインを求められたが、ルレンドさんは内容が理解できないためにサインを拒否したところ、祖国への帰国を命じられた。ちなみに本来韓国では、書類は入国希望者が理解できる言語で記すことが定められているという。

その後、政府からは何度も祖国への帰国を促されたが、ルレンドさんが「国に帰ったら殺される」と拒むと、パスポートを取り上げられ、空港での暮らしが始まった。

年が明け、空港内の亡命希望者センターに収容され、通訳や書類記入の時間を含む約2時間の面接が行われたものの、記入途中の書類を取りあげられるなどしたという。「こんな不十分な審査で却下する政府の決断はばかばかしい」と、難民支援グループの弁護士は、杜撰な面接だとして非難する。

「難民」と認定されるには

ルレンドさんは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への連絡を要望するも、聞き入れてもらえなかったそうだ。そこでスイスのUNHCR本部の電話番号を見つけて自ら連絡したところ、韓国のUNHCRに連絡が行き、弁護士を手配してもらうことになったという。

だが「偽装難民」でないことを証明するには、難民申請希望者は迫害を立証しなければならない。ルレンド一家の場合、アンゴラでルレンドさんが接触事故の際にかけられた殺人容疑の不当性、その際の警察官による数々の暴行、そしてルレンドさんを探しに自宅へ来た警察官による夫人へのレイプなどの根拠や証拠を示さなければならず、非常に難しい。一方、韓国政府にしても、迫害の確たる証拠がない場合、何を根拠に入国を許可すべきか、間違った前例を作らないためにも、その判断は容易ではないはずだ。

韓国は、日本同様、「難民の地位に関する条約」(通称:難民条約)に加盟している。そもそも加盟国はどんな審査基準で難民を認定しているのだろうか。

難民条約によると、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。

だが、「難民認定をはじめとする条文の解釈や運用は、実質的に条約・議定書の各締約国次第となる部分が大きく、国によって難民認定、受け入れに差がついてしまうのではないか」と、国際人権の分野での経験のあるアメリカ・ニューヨーク州弁護士の仲居宏太郎氏は指摘する。「条約や議定書をより実効的なものにするためには、解釈に差が出すぎないように、より明確で統一された基準を作っていく必要もあるのではないかと思う。条約が本来意図しているだろう義務が履行されず、深刻な苦境に陥っている人々に救いの手を差し伸べることができないのは残念でならない」。

つまり、難民条約加盟国の場合、国が窓口となって難民の該当性を判断するため、国によってはその国の政治的な判断が色濃く反映されてしまうこともあるようだ。

一方、条約加盟国でない国に難民申請希望者が避難してきた場合、窓口はUNHCRとなり、条約の意図する審査になると考えられる。世界は今、難民に寛容な態度をとる政治家が支持率を落とすなど、難民の受け入れに対して厳しい時代だ。難民が逃れてくる国々の中には、国民の利益と国際社会で果たすべき難民保護の義務との間で板挟みになっている国もあるに違いない。難民申請希望者にとって、どの国に渡航するかが大きく命運を分けることになるのだろう。

ネットでルレンド一家を支持する動きも

以下は、先日発表されたばかりの2018年のG7+韓国の難民認定数と認定率である。

認定数 認定率
ドイツ    56,583  23.0%
アメリカ   35,198   35.4%
フランス   29,035 19.2%
カナダ    16,875 56.4%
イギリス   12,027 32.5%
イタリア    6,448 6.8%
韓国 118 3.1%
日本 42 0.3%


出典:UNHCR Global Trends 2018を基に筆者作成

今年1月、難民条約加盟国ではないタイで、一度は強制送還を命じられながらも亡命に成功した女性がいた。家族の暴力によって命の危険を感じ、サウジアラビアから逃げてきたラハフさん(18)だ。祖国に強制送還されそうになると、ラハフさんは空港内のホテルに立てこもり、「私は家族に殺される」とTwitterで発信して助けを求め続けたのだ。

すると、フォロワーが24人だった彼女のTwitterは、#SaveRahaf(=ラハフを救え)を付けた応援メッセージと共に広がり、24時間以内にフォロワーは2万7000人にもなって世界から注目を浴びたという。するとUNHCRを介して、カナダが彼女を受け入れることになったのだ。何が功を奏したのかは明らかでないが、彼女のような成功例もあった。


ルレンドさんの頭文字であるL字を手で作った写真(筆者提供)

今、ラハフさんにあやかって、ルレンドさんの頭文字であるL字を手で作って撮影し、#SaveLulendoを付けてSNS発信して一家を応援する動きが広がり始めている。ルレンド一家にとって心の支えになっているようだ。

ルレンド一家がここまで踏ん張ってこられたのは、裁判で共に戦う弁護士事務所の存在や、寄付や物資を代わる代わる空港に届けてくれる多くの支援者たちの存在があったからこそだろう。当初は祖国を脱出できればどこでもいい、と韓国に避難してきたルレンドさんだったが、今では「家族のような存在がたくさんいる韓国で暮らしたい」と話している。

しかし一方で、ルレンド一家の受け入れに反対する声も多いという。第一審の際には、裁判所前では反対運動が行われ、ルレンド家の子どもたちに罵声を浴びせたり、空のペットボトルを投げつける人もいたという。また、昨年は韓国・済州島にイエメンから500人以上もの難民申請希望者が押し寄せた際、難民受け入れ拒否の請願が1カ月で70万件を超え、反難民の世論は急速に拡大しているようだ。

難民受け入れに対する世論が二分される中、ルレンド一家の第二審は7月中に行われる予定だ。だが勝訴しても、すぐに難民と認定されるわけではなく、難民審査を受ける権利を得るにすぎない。敗訴した場合は、アンゴラに強制送還されてしまうのか、受け入れてくれる第三国を探しだすことになるという。ルレンド一家にとって、目の前の韓国がどれだけ遠いことだろう。

日本に比べると韓国はよくやっている?

ルレンド一家を通して、難民申請希望者たちが直面する厳しい現実、紛争後の真の平和構築の難しさなどが浮き彫りになった。難民支援や国際機関の関係者たちにヒアリングを重ねると「日本に比べると(難民の受け入れが)進んでいるだけに、この状況は残念に思う」という声も多かった。

だがその一方で、「裁判手続きの権利を保障しているのはすごいこと。(日本に比べると)韓国はよくやっている」「韓国政府の葛藤、ぎりぎりのところでの正義感と人道的配慮が感じられる」などの声が多く聞かれ、日本の難民を取り巻く状況の厳しさも感じずにはいられなかった。

今や、紛争や迫害によって故郷を追われた人の数は7000万人を超え、第2次世界大戦以降、最高レベルの数値となった。国家の安全保障にも直結する問題であるため、世界は極めて難しい問題を突きつけられている。

国連開発計画(UNDP)の近藤哲生駐日代表は「しかしながら難しい問題が起きたときはチャンス。これまで解決できなかった難しい問題に対して、いろんな人が頭を悩ませ、心を砕いて考えるという状況を作ることが大事。国連が2015年に打ち出した『持続可能な開発目標(SDGs)』の17の目標の中に難民については明示されてはいないが、極めて重要な問題であり決して置き去りにしてはいけないと思っている」と語った。

私たちにできることは何だろうか。難民に関する問題は、日本国内でも関心が低く選挙の争点になりづらいため、なかなか議論が進まないと言われている。まずは難民の存在に関心を持つこと、難民支援の活動に目を向けることが、小さいけれど確実な一歩かもしれない。